2016年度 武満徹作曲賞 本選演奏会|大河内文恵
2016年5月29日 東京オペラシティ コンサートホール:タケミツ メモリアル
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<審査員>
一柳慧
<演奏>
東京フィルハーモニー交響楽団
川瀬賢太郎(指揮)
<曲目>
パク・ミョンフン:triple sensibilities
茂木宏文:不思議な言葉でお話しましょ!
~休憩~
ミヒャエル・ゼルテンライク:ARCHETYPE
中村ありす:Nacres
「こんな世界があったのか!」と何度も目を開かれる瞬間があった。コンクールというものに対するイメージは人それぞれであろうが、少なくとも評者にとってはこれまでのコンクールのイメージを覆すものだった(演奏会のタイトルにも作曲賞の要項にも「コンクール」の文字はないが、便宜上この言葉を使うことをお許しいただきたい)。
コンクールでは通常、すべての演奏が終わった後に発表される結果は順位のみであり(日本音楽コンクールのように各審査員の評点と一人の審査員による講評が後日公表される場合もあるが)、その理由についての詳細な説明はない。本作曲賞では、演奏会終了30分後に審査員による講評とともに結果が発表され、聴衆はたった今聴いた曲の評価を「答え合わせ」することができる。
審査員の答えと自分の答えが必ずしも一致するとは限らないが、審査員の言葉の端々に垣間見える審査基準と照らし合わせることによって、それぞれの曲に対する「聴きかた」をさらに深めることができる。そのような機会は「聴き手」にとって非常に貴重な機会である。
結果と講評はhttps://www.operacity.jp/concert/award/result/result2016/をご覧いただくとして、評者なりの解釈をすこし述べてみたい。まさに「今日の4人の作曲家の間に(中略)1位と4位というような大きな差はな」く、聴き終わったときに、1位~3位+入選とするのは非常に難しいだろうという印象をもった。と同時に1位を決めるのは至難であろうと思われた。というのも、結果的に1位になった2作品はコンセプトに基づく作品であるという出発点は同じであっても、鳴り響いた音は正反対ともいえるものだったからだ。
ゼルテンライク作品は「現代的」な音響を主体としながらも、どこかヨーロッパのオーケストラ作品風の響きがしており、時折マーラー的だったりストラヴィンスキー的だったりする瞬間がある。おそらく「現代曲」に馴染みが薄い聴き手にも抵抗なく受け入れられる音楽であろうと思われた。一方、茂木作品は通常のオーケストラ作品から聞こえてくるのとはまったく違う音響だが、それは、いわゆる「前衛的」な音ではなく、さりとてそれ以前のようなロマンティックな音でもない、まるで大自然の中の鳥の声や風の音、都市の雑踏の中の人の声を聴いているかのような音楽だった。その新鮮な響きが、いわゆる特殊奏法をほとんど使わずに実現されているということも二重の驚きであった。どちらも作曲の先生風にいうと「よく書けている」作品で優劣は付け難い。2人の1位というのは誠にセンスのよい着地点である。
一柳氏は「創作への姿勢とか、態度に違いがあるとしましたら、大きく分けると2つ」と冒頭に語っており、その区分はまさにその通りではあるのだが、結果としてそう見えるとしても1位と2位との差がコンセプトの有無そのものではないということを指摘しておきたい。ミョンフン作品は不協和音や特殊奏法を用いながらも、それが不快な音に向かうのではなく、キレイな不協和音とでもいうべき音響を形成していたこと、「現代音楽」にありがちな張り詰めた空気感がなくリラックスして楽しめる作品であるところに特徴があった。そのリラックス感を裏返すと、作品に「推進力」や「存在感」が希薄に感じられることに繋がるのかもしれない。評者自身の趣味でいえば、その希薄さこそ、この作曲家の魅力であると思うのだが。
ヴィブラフォンを主体とし、キラキラとした音響をつらねていく中村作品は、独特の音世界をみせ興味深かったのだが、鳴っている楽器の数が増えるとキラキラ感が薄れてしまうのが残念であった。「初めてオーケストラ作品を演奏していただく機会」であったことを考え合わせると、それを克服した作品を是非聴いてみたいと思わせる魅力のある作曲家である。
なお、本選会の間じゅう、ロビーで本選出場作品の展示がおこなわれており、非常に人気を集めていた。また、川瀬賢太郎と東京フィルハーモニー交響楽団は真摯に作品に取り組み、上質なコンサートを聴いている気にさせるものであった。中村が語った「和やかな雰囲気」は楽屋だけでなく、この本選会全体を包み込んでいたように思われた。