トーマス・ヘル リゲティ ピアノのためのエチュード全曲|大河内文恵

ヘルトーマス・ヘル リゲティ ピアノのためのエチュード全曲

2016年6月3日 トッパンホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)

<演奏>
トーマス・ヘル(ピアノ)

<曲目>
ジェルジ・リゲティ:ピアノのためのエチュード

開始前から会場は異様な雰囲気に包まれていた。超満員の客席に座る誰もが、これから始まる途轍もない時間を確信していた。ステージに登場したのは、1枚に1曲分ずつ貼り付けたバラバラな大きさの厚紙を抱え、新しい玩具を買ってもらったばかりの少年のような表情を浮かべたピアニスト。

今回のコンサートでは、リゲティのエチュードが第3巻、第1巻、第2巻の順に演奏された。それはおそらく演奏時間の関係だろうと思われたが、その予想は見事に裏切られた。冒頭に演奏された、第3巻1曲目(第15番)は、ひたすら二分音符で、両手で同時に弾かれる2~4音が続く。ともすればその後につづくテンポの速い激しい部分の「前奏」で片づけられてしまいそうなこの部分から、地球上全てを巻き込む嵐が止んだあとの虚無感とほんの少しの希望とでもいうような世界を、ヘルは描き出してみせた。まるでこのあとの時間を予告するかのように。そしてコンサートの冒頭で演奏されることが運命づけられているかのように。

この独特の世界観を創っているものはなにか。そのヒントに気づいたのは第1巻第1番を聴いたときだった。3+5のリズムをフォルテとピアノの交替で明確にしたあと、そのリズムが徐々に崩壊し右手と左手のリズムや小節線がずれていくという構成になっているこの曲で、ヘルの演奏は技術的な困難を易々と乗り越えるだけでなく、そこに独特の躍動感を感じさせる。これまで聴いたどのピアニストの演奏にもなかったこの躍動感はどこから来るのか。ヘルの類い稀なるリズム感として簡単に片づけることもできようが、もしかしたら彼の絶妙なテンポ設定から来るのではないかと思い当たった。

彼の演奏よりほんの少し早いだけでリズムが流れてしまう。逆にほんの少し遅いだけで躍動感が出ない。ヘルは早くも遅くもない絶妙なテンポを見事に探り当て、15番や1番にみられるような独特な世界を構築したのだ。

第2番および第5番では、弱音の遅いテンポ(2番はアンダンティーノ、5番はアンダンテ)で、楽譜を見ただけでは無秩序な音の羅列にしか見えない代物から、まるでバッハを聴いているかのような内省的な世界を引き出した。驚いたことに、中間部で音量がfff(フォルテフォルティッシモ)になっても、この世界はまったく揺るがない。

休憩後にはさらにすごい世界が待っていた。8番と10番の軽快さとワクワク感は何なのだ。11番の不安定さと12番の安心感の対比。13番と14番でみせた圧倒的な存在感は、演奏会をこの曲で終わらせたいというヘルの執念をみせると同時に、このコンサートは第2集で終わらせなければならないという必然性を感じさせた。

リゲティのエチュード全曲を一晩で生演奏するというだけでも常人を遙かに越えているが、ヘルは技術力の高さだけではなく、音楽へのアプローチも限りなく完璧にこなし、それらをすべて実現してみせた。演奏会が終わって、ふと我に返ったとき、ヘルはこの先どこに行くのだろうかという疑問がわいた。究極にたどりついたピアニストが次にどこに行くのか、楽しみがまた1つ増えた。

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