ウィーン・フォルクスオーパー来日公演|藤堂清、林喜代種
ウィーン・フォルクスオーパー来日公演
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♪ウィーン・フォルクスオーパー|エメリッヒ・カールマン《チャールダッシュの女王》
2016年5月14日 東京文化会館
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)
<スタッフ>
指揮:ルドルフ・ビーブル
演出:ロベルト・ヘルツル
舞台装置:パンテリス・デッシラス
衣裳:シルヴィア・シュトラハマー
振付:ミヒャエル・マウラー、マティアス・ユルコヴィッチ
合唱指揮:トーマス・ベトヒャー
<キャスト>
レオポルト・マリア侯爵: ウォルフガング・ヒュプシュ
アンヒルテ: マリア・ハッペル
エドウィン・ロナルト: カルステン・ズュース
アナスタシア(シュタージ): ベアーテ・リッター
ローンスドルフ男爵: カール=ミヒャエル・エブナー
ボニ・カンチャヌ伯爵: マルコ・ディ・サピア
フェレンツ・フォン・ケレケス(フェリ・バチ): アクセル・ヘルリヒ
シルヴァ・ヴァレスク: アンドレア・ロスト
シギ・グロス: ボリス・エダー
シャンドール・フォン・キッシュ: ダニエル・オーレンシュレーガー
ウィーン・フォルクスオーパー管弦楽団
ウィーン・フォルクスオーパー合唱団
ウィーン国立バレエ団
ウィーン国立歌劇場ステージオーケストラ
ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演、カールマンの《チャールダッシュの女王》、その初日を聴いた。1929年生まれのルドルフ・ビーブルの指揮を聴く機会、もうそんなに多くないだろう、というのが一番の理由。もうひとつは、カールマンの魅力を教えてくれたのが、ビーブルとフォルクスオーパーによるこの演目だったということ。
この日も、ビーブルは30年以上も前のことを思い出させてくれた。
彼の音楽づくりの絶妙なこと、歌手が歌いやすいようにテンポを変える、ほんの少しルバートをかけることで音楽の表情が豊かになる。チャールダッシュが始まれば、客席から腰が浮き上がる。87歳の指揮者、テンポはいくらかゆっくりしてきているだろう。しかし、それが音楽的なゆるみとなることはなく、オーケストラの音色の変化や歌の表情の細やかさにつながっている。
今回の歌手では、シルヴァ・ヴァレスクを歌ったアンドレア・ロストが頭抜けていた。50歳を少し超えたくらいで、まだまだ大きな劇場でも歌えそう。ハンガリー人の彼女がこの役を歌いたかったのだろうか? 以前の来日公演ではシャンドール・ネメットのフェリ・バチの舞台での存在感が強く、そのイメージと較べて、アクセル・ヘルリヒが弱いと思えたが、本来はこの程度の役割なのだろう。シュタージを歌ったベアーテ・リッターは30歳前後のソプラノ、この劇場の専属歌手のようだが、今後伸びていきそう。
歌手の個性やオーケストラのスキルという点では以前の公演にはかなわない部分もあるが、この曲は、ビーブルを「呼んでいる」。
以前の公演を見たときはぼんやりとしか感じ取れなかったのだが、ロベルト・ヘルツルの演出(音楽再構成)は第一次世界大戦という時代の転換点をはっきりと舞台上で示していた。
序奏の中間に挿入された登場人物たちの歌い継ぐ<ヨイ・ママン>、エドウィンのウィーンへの召喚。そして最後の場面でのワルツ、多くのカップルが踊るなか、フェリが一人で踊っている。その背景で、舞台全体が赤くそまり、「古き良き」ヨーロッパの終焉をみせていたことに30年も経って、ようやく気付いた。
2014年の第一次大戦100年の年、その戦後処理の無理が一気に噴き出した2015年の難民問題。
1985年の日本公演のCD、2008年ころに再発されたものを入手し聴き直してみた。序奏への<ヨイ・ママン>の挿入、最後の場面の音楽構成など、演出の基本的なところは変わっていないことが分かる。
フォルクスオーパーが30年以上も基本的に同じ演出を使い続けていること、そしてそれを支える聴衆の存在、そんなことも考えさせられる公演であった。
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♪ヨハン・シュトラウスⅡ世《こうもり》
2016年5月18日 東京文化会館ゲネプロ
Photos by林喜代種(Kiyotane Hayashi)
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♪フランツ・レハール《メリー・ウィドウ》
2016年5月26日 東京文化会館
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)