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横浜みなとみらいホールPRESENTS ジャン=ギアン・ケラス|谷口昭弘

ケラス横浜みなとみらいホールPRESENTS ジャン=ギアン・ケラス シルクロード・プロジェクト

2016年6月25日 横浜能楽堂
Reviewed by 谷口昭弘 (Akihiro Taniguchi)
Photos by 藤本史昭/写真提供:横浜みなとみらいホール

<演奏>
チェロ:ジャン=ギアン・ケラス
ザルブ/ダフ:ケイヴァン・シェミラーニ
ザルブ/ダフ:ビアン・シェミラーニ
リラ:ソクラティス・シノプロス
尺八:神令

<曲目>
W. ルトスワフスキ:ザッハー変奏曲 (独奏チェロのための)
R. ダリー:カルシラマ
S. シノプロス:ニハーヴェント・セマイ
尺八古典本曲:根笹派「調・下り葉」
即興演奏(打楽器奏者による)
M-R. ロトフィ: ホマユン
藤倉大:osm〜無伴奏チェロのための (トッパンホール15周年委嘱作品)
(休憩)
F. ルリシュ:ハムサ
J. S. バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009
即興演奏 (リラとチェロによる)
トラキアの伝統音楽:日曜日の朝
鶴見幸代:BUTSUKARI (横浜みなとみらいホール委嘱作品、世界初演)
(アンコール)
トルコ/ギリシャの伝統音楽:ハサピコ

西洋音楽の古典と現代、日本の伝統と現代、そして中東の伝統と現代。いろいろな様相の音楽が能舞台で奏でられる、文化と文明の交差を目の当たりにした公演を楽しんだ。

まずはケラスの独奏による、ルトスワフスキの《ザッハー変奏曲》から。ことさら強弱のコントラストを意識した訳ではないが、強い音楽的身振りがあったかと思えば、そっとやさしく語りかけるフレーズもあった。この語り口のうまさが、ケラスの魅力なのだろう。

続いて演奏されたのは「ペルシャ音楽」。いずれも時代的には新しいが、最初に興味をそそられたのは、トンバク(イランでの名称・ペルシャ語)/ザルブ(アラビア語)という酒杯型の太鼓、フレームドラム(タンバリンもその一種)のダフといった伝統楽器の音色だ。PAを一切通さない生音で聴くこれらの打楽器は、押し付けがましくなく、遠くから心地よく聴こえてくる。オスティナートのリズムに乗せて弾かれるリラは、さしずめ日本の胡弓のようにか細いが力強い。シノプロスの《ハニーヴェント・セマイ》では、ケラスのチェロと、リラを弾いた作曲者シノプロスがオクターブでデュエットする。同じ弦楽器なのに、なめされたスムーズなチェロと、ざらっとした風味のリラ。この2つ寄り添いながらも互いの良さを尊重し合う光景に心を惹かれた。

尺八古典本曲 根笹派《調・下り葉》を演奏する神令は、能楽師のように橋掛かりをすり足で歩きながら演奏して登場。もちろん尺八は能の文脈にはない楽器ではあるが、神令は大きな息づかいの中に大胆に孤を描き、コロコロ、メリ・カリなど多彩な技法を駆使し、音色への細やかな、格別な配慮を聴かせ、音楽とパフォーマンスで演劇性を見せつけた。舞台上に待機していた音楽家たちは、この演目をどのように感じていたのか、興味があるところだ。 シェミラーニ兄弟による即興演奏が続く。2人のザルブは、心に響く低音、楽器の共鳴体をいかした明るい音、リムを叩く音、ボディを叩く木のような音、革表面をこする音など、太鼓から出る表現の豊かさを聴かせつつ、リズム・パターン、そしてそれと組み合わされた音色が互いに呼応したり、同調したりの展開。2人の、音を通して心の通う様を楽しんだ。

装飾を随所に施したエネルギッシュなロトフィの《ホマユン》では、ケラスがピチカートやポルタメントを使って切々と訴えていた。ハーモニーとは無縁の世界ではあるが、使用の音組織とは違う伝統に飛び込んでいったようだった。つづいて演奏された藤倉大の《osm》は、冒頭からハーモニクスや重音を多様。リズミカルな主部に入ると、休符らしいものがなく、無窮動作品のように畳み掛ける。そしてグリッサンド、低音、ハーモニクスといった次々と特殊奏法を聴かせていく。さしずめ「ケラス七変化」といった様相だが、技巧をひけらかすだけの無味乾燥な曲では決してなく、むしろしっとりとした余韻を残したのが印象的だった。

休憩を挟んで後半は、ケラスがリードする形で、フランス生まれのウード奏者ルリシュによる《ハムサ》から始まった。続いてケラスによるバッハの《無伴奏チェロ・ソナタ第3番》が続く。バッハでは、自由に語りかける旋律的な部分とスムーズにリズムに乗せる分散和音的部分とに分かれた、メリハリのある前奏曲に続き、軽快な足取りで、無駄なく余計な身振りのないアルマンド、低声部と中高音部の役割を明確に弾き分けたクーラント、重音を重々しくせず、全体の文脈の中に置きつつも典雅な流れから瞑想的世界へと誘うサラバンド、思わせぶりにテンポを揺らすブーレー、賑やかに演出するジーグと、やはり西洋音楽の真骨頂を聴いた満足感があった。

チェロの包み込むような優しい音色と2人のハーモニーが印象的な、ケラスとシノプロスによる即興につづき、トラキア(現在のブルガリア、ギリシャ、トルコにまたがる地域)の伝統音楽《日曜日の朝》では、ケラスがリラと張り合うような高音域で演奏し、楽しく楽天的な、おもわず体が動き出す楽天的な音楽が舞台を湧かせていた。

最後は鶴見幸代の新作初演。曲の性格はザルブ/ダフ、リラ、そしてチェロが圧倒的に決めてしまうところがあるため、尺八は自己主張が難しく、ケーナのようにも聞こえたが、かといって全く無力ではなく(ムラ息も聞こえてきた)、弦楽器、管楽器、打楽器のそれぞれに対し作品は花を持たせていたようだった。

ます筆者はケラスがこういう方向の音楽に関心を寄せていること、彼が果敢に自己が依って立つ音楽伝統とは違う世界に飛び込んでいく柔軟さに興味を持った。またそれに応えて共演する演奏家たちが、伝統に根を持ちながら、前進してこうとする姿に共感した。能楽堂の音響はドライだけれど奏者の呼吸が伝わってくるようだったし、その壮観な舞台と相交わるさまざまな音を聴くという体験は、これからもあまりなさそうだ。いろいろな意味で貴重な時間をもらった公演といえるだろう。

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