カデンツァ|離脱と統合〜ケルト郷愁|丘山万里子

離脱と統合〜ケルト郷愁

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

エンヤイギリスがEU(欧州連合)から離脱した。ふと、思い浮かんだのは、エンヤとケルトのこと。
1980年代後半に始まるケルト・ブームは、1986年、エンヤの歌声にのって放映されたBBC『 The Celts 幻の民 ケルト人』からと言われる。1991年にはヴェネチアで『ケルト 最初のヨーロッパ人』が開催され、イタリア、フランス、ドイツ、イギリスなどヨーロッパ24ケ国から2200点にのぼるケルトの至宝が展示され、およそ100万人の観客を集めた。
それは、東西の冷戦構造終焉後のヨーロッパの「自分探し」の一つの形であったと思われる。ベルリンの壁の崩壊は1989年、ソ連解体は1991年。世界各地の地域紛争と亀裂が拡大、激化するなかで、「我々は何者か?」「我々はどこに属するのか?」という問いが人々の心の深部を突き上げる。ヨーロッパの基層、起源へのまなざしがケルトを見出す。そのことと、EUという連合体の設立(1992)は、ヨーロッパのアイデンティティ確立という夢の両輪だったと思える。

ケルトとは紀元前700年頃ドナウ川上流付近に出現、アルプスを越え、イタリア北部からイベリア半島、ブリテン、アイルランドまで、現在のヨーロッパの22ヶ国に及ぶ広がりを持った民族である。EU加盟国(現在は28ヶ国)とケルトの勢力範囲は重なるから、まさにぴったり。ケルト文化の源流ハルシュタット、続くラ・テーヌ文化はおよそ前1200~前50年。パリ、ウィーン、ミラノ、ロンドンなどの都市の名、ドナウ、ライン、セーヌなどの河川の名はケルトの地名や部族名に由来している。ケルトがヨーロッパにとって、「われわれは何者か」の問いへの格好の答えであったことはうなずける。
エンヤの歌声とともに、ケルト伝承の地、アイルランドが脚光をあびる(ザ・チーフタンズが映画『バリー・リンドン』の音楽でアカデミー賞を受賞したのは1976年だが)。世界的人気を博した『リバーダンス』は、1994年のユーロビジョン・ソング・コンテスト(欧州放送連合開催)の幕間ショー(ホスト国アイルランド)から火がついたものだ。ケルティック・ウーマン結成は2004年、とりわけ『You Raise Me Up』のカヴァーが人々の心に染み透った。
そのアイルランドは1998年、30年に及ぶ紛争(1972年の「血塗られた日曜日」をジョン・レノンは『Sunday Bloody Sunday血まみれの日曜日』と歌い、ポール・マッカートニーの『Give Ireland Back to the Irishアイルランドに平和を』は BBC放送禁止となった)が終結、北アイルランド和平合意に至った(ジャガイモ大飢饉、差別、迫害などの凄惨な歴史にはここでは触れない)。
この年、単一通貨としてのユーロが導入されている。
ケルトへの郷愁は、この時期、さまざまな形で「我々はどこへ行くのか?」をも示してくれるように思えたのではないか。

私はエンヤのエコーたっぷりな歌声とシンセ音響はあまり好みではなく、純朴なトラディショナルの方がいいと、小さなライブやパブに行った。
水差しヨーロッパの母胎としてのケルトには興味があり、1998年、東京で開催された『ケルト美術展 古代ヨーロッパの至宝』に出かけ、とりわけその装飾品の美しさに目を奪われた。カタログを開くと、ありありとその時の驚嘆がよみがえる。
ピンクと青のトンボ玉のネックレスの鮮やかな色彩と透明な輝き、繊細な刻み細線の文様の金の透かし指輪、黒に金の動・植物文様のデザインの見事な水差しなどなど。ケルト芸術の特徴である幾何学、線描、組紐、螺旋、渦巻き、火炎といった文様が刻まれた品々は、彼らの高度な美的センスと技術を伝える。
ワイン注ぎケルトが最も好んだと言われる回旋文様は、例えばワイン注ぎの壺は上向きと下向きの花文が続くが、花を真ん中で切ると交互に回転方向を変える旋回モチーフになる。つまり二つのベクトルが異なる見方、読みを誘い、そこに多様な解釈、変化、移行への愛着が示される。組紐文様は水の流れ、始めも終わりもない連続、無限と永遠、生と死の回帰の象徴でもあった。
ギリシア、ローマが人間の形で神々をかたどることを笑う彼らの抽象的造形感覚にあるのは、世界を具体的に可視化することを嫌い、自然の多様な変化や動きそのもの、曖昧さ、あるいはそこに隠された宇宙のサイクルの根本に目を向けることだった。
彼らは共通の言語を持ったが、記憶力の衰退や生きた言語を重視し、文字を拒否したため、長いこと謎の中にあったが、こうした品々はケルト世界独特の深さと豊かさを現代に語りかけてくるようだった。

エンヤはケルト伝承と音楽テクノロジーで世界に伝播、やがて癒し系として消費されてゆく。ここには「自分探し」という内向きのベクトルと、世界マーケット進出という外向きのベクトルがある。あるいは、ヨーロッパの起源への下向きのベクトルと、日々進化する文明への上向きのベクトル。その両方が、絡み合いながら流れてゆく響きと形。
エンヤやケルトは、そういう二つのベクトルの回旋文様を内包したからこそ、当時、大きな魅力を放ったのではないか。

ゴーギャンは晩年「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか」(1897/98)という大作を描いた。フランスを離れ、タヒチ(仏領)で創作に励んだゴーギャン。島を背景に裸身の老若の女、子供、動物たち。人生の始まりから老いまで、時の流れの横軸に、半円を描くような奥行きの空間感覚があいまって、せり出すような、引き込まれるような不思議な圧力と引力の絵だ。背後に立つ青色の神像が強い印象を与える。左上隅の金色部分にフランス語の上記タイトルが記されている。
それは、ゴーギャンにとっての「自分探し」が、タヒチの原住民との暮らしの中でこそ、であったことを告げる。その果て、彼は何を見出したのだろうか。この絵の完成後、ゴーギャンは自殺を図っている。
2009年、東京でゴーギャン展が開かれた。「我々は〜」の展示には圧倒的な迫力があったが、そこに、凋落する西欧の切実な「問い」をも、私は感じた。

「我々は何者か?」の問いは、その裏に「我々と違うのは誰か?」を含む。差異、差違の排除によって「自分」を探し出すのは一番わかりやすく、手っ取り早い。EUのモットーは 「多様性の中の統合(United in diversity)」だが、それは本当に難しい。
ケルト・ブームはひとときの郷愁にしか過ぎなかったのだろうか。
が、彼らが物事の定着、断定、可視化を嫌い、流れ、動き、変化を重んじ、多様そのものを描いたのは、優れて真理だと私は思う。離脱か統合かなど、二者択一で問うのは、真理に反する人間の傲慢なのだ(国民投票云々の話でなく、大きく世界観、宇宙観のことだ)。
本当の叡智、というのは、もっと謙遜に満ちたものではなかろうか。

私はイギリスは小旅行でロンドンのほか、ストーンヘンジを見に行ったくらい。どんよりした曇り空と、サマセット・モームの「食事がまずい」に、まあ、ドイツと似たり寄ったり、と思ったものだ。テイトギャラリーのターナーはすごくよかったけれど。
その時は、そのままスペインに飛び、一気に太陽さんさん、地中海真っ青、の違いに、なるほどなあ、ともろもろ納得した。強烈なフラメンコ、ガウディの建築群、ピカソ、ふんだんな海の幸、ステーキも最高に美味しかったし。
アイルランドは是非いつか、と思う地で、アイリッシュを聴くと、観ると、心がうずく。
かつて、串田孫一氏に原稿を依頼にご自宅を訪ねた時(中学の頃から氏の『山のパンセ』が好きで、こういう文章を書きたいと思った)、アイリッシュ・ハープを習っている、と話され、膝に抱えて見せてくれた。山小屋風な書斎と木の椅子。穏やかな風貌と膝の上のハープ。一枚の絵みたいに、胸に焼きついた。
そんなことからも、郷愁のケルトは私の中の褪せない一ページだ。