バーミンガム市交響楽団 2016年日本公演|藤原聡
2016年6月28日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
<演奏>
指揮:山田和樹/バーミンガム市交響楽団
ピアノ:河村尚子
<曲目>
ベートーヴェン:劇音楽『エグモント』序曲 Op.84
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 Op.30
ベートーヴェン:交響曲7番 イ長調 Op.92
(ピアニストのアンコール)
ラフマニノフ:エチュード Op.33-8
(オーケストラのアンコール)
ウォルトン:『ヘンリー5世』~「彼女の唇に触れて別れなん」
寡聞にして我らが「ヤマカズ」こと山田和樹が過去にバーミンガム市交響楽団に客演したことがあるのかは知らないが、少なくとも日本ではこの組み合わせは初であるし、地元ならともかくも今後日本で聴ける可能性も極めて低いだろう。いずれにしても何とも新鮮なコンビには違いない。その来日公演の一夜を聴く。
1曲目は『エグモント』序曲。まずは最初のアコードの長いフェルマータで客席を掴む。芝居掛かっている訳ではなく、ケレン味というのとも違うが、既にこれだけでヤマカズ、である。他にもコーダ直前のピアニッシモであるとか、コーダではティンパニにクレッシェンドをかけて劇的効果を強調したり、といろいろと工夫があるのだが、繰り返すがこの指揮者がやるとこれみよがしな印象がないのだ。これは持って生まれた才能か。いい意味で面白く聴いた。但し、指揮者とオケの呼吸が微妙に合わない箇所も散見。
2曲目はラフマニノフ、ピアノは河村尚子。今回が山田和樹との初共演とのことだが、その演奏はなかなかに見事であった(演奏を聴くに、主導権はヤマカズにあったと思う)。河村のピアノは、この曲を弾くにはいささか線が細く、オケの音に埋もれがちになる箇所がないではないし、オケとのタイミングも合わないところも。しかし、そういう表面的な瑕を超越したエネルギーの放出と表情の清新さがあり、これはけだし聴き物だった。終楽章コーダのスリリングさなどは彼らならではであろう。なるほど、確かにラフマニノフっぽくもロシアっぽくもない。重量感もあまりない。しかし、それはソリスト、指揮者、オケの組み合わせから想定されることだ。大いに楽しませて頂いた。
河村はアンコールを弾いた。ラフマニノフの『エチュード Op.33-8』。これが実に美しく、このピアニストがショパンを弾く際にしばしば聴かせてくれるような深淵を覗かせるような表現が絶品。
休憩後はベートーヴェンの『第7』(バロックティンパニを使用。リピートは全て省略)。ここでもヤマカズならではの表現が炸裂で、第1楽章の第1主題を導くフルートにテヌートを掛けて引きずるような表情を見せ、かつ同時にリタルダンドも用いる。第3楽章ではトリオから主部に戻る際にはテンポを極端に緩め、かつ大きな間(ま)を空ける。同じくトリオではフォルテで主題が2度回帰する、その2度目の提示で思い切りダイナミクスを開放の上、トランペットを最強奏させる。第4楽章冒頭での休符をこころもち長めに取る。コーダでバスの支えの上に次々に出入りする弦楽器群の各パートのぶつかり合いはまるでカルロス・クライバーかと思われるような白熱―、などと書き連ねると何やら手練手管と思われる方もいようが、全体の流れはあくまで自然であり、「木を見て森を見ず」とはなってはおらず、ざわとらしさも感じない。聴き慣れたベートーヴェンの第7を非常に面白く仕上げている、と言えようが、その細部の工夫の本質は、「工夫のための工夫」「面白く聴けるための工夫」なんじゃないか? と問われれば否定は出来まい。
これは山田和樹の強さでもあり弱さかも知れないが、抜群に振れる指揮者ゆえに、やりたいことは恐らく何でも出来てしまうのではないか(そもそもほとんど共演歴がないと思われるバーミンガムをこれだけ「乗せてしまう」のは並みの才能ではないと思うし、オケのコンディションは前回のネルソンスと来日した際より遥かに良い)。筆者は楽しく聴けたにせよ、否定的な聴き手がいるだろうことも容易に想像できる。「これはベートーヴェンなのか?」と。それは聴き手がそれぞれ考えればよいのだけれど。
アンコール前にヤマカズさんのスピーチ、「今年はシェイクスピアの没後400年」。ということでアンコールはウォルトンの『ヘンリー5世』から「彼女の唇に触れて別れなん」。尚、この『ヘンリー5世』は1945年製作の映画で、つまりこれは映画音楽である。ローレンス・オリヴィエが監督、製作、主演。ちょっと観てみたくなりました。