トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2016|丘山万里子
トランス=シベリア芸術祭 in Japan 2016
レーピン&諏訪内&マイスキー&ルガンスキー
2016年6月18日 サントリーホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<曲目>&<演奏>
プロコフィエフ:2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調op.56
vl/ワディム・レーピン、諏訪内晶子
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 イ長調op.81
vl/諏訪内晶子、田中杏菜
vla/アンドレイ・グリチュク
vc/ミッシャ・マイスキー
pf/ニコライ・ルガンスキー
チャイコフスキー:ピアノ三重奏曲 イ短調op.50「偉大な芸術家の思い出に」
vl/ワディム・レーピン
vc/ミッシャ・マイスキー
pf/ニコライ・ルガンスキー
<アンコール>
ショーソン:ヴァイオリン・ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲op.21より第2楽章
出演者全員
「トランス=シベリア」とは、シベリア横断、の意とのこと。シベリア鉄道に沿って、地理的、社会的、文化的架け橋を築くべく、ヴァイオリンのヴァディム・レーピンが2014年に故郷ノヴォシビルスクで立ち上げた芸術祭が、国境を越え日本にもやってきた。
東京は3公演。パートナーであるバレリーナのスヴェトラーナ・ザハーロワとの一夜、レーピン、諏訪内晶子、田中杏菜、マイスキー、ルガンスキーの室内楽、レーピンとマイスキーの協奏曲が組まれた。
筆者が聴いたのは室内楽。
ヴァイオリン二重奏、ピアノ五重奏、ピアノ三重奏、それぞれの組み合わせが、それぞれの世界を繰り広げ、アンサンブルの醍醐味をたっぷり味わわせてくれた充実の一夜。音楽のアーチはどこまでだって届く。それが音楽の力だ、と改めて思う。
諏訪内とレーピンのプロコフィエフ。諏訪内のかすかな弱奏ソロの紡ぐ旋律線に、そっと絡んで行くレーピンの音の眼差しの優しさ。互いのしなやかな線が、敏感に交差し、そこに様々なラインや面が、重なったり広がったりしながら描き出され、例えば諏訪内のそれは確かに赤紫、レーピンは鮮やかな青の絵筆、その動きが一つの抽象画を眼前させる、そういう演奏だった。まさに、プロコフィエフのリリシズム。もちろん、各楽章、二人の筆は多彩なタッチを見せ、ふとカンディンスキーの幾何学模様や円を思ったことだった。
ドヴォルザークは諏訪内、田中、グリチュク、マイスキー、ルガンスキーの5人。これがまた、各人の持つ音質がクリアでありながら、全体としての精妙な響きの綾織になっていて、アンサンブルの妙味全開。
諏訪内は銀の絹糸、田中は白の絹糸、と、この日本女性二人の弦の質感がまずは浮かび上がるのだが、それに付かず離れずの柔らかなヴィオラの手触り、大きく包み込むチェロ、そして何と言っても、ルガンスキーの当意即妙、合いの手、リード、手つなぎ、とあらゆるフレーズへの目配りと響きの使い分けに惚れ惚れする。なんてセンスのいいピアニスト!
スラブの哀愁、舞曲の快活、駿馬一丸みたいな追い込みの白熱コーダ。思わず筆者も前傾姿勢に。弾き終えてすっと笑みを浮かべた諏訪内の表情が、この演奏の全てを語っていた。
休憩後、いつも通り、服を着替えて出てきたマイスキー、変わったのは服ばかりでない、音楽。ピアノのアルペジオに誘われて歌い出すそのチェロは、さっきより深く、逞しく。心の深部をぐいと掴まれるような内圧に「おお、マイスキー節!」。レーピンもデュオの時とは打って変わったパッション。三者がっぷり組んでの澎湃たる響きの大河だ。波打つ情感とドラマティックな起伏に、音楽が前へ前へとせり出す。
第2楽章、ピアノの高音が透き通ったオルゴールみたいだった第5変奏、ルガンスキーが腰を浮かせて叩き込むテーマにガシガシとレーピン、マイスキーが柱を組んでゆく第8変奏フーガの気宇壮大。第12変奏、弦二人の渾身のユニゾンを後打ちで追い立てるかのピアノ、その三つ巴にロシア魂のマグマが噴き上がる。そうして終句、葬送のピアノの音列を、ルガンスキーはポトリ、ポトリ、としたたり落ちる涙のように弾いた。
喝采。