撮っておきの音楽家たち|マキシム・ヴェンゲーロフ|林喜代種
マキシム・ヴェンゲーロフ(ヴァイオリン奏者)
2016年5月19日 オーチャードホール
5月21日 東京オペラシティコンサートホール
photos & text by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
マキシム・ヴェンゲーロフは現在41歳。「100年に一人の天才ヴァイオリニスト」とか「この若さで今世紀の巨匠である」とプログラム冊子にある。
2013年に始まった「マキシム・ヴェンゲーロフ フェスティヴァル」は今年第4回目を迎えた。種々のプログラムが用意されていた。「ヴェンゲーロフ&グリモー 協奏曲の夕べ」「ヴェンゲーロフ&グリモー デュオ・コンサート」「ヴェンゲーロフ〜福島への祈り」、そして「ヴァイオリンの極み」として10代の若者たちのプレミアム・コンサートではストラディヴァリウスのヴァイオリンの魅力をプレゼント。
1974年8月ロシアのシベリア州ノヴォシビルスク近郊で音楽家の両親の元に生まれる。4歳からヴァイオリンを始め、6歳でベリオ作曲のヴァイオリン協奏曲でデビュー。ノヴォシビルスク音楽院付属高校でザハール・ブロンに師事。10歳でヴィエニヤフスキー国際コンクール・ジュニア部門優勝。1989年ブロンが西ドイツのリューベック音楽院教授に転任すると、同地に移住。1990年カール・フレッシュ国際ヴァイオリンコンクール優勝。天才少年ヴェンゲーロフの名は世界に知れ渡った。この時期に技術は習得し得たとしてブロンから離れる決意をする。16歳以降は誰からもレッスンや助言を受けることなく自分が目指す音楽家としての道を進んだ。最も自分に厳しい音楽家の一人である。
作曲をシチェドリンに師事する。一家でイスラエルに移住して国籍を取得。ソ連当局からの制限を受けることなく、世界の著名コンサートホールでのリサイタルと主要オーケストラとの共演を続けている。
日本へは1988年13歳の時、四分の三サイズの楽器を携えて来日。母親と35歳の指揮者ゲルギエフ、教師のブロン、そしてKGBも同行。ソ連政府に全ての活動を管理されていた時期で外貨獲得のための国家音楽家として派遣された。ヴェンゲーロフ母子が受け取ったのは300米ドルだった。
自分を音楽家に導いたのは母親。先生と呼ぶのはロストロポーヴィチとバレンボイムの二人。最近では指揮も行い、2017年12月にはチャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」でオペラ指揮者としての活動が始まる。