“ポーズ・デジュネ シリーズ”第1回 小林愛実|丘山万里子
“ポーズ・デジュネ シリーズ”〜美味しい音楽のある生活〜
第1回 小林愛実(ピアノ)
2016年4月20日 東京オペラシティ コンサートホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
<曲目>
モーツァルト:デュポールのメヌエットによる9つの変奏曲 ニ長調K.573
ドビュッシー:『版画』から
<パゴダ><グラナダの夕べ><雨の庭>
リスト:『巡礼の年第2年 イタリア』から
<ペトラルカのソネット第123番>
<ダンテを読んで>(ソナタ風幻想曲)
(アンコール)
ショパン:ノクターン 嬰ハ短調(遺作)
午前11時すぎ、オペラシティのホールに向かい、誘い合ってきたらしい中高年の女性客、夫婦、ところどころ若者たちが混じってぞろぞろエスカレーターを昇ってゆく。
KAJIMOTOが新たに始めた《“ポーズ・デジュネ シリーズ”〜美味しい音楽のある生活〜》は、最近とみに増えたランチタイム・休憩なし1時間のコンサート。(11時半開演)
第1回、小林愛実のリサイタルは、6割がた客席が埋まり、なかなかのスタートである。
現在20歳の小林は、東京/フィラデルフィア在住のピアニスト。14歳でCDデビュー、天才少女と騒がれ、2015年ショパン国際コンクールでは日本人唯一のファイナリストとなった。
私は東京フィルハーモニー交響楽団2月定期でチョン・ミョンフンの代役(モーツァルト『ピアノ協奏曲第23番』)に登場したのを聴いたばかりだが、当日会場での「ミョンフンの弾き振りなし」の告知に落胆が大きかったので、正直、印象が薄かった。
ところが。
モーツァルトの変奏曲のテーマ、小さなアーチを描いて粒音がころころとまろび出た途端、あ、そうそう、この音だった、けど、断然、今日の方がいい!と、思わず吸い寄せられる。
「モーツァルト——歌う音階!だがその歌はすべてを歌う」と吉田秀和は言ったが(私はこの言葉がとても好き)、まさに、小林のピアノはその通りのモーツァルト。音階の上下行だけで、素敵に歌う。これは得難い。丁寧に読み込んだフレージング、自然な息遣い、モーツァルトがひらひらと手を裏表に返しながら繰り出す9つの変奏を、実に表情豊かに明晰に弾き分けた。全体を、ほんのりロマンティックな、それもこの年齢ならではの色合いに染めて。
ドビュッシーはこれとは全く違うタッチ。
滲み、ぼかし、音の輪郭が溶け、重なり、微妙な配色の紗幕を音に次々にかけてゆくようなファンタスティックな<パゴダ>を描き出す。<グラナダの夕べ>は、少しハバネラのリズムがもったりしすぎの感もあったが、同一音型を緻密に、音楽的に処理していた。<雨の庭>の“net et vif”も、文字通り、生気にあふれた敏捷さ。
一方、リスト。とりわけ最後の<ダンテを読んで>。このいささか通俗的なリストらしさ全開の曲、ピアニスティックな効果を知り尽くした作曲家の「どうだい!」という、ふんぞり返り顔が私の好みではないのだが(あくまで私の、である)、小林は、その通俗性をまるきり感じさせずに、鮮やかに弾ききった。何がそれを生んだか?
スコアへの、清潔な眼、だろうか。作品にも、聴き手にも媚びない、きちんとした自己管理。どうしてそう感じたか?
どこを取っても、音の切り上げ方が綺麗だから。妙に浸ったり、断ち切ったり、という小細工をせず、絶妙に減衰をコントロールする。
この清潔さを持ち続けることが、多分、これからの小林にとって大切なのではないか、と思ったことだ。
<ダンテ>を弾き終えて、まだハアハア息を切らせている小林に、次回出演のソプラノ天羽明惠がインタビュー。「朝早いのに申し訳ないです」と客席に礼をいう小林にみんな笑顔と拍手。
終演後、三々五々散ってゆく聴衆はこれから楽しくランチでもするのだろう。豊かで、平和な情景だった。