東京混声合唱団第239回定期演奏会|藤堂清
東京混声合唱団第239回定期演奏会
~今蘇る不朽の名作 東混60周年前夜祭~
2016年3月18日 第一生命ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
<演奏>
指揮:下野竜也
ピアノ:浅井道子(*+)
エレクトーン:大竹くみ(*+)
打楽器:高橋明邦、加藤博文(*)
<曲目>
ピツェッティ:無伴奏混声12声部のための 『レクイエム』(1922)
三善晃(詩:萩原朔太郎):『トルスII』(1961年委嘱作品)(*)
ブルックナー:モテット集より
「うたえ、舌よ」(1868)
「この場所は神によりつくられた」(1869)
「エッサイの枝が」(1885)
「王の御旗が進みゆく」(1892)
松村禎三(「リグ・ヴェーダ」より/訳詞:林貫一):『暁の讃歌』(1978年委嘱作品)(+)
————–(アンコール)—————–
内蒙民歌/松村禎三(編曲):「牧歌」
下野竜也を指揮にむかえた東京混声合唱団の定期演奏会、プロの合唱団として今年で創立60年となるこの団体、多くの委嘱作品を生み出し、その積み重ねが大きな財産となっている。この日は、三善晃の『トルスII』と松村禎三の『暁の讃歌』の二曲が取り上げられた。
一曲目におかれたピツェッティの『レクイエム』は、無伴奏の合唱のために書かれ、「レクイエム」、「ディエス・イレ」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」、「リベラ・メ」の5曲からなる、死者のためのミサ典礼文を用いた作品。「サンクトゥス」では12声部を3グループに分け(舞台上でも曲間に移動)3つの合唱がポリフォニックに歌い交わす。このように一つの声部が2~3人となるような場合、合唱とはいっても個々人の力量が求められるが、彼らはそれに十分応えていた。あまり上演機会のないこの曲が聴け、ピツェッティのルネサンス期までさかのぼる作風が感じられたのは収穫であった。
三善晃の『トルスII』は朔太郎の詩、「殺人事件」と「見えない兇賊」の二編を用いている。ピアノと電子オルガン(楽譜にはエレクトーンと表記)、打楽器が加わる。合唱と器楽は独自性を主張するように動き、時としてぶつかりあうように聞こえる。後の作品である『響紋』などでは、器楽(オーケストラ)の重みが増えているが、類似した響きが聴こえるように感じる。互いに聴きあって合わせることがむずかしい場合、指揮者の力が発揮される。下野のコントロールは的確で、合唱も歌いやすかったのではないか。
ブルックナーのモテットのうち4曲が取り上げられた。歌詞はすべてラテン語。敬虔なカトリック教徒であった彼の信仰心を伝えるものだろう。
最後のブロックで演奏された『暁の讃歌』は、オリジナルの器楽編成ではなく、演奏機会を増やすため松村自身が編曲した、器楽パートをピアノと電子オルガン(エレクトーン)に縮小した版で演奏された。インドをイメージさせるメロディー、音色、日の出にむけて盛り上がっていく合唱、下野と東京混声合唱団の共同作業が、聴衆を高揚させていった。
委嘱作品の中から、他の合唱団で歌われるものも出てきて、日本の合唱の拡がりを支える役目を担っている。<今蘇る不朽の名作>というサブタイトルの<蘇る>を不要にするには、合唱の世界に閉じずに、幅広い聴衆を獲得することも必要だろう。音楽監督、山田和樹の手腕に期待したい。
演奏自体は高いレベルのもので十分満足できるものだったのだが、コンサートの運営で残念な点があった。2曲目を始めるためにエレクトーンを設営した際にケーブルに問題が発生し、聴衆を客席に座らせたまま努力していたがなかなか解決せず、だいぶ経ってから「休憩を前倒しする」というアナウンスがあった。こういった不測の事態がおこることをなくすことはむずかしいだろうが、そういったときにどのように対応するか、ある程度考えておくことも必要だろう。
<還暦>をむかえた<東混>の今後への期待を込めて、あえてふれさせていただいた。