パリ・東京雑感|夢見る力を 英国離脱後のEU|松浦茂長

夢見る力を 英国離脱後のEU

text & photos by松浦茂長 ( Shigenaga Matsuura )

パリのアパルトマンのお隣さんはイギリス人の女性弁護士。去年の秋「英国がEUから出たら、私は国籍を変えるわ」と言い、フランス国籍を取るためにはどんな試験を受けなくてはならないかとか、細かに説明してくれたのにはびっくりした。ジェーン・オースティンを愛し、イギリス映画ファンのクエーカー教徒である彼女がどうしてフランス人になれるのだろう。オースティンの倫理的恋愛に対し、恋愛小説といえば不倫しかないフランスは水と油だし、礼拝の儀式がなく讃美歌も歌わないクエーカーに対し、香を焚きオルガンと聖歌隊付きのカトリックのミサは反対の極だ。彼女の感性・モラル・信仰は深くイギリスに根を張っているのに、その愛国の情よりヨーロッパ人であることの方が優先されるのだろうか。一体ヨーロッパとは何なのだろう。

シャルトル

シャルトル

そもそも国の主権を制限し、ヨーロッパを統合しようという構想はどこから生まれたのか。ヨーロッパの父と呼ばれるロベール・シューマンは若いとき司祭になろうとしたが、友人に「世俗世界で神に仕えるべきだ」と説得され、一生独身で修道僧のような生活を守ったという。もう一人のヨーロッパの父、ドイツのアデナウアーはキリスト教民主同盟の創設者の一人で、彼もカトリック信者だし、イタリアのデ・ガスペリもキリスト教民主主義の創設者だ。
啓蒙主義、国民国家が生まれる前、カトリックの黄金時代である中世には、イタリア人のトマス・アクィナスやボナベントゥーラがパリ大学で教え、本はラテン語で書かれ、文化に国境はなかった。中世人というのは現実より美しい夢の方が本当だと感じるようなところがあって、国の存在が軽かっただけではなく、この世そのものの存在が軽かったらしい。
12世紀の聖ヴィクトルのフーゴーは「故郷を甘美に思う者はまだ嘴の黄色い未熟者である。あらゆる場所を故郷と感じられる者は、すでにかなりの力をたくわえた者である。だが、全世界を異郷と思う者こそ、完璧な人間である」と言っている。つまり、この世は仮の住処で、人間の本当の故郷は目に見えないところにあるというのが中世人の心だった。

2つの大戦で、あれほど憎み合い、歴史上最悪の殺戮・破壊をしたばかりの国同士なのに、国境をなくし、主権を放棄し統合ヨーロッパをつくるなんて、どうしてそんな途方もない夢を描くことができたのだろう。もしかしたら、こんなビジョンを説いたヨーロパの父たちは、<全世界を異郷と思う>心を持っていたのではないか、そう思えて仕方がない。
本来、愛国心と隣国への闘争心そして戦争は人間の本性であり、国家の主権を奪い戦争のできない連邦を作るのは自然本性にさからう難題だ。ベルクソンは『道徳と宗教の二つの源泉』の中で、人間の自然がいかに戦争向きに出来ているかに注意を向け「自然はわれわれと外国人との間を、互いの無知、偏見、誤解といった実に巧みに織られたヴェールで隔てている。(中略)国外に滞在したのち、自分の同国人にいわゆる異国の<心性>を紹介しようと試みたことのある人は、同国人たちが一種本能的な抵抗を示すことを認めえたはずである。しかもこの抵抗は、問題の外国が遠くなればなるほど、それだけ強くなるというものではない。むしろ反対に、抵抗の強さは、距離に反比例して変化しよう。出くわす機会の最も多い連中が、われわれが最も知りたくない連中なのである。外国人をみな仮想敵とするために自然がとりうる手段と言えば、これ以外になかったろう。」と書いている。
日本人が中国への好奇心を失い、『紅いコーリャン』や『さらば、わが愛/覇王別姫』の頃のように中国映画もヒットしなくなったのは、自然の<ヴェール>が働いている証拠なのかもしれない。

2016_07_18_13シャルトル戦争が人間の自然だとすれば、戦争をなくすためには自然を超えるしかない。ヨーロッパ統合は、人間が人間の限界を超える冒険だったのではないだろうか。アデナウアーは1946年に「ヨーロッパが存在しうるためにはヨーロッパ人の共同体が確立されなければならない」とヨーロッパ統合のビジョンを描き、「各国民が経済、文化、思想、詩、西欧の創造性にかけがえのない寄与をする」共同体を構想している。
ナチの殺戮と破壊は、ヨーロッパの父たちの信じてきたヒューマニズムを根底から否定し、ヨーロッパは倫理的空白に陥っていた。その絶望的状況の中で、彼らキリスト教民主主義の政治家として第一の課題は倫理の回復であり、ゼロからの再建の思索のなかから、聖書の天上の王国をモデルとする恒久平和の統合ヨーロッパという壮大な夢が浮かび上がってきたのではないだろうか。
しかし、シューマンのやり方は「ヨーロッパは一気に作れるものではないし、全体の建設が出来るものでもない」と、抽象的議論を避け、「ある限られた分野で、具体的な一歩を踏み出し、確実に連帯を実現する(1950年5月の演説)」地味な方法を選んだ。
その第一歩が石炭・鉄鋼の生産共同化であり、これは「フランスとドイツの戦争が考えられなくなるだけでなく、物質的に戦争が不可能になることを示す」メカニズムだった。石炭鉄鋼共同体に始まったヨーロッパ統合は、一歩一歩経済を一体化して行く道を歩んだが、ヨーロッパの父たちにとって、経済の一体化は理想に近づく手段であって、強い経済圏を作ること自体が目的だったわけではない。経済的利益だけが目的なら、各国の利益が矛盾するやいなや、ばらばらに解体するのを防げないはずだ。

現実のEUは人権や外交のパワーに比べまだ圧倒的に経済の比重が大きい。経済以外で誰もが成功と認めるのはエラスムスと呼ばれる学生交流プログラムで、1987年にスタートしてから2014年までに330万人の学生が外国の大学で勉強した。今では、生まれた国と勉強した国と仕事する国が全部違う若者も珍しくないし、国籍の違う学生が同じアパルトマンをシェアーするのも普通になった。フランスの大学教授に聞いた話では、学生の1割ほどはエラスムスの留学生だし、多くの学生はフランス人という以上にヨーロッパ人というアイデンティティを持つようになったそうだ。
国民投票で英国のEU離脱が決まったあと、ロンドンで働く24歳の女性は『ニューヨークタイムズ』のインタビューに答え「私のアイデンティティの一部がはぎ取られたみたい。ずっと私が感じていたのは、ヨーロッパと運命を共にしているし、私たちは皆一緒という事実です」と言っている。経済という土台から建設をはじめ、まだ完成には程遠い統合ヨーロッパだが、若者の間には<ヨーロッパ人>の自覚が育ったのだ。英国の国民投票後にヨーロッパ各国で行った世論調査によると、「EUは良い」と答えた人が、2014年にくらべ20パーセントも増え、フランスは67パーセントが、ドイツは81パーセントがEUへの信頼を示した。
僕の友人たちは、「英国離脱のショックはかえって良かった。ヨーロッパの理念を考え直すチャンスだよ」と、悔し紛れかもしれないが、前向きに受け止めようとしている。振り返ってみれば、共同体に途中から仲間入りした英国は、ラテン的理念信仰ともドイツ的ロマンティシズムとも縁のない経験と実利の国だから、ヨーロッパ統合市場の経済的メリットだけに関心があった。ヨーロッパ統合が、これから政治・軍事の統合、さらに<文化、思想、詩、西欧の創造性の共同体>に向かうとしたら、いずれイギリスはその方向を阻止するか、脱落するかせざるを得なかっただろう。

ローマ法王フランシスコは、7月ポーランドに集まった60万人の若者に向かって、「君たちは夢見る力を持っているか」と問いかけた。そして「定年前退職者のような若者に出合うと心が痛む」ときつい言葉を投げかけ、「試合を始める前に負けを認めて試合放棄するような退屈な人生」を激しく責め立てた。
夢といえば、かつてヨーロッパ統合を思い立った政治家たちには夢を見る大きな力があったのだ。フランシスコは、「夢見ることのできる心は、同情することのできる心」と言っているが、実際、大戦の敵を赦し、対等のパートナーとして尊重する思いやりと度量がなくては共同体の第一歩は踏み出せなかっただろう。英国離脱のあと、ヨーロッパが解体に向かうか、一層の統合に向かうかは、ヨーロッパが夢見る力を取り戻せるかどうかにかかっているのかもしれない。

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