珠玉のリサイタル&室内楽 弦楽万華鏡(ストリングス・カレイドスコープ) produced by 水谷川優子~ソロから6重奏まで|大河内文恵
珠玉のリサイタル&室内楽 弦楽万華鏡(ストリングス・カレイドスコープ) produced by 水谷川優子~ソロから6重奏まで
2016年4月9日ヤマハホール
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by Ayumi Kakamu /写真提供:ヤマハホール
<演奏>
水谷川優子(チェロ)
マーク・ゴトーニ(ヴァイオリン)
双紙正哉(ヴァイオリン)
柳瀬省太(ビオラ)
安藤裕子(ビオラ)
渡邉辰紀(チェロ)
二瓶真悠(ヴァイオリン)*
小山あずさ(ヴァイオリン)*
<曲目>
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV1007
B.マルティヌー:バイオリンとチェロのための二重奏曲 第1番 H.157
E.ドホナーニ:弦楽三重奏曲「セレナード」 ハ長調 Op.10
~休憩~
P.I.チャイコフスキー:弦楽六重奏曲「フィレンツェの思い出に」 ニ短調 Op.70
(アンコール)
A. ピアソラ(山中惇史編曲):リベルタンゴ*
休日の昼下がり、銀座のホールでのコンサート。心地よい音楽で日頃の疲れを癒すひとときを心待ちにして集ったと見受けられるマダムや壮年のカップル。柔らかなグラデーションのドレスをまとった水谷川がふわりとあらわれ、『無伴奏チェロ組曲 第1番』を、丁寧にフレーズを紡ぎ出しつつ無理なく自然に奏でてゆくさまは、高級婦人雑誌に「極上リラックスの時間」といったキャッチコピーつきで載っていそうな佇まいだった。そう、そこまでは。
次にゴトーニとともにあらわれた水谷川は、先ほどまでとはまるで別人。マルティヌー『二重奏曲』の激しく音のぶつかりあう冒頭、協和と不協和をせわしなく行き来する二重奏など変幻自在なテクスチャーを、いかにも合わせているという素振りをまったく見せず、それでもピタリと合わせてくるところはさすがである。水谷川のソロ部分も息の長いフレージングで聴きごたえがあった。
つづくドホナーニ『セレナード』は、ビオラの柳瀬を加えた3人編成。メンバーが1人増えただけで、音楽の幅がぐっと広がり、ドホナーニのもつ叙情性が第2、第4楽章でとりわけ際立つ。アンサンブルの達人が3人揃うと、ここまですごいことができるのかと目を開かれる思いであった。先のマルティヌーにくらべ、際立ったところのない「ごく普通の曲」なのだが、この3人にかかると、表面的ではなく心の底を揺さぶる癒しの威力が発揮される。
休憩後は、チャイコフスキーが晩年に作曲した弦楽六重奏曲『フィレンツェの思い出に』。やや唐突な感じで全楽器によるトゥッティで曲が始まると、しばらくは大きな音の塊にしか聞こえなかったのだが、ゴトーニのソロが出てくるあたりから、各楽器の掛け合いが心地よくなってくる。と同時に、同種楽器がそれぞれ異なる音色で個性豊かに響き始める。各奏者の音が耳に馴染んでくると次のトゥッティでは、ただの音の塊ではなく、6つの楽器による豊穣なる音響体となって迫ってくるのだった。それぞれの奏者みな熱演なのだが、決して暑苦しくなくむしろ、音楽のうねりに身を任せていると各10分ほどの1楽章も2楽章もあっという間に終わってしまった。
さらに3楽章の中間部では、同時期に作曲されていたバレエ音楽『くるみ割り人形』を思わせるフレーズが耳に飛び込んできて、さながら「ダンサーのいないバレエ」の様相を呈し始める。4楽章になると民族的な響きが支配的になる一方、一瞬、『白鳥の湖』に似た断片が顔を出し、躍動感はさらに勢いを増す。全プログラム終了後にマイクを握った水谷川が「贅沢なメンバーが 集結」「この会場で一番幸せだったのは私」と話したが、会場じゅうが、上っ面ではない本物の「贅沢」と幸福感に包まれていたように思う。
1、2、3、6人による音楽を、それぞれの魅力を最大限に生かして聴くことができたコンサートのアンコールは、さらにヴァイオリン奏者2名を加えた『リベルタンゴ』。山中惇史による編曲は、弦楽器のみによるお行儀のよいタンゴではなく、「バンドネオンが入らなきゃリベルタンゴじゃない」なんてまさか言わないよね?と主張しているかのような、濃厚なアレンジで、若い2人が加わったことでさらに熱気が上昇した。「ヤマハホールなのに、ピアノ弾かなくて、、、いいんですか?」(水谷川談)というところから始まったというこの企画、室内楽の面白さを存分に味わえる満足度の高いものであった。