宝塚ミュージカル《こうもり》|大田美佐子
2016年3月31日 宝塚大劇場
Reviewed by 大田美佐子(Misako Ohta)
<演奏>
脚本・演出 谷正純
作曲・編曲 吉崎憲治
音楽指揮 寺嶋昌夫
振り付け 尚すみれ
演奏 宝塚歌劇オーケストラ
ファルケ博士 北翔海莉
アデーレ 妃海 風
ガブリエレ・フォン・アイゼンシュタイン侯爵 紅ゆずる
ラート教授 汝鳥 伶
オルロフスキー公爵 星条海斗
レブロフ伯爵夫人 万里柚美
フロッシュ 美稀千種
フランク 十輝いりす
ロザリンデ 夢妃杏瑠
アルフレード 礼 真琴
イーダ 綺咲愛里
清く正しきエンターテインメント〜 あるいは分かりやすさの追求 〜
宝塚版の《こうもり》を観た。言わずと知れた、ワルツ王のヨハン・シュトラウス二世が美麗なワルツをちりばめて作った19世紀末のオペレッタ《こうもり》による、宝塚歌劇オリジナル版である。クラシック・ファンには馴染みが薄い方もいるかもしれないが、宝塚歌劇はこれまでブロードウェイミージカルのみならず、《カルメン》《アンドレア・シェニエ》《風と共に去りぬ》《ベルサイユのばら》など、オペラや映画、漫画など様々なジャンルの作品を脚色したオリジナルによって、あらためて独自の存在感を表している。今回の脚本と演出は、宝塚版《メリー・ウィドー》も担当した谷正純。ヨハン・シュトラウス二世のオペレッタ《こうもり》を翻案にしているものの、吉崎憲治によるオリジナルの楽曲も含めて再構成している。
宝塚とウィーン風オペレッタの世界には親和性がある。オペレッタの歌手は、「歌」「踊り」「演技」に加えて「容姿」と何拍子も揃うスターでなくてはならなかった。このように、すべてが「統合された」芸術が、ブロードウェイのエンターテインメントの世界へ大きな影響を与えてきたことは想像に難くない。その基盤には、ネストロイなどが活躍したウィーンの「民衆劇」があり、ウィーン民衆劇の役者たちも、演技力と味わいのある歌唱力が武器だった。そして、そのネストロイはヨハン・シュトラウスにオッフェンバックを紹介し、彼がワルツ王からオペレッタへと踏み出したきっかけを作った人である。ウィーン民衆劇からウィーン風オペレッタ、ミュージカルへという波及の背景を考えると、宝塚のスターたちは、究極の「万能なエンターテナー」であるオペレッタのスターとも比肩出来る逸材なのである。
ウィーンの町がオペレッタのセットのような歴史性を湛えるように、音楽学校と大劇場のある宝塚歌劇の本拠地は、最寄り駅に降りた瞬間に「劇場の赤い絨毯」が始まるといわれるような、非日常的な夢を演出する独特な世界である。帝国劇場や日生劇場などの劇場の町、日比谷にしても叶わぬような、宝塚の父、小林一三鳴り物入りの舞台セットといえる。
今回、3幕構成のオペレッタを1時間半というスビード感で駆け抜けるにあたっては、「わかりやすさ」への工夫が随所にみられた。まず、《こうもり》という題名の由来を分かりやすくするように、この脚本・演出では原作にはない三つのプロローグが置かれ、念入りに物語の背景が語られた。プロローグの舞踏会の場面では、北翔海莉演じるファルケ博士が虹色の光り輝くこうもりの羽の衣装で登場。続く舞踏会後のウィーン女神公園のシーンでは、ファルケとアイゼンシュタインという二枚目男役二人の大ボケ大会、コミカルなシーンが展開される。その後、ファルケ博士の研究室の場面では、壮年のラート教授が登場。囁きかけたい相手にしか聞こえず、聞いた相手には話しかけられた相手が不明という、「空耳スピーカー」なる装置が出て来て、智慧を授けたりする。ラート教授は笑いものにされたファルケに対して「復讐はあくまでも愉快に」と忠告し、プロローグは「愉快な復讐劇」という物語のテーマ全体に重要な役割を担った。
プロローグが終わると、ようやく原作のスタート地点、アイゼンシュタイン侯爵邸へ。ここでは、宝塚のスターシステムに合わせて、物語が整理された。つまり、星組トップスターの北翔海莉演じるファルケ博士の恋の相手として、娘役トップの妃海風演じるアデーレが浮上する。ロザリンデの不倫相手、音楽教師のアルフレードとの場面や、ロザリンデとアデーレの階級社会の確執を背景にしたバトルは行われない。アルフレードはアイゼンシュタイン侯爵家の執事であり、アデーレを誘惑し、<乾杯の歌>を歌う。アデーレ、アイゼンシュタイン、ロザリンデの三重唱も歌われない。コミカルな役柄として登場する弁護士のブリントや刑務所長のフランクなどが、華麗な宝塚の男役スターによって演じられるのを観ると、あらためてヨハン・シュトラウス作品の台本が、階級社会の生臭い現実問題をかなり露骨に扱っていたことに気づかされた。
しかしながら、「宝塚の演出は宝塚ファンのためにある」という点が肝要であり、スターの個性を輝かせる舞台づくりのための選択肢も明らかだ。まず、原作のなかで題名となった割に影の薄かったファルケ博士をアデーレと恋する二枚目に、対照的にアイゼンシュタインを好色の愛すべき二枚目半として描いた。また、常にプロダクションの話題をさらってきた喜劇役者の「特別枠」、三幕目の主役と言っても過言ではない看守のフロッシュも「はみ出しもの」の存在感は希薄で、あくまで「スター」を輝かせる脇役であった。強いていえば、オルロフスキー公爵は、そのエキゾチックで浮世離れした存在感が、原作では宝塚の世界にもっとも近い登場人物といえるかもしれない。それにしても、《こうもり》が主たるオペラ劇場のレパートリーとしてオペラ歌手が妙技を競うオペレッタであることを考えあわせると、眩いばかりの存在感を放つ北翔海莉をはじめとした宝塚のスターたちの素晴らしい歌唱力にもあらためて驚かされた。
そうして、様々な要素が「加減」され調整された宝塚版のミュージカル《こうもり》では、演出は徹頭徹尾、スターの個性を活かし、エンターテインメントとして「掛け値なく楽しい舞台」を届けるという理念に貫かれていた。百周年を超え観客を魅了し続ける宝塚は、日本の近代化の道のりを表象する象徴として、舞台や学校組織なども国際的に注目を浴びる存在だ。観客の中にも、女性だけでなく男性や外国からの観光客が増えているようだ。こうして原作の《こうもり》と宝塚的「古典の解釈と展開」を俯瞰してみるのも、「演出の時代」ならではの、宝塚歌劇の楽しみ方のひとつなのかもしれない。