エイステイン・ボーツヴィック テューバリサイタル|大河内文恵
2016年7月5日 ルーテル市谷ホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
エイステイン・ボーツヴィック(テューバ)
新居 由佳梨(ピアノ)
<曲目>
T.マドセン:テューバとピアノのためのソナタ op.34
Ø.ボーツヴィック:テューバ協奏曲
~休憩~
J.S.バッハ:メヌエットI・II(無伴奏チェロ組曲 第1番第5曲より)
A.ボーツヴィック:ニューキッド
Ø.ボーツヴィック:きっと大丈夫
A.ピアソラ:3つのタンゴ(N.シーヴェレフ/ Ø.ボーツヴィック編曲)
天使のミロンガ
ブエノスアイレスの冬
アディオス・ノニーノ
(アンコール)
モンティ:チャールダーシュ
Ø.ボーツヴィック:Fnugg
ホールに着くと、長蛇の列ができていた。一瞬、会場を間違えたか?と思うほど、管楽器をやっているように見受けられる少年少女、青年たちで溢れかえっていた。座席は超満員、残りの床には補助席用パイプ椅子が並べられるだけ並べられていた。
前半はマドセンの『ソナタ』とボーツヴィック作曲の『テューバ協奏曲』。自作は「楽譜なんかいらない」とばかり、譜面台は片づけての演奏。この曲はブラスバンドやウインド・オーケストラのバージョンで知られるが、今回は新居によるピアノでの伴奏だった。これが絶大な功を奏した。管楽器による伴奏では、チューバと伴奏楽器の音が混ざってソロの音が聴き取りにくくなることがあるが、ピアノならその心配はない。ボーツヴィックは新居の演奏を楽しむかのように、自分が演奏していないところではピアノが奏でる音楽に浸っていた。ブラスなどによる演奏をきくと、この協奏曲の伴奏部分は複数の楽器による超絶技巧の嵐なのだが、それをピアノでどう表現するのか。そもそも技術的に可能なのか?そんな不安を軽々と吹き飛ばすような物凄い演奏だった。この曲は伴奏者にBrava!!である。
後半は、小品集。『ニューキッド』では、せつなさと哀愁をただよわせる一方で、『きっと大丈夫』は日本のニューミュージックを思わせる明るめの曲調。いずれもテューバのイメージを一新させるものだった。ピアソラの3曲では、通常ならピアノと独奏楽器のアドリブ合戦になることも多いのだが、その予想を裏切るような、どちらかというと端正で繊細なピアノにのせて、テューバが自由自在に遊んでいるさまが逆に聴き手の心を躍らせた。
余談だが、ボーツヴィックの演奏がまだ耳に残っているうちに、マドセンのソナタを他の奏者の演奏で聴いてみたのだが、どこかゴツゴツして自然に流れていかないもどかしさを感じた。軽々と吹いているようにみえたが、そうみえることそのものが桁外れなことだったのだと実感。
コンサートに話を戻そう。さて、プログラムが終わって、アンコール。ここからさらに新しい世界が始まった。超絶技巧で有名な『チャールダーシュ』をいとも簡単そうに演奏するだけでなく、彼らは途中で脱線する。ボーツヴィックが客席に入り込んでいったところで、ピアニストが“ガーン!“とピアノに肘鉄を食らわせテューバ奏者を睨むと、すごすごと楽器を抱えて舞台に戻るという小芝居まで付くのだ。客席が一気に沸点を突破した後に演奏されたのは、『Fnugg』。ホーミーや口琴のような重音奏法を使い、さらにテューバを吹きながら何やら言葉のようなものも聞こえるという不思議な曲である。聴いたことのないかたは、ぜひ動画サイトを検索してみて欲しい。一聴の価値あり。これを生で聴けたのは、感動ものであった。
帰り道、中学生くらいの男の子が、「ヤバい、今夜眠れないかも」「このまま昇天しちゃいそう!」と大興奮状態で話しているのが耳に入った。もしかしたら、彼らの中から第2のボーツヴィックが生まれるかもしれない、そんな予感がした。