ルドルフ・ブッフビンダー ピアノ・リサイタル|佐伯ふみ
2016年3月4日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 三浦興一/写真提供:すみだトリフォニーホール
<演奏>
ルドルフ・ブッフビンダー(ピアノ)
<曲目>
J.S.バッハ:イギリス組曲第3番ト短調BWV808
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第21番ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53
シューベルト:ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D960
2012年以来4年ぶりのソロ・コンサートを、すみだトリフォニーホールだけの単独公演で。ウィーン・フィルと共にベートーヴェンの協奏曲全曲を弾き振りした演奏(2013年)が非常な高評を得たのを受けて実現したリサイタルである。いまや独墺ピアノ界を代表するピアニストとの呼び声も高い。期待して出かけた。
確かに、透明感と輝かしさを併せもった美しい音色、手がたい音楽運びと落ち着いたステージマナー、アンコール曲の選択など、すべての面で高い水準の演奏家であることは間違いないのだが…… 一体どうしたことだろう、このテンポは? バッハも、ベートーヴェンも、シューベルトも、特に出だしの楽章(バッハにおいては「プレリュード」)が、なぜそんなに急ぐのか、いぶかしく思うほど速い。そのテンポでも決してコントロールを失わない手腕はさすがと言うべきだろうけれど、じっくり味わいたかった大きなフレーズも、小さな細部の1つ1つに宿る音楽的な意味も響きの魅力もすっとばし、前のめりに先へ、先へ。ようやく落ち着いてきたのが、最後のシューベルトのスケルツォあたりからだろうか。
弱音の響きの美しさや、細かな音符の指さばきは本当に見事で、たとえばベートーヴェンの第3楽章の長大なトリルのシーンなど得もいわれぬ美しさ。惚れ惚れと聴き入った(しかしその後の主題回帰の場面がまた速すぎて、これでは「回帰」の意味が伝わってこない)。一方で、大きなエネルギー、激情を必要とする部分では、いささか物足りない。象徴的だったのはシューベルトの最後で、少ない小節数のなかで、突然のように、最後の気力を振り絞って激情をほとばしらせる場面。破綻なくまとめているのだが、もう少し雄渾な壮大さ、深さがほしいと思う。
アンコールでは、なにか解放感のようなものがあったのだろうか、伸び伸びとして、ゆとりを感じさせる演奏を聞かせてくれた。ベートーヴェンの『悲愴ソナタ』の第3楽章、バッハの『パルティータ』第1番の終曲、そして最後はアルフレート・グリュンフェルトによるトランスクリプション『ウィーンの夜会』(ヨハン・シュトラウス2世のオペラ『こうもり』より)。生粋のウィーン人、という触れ込みがなるほどと腑に落ちる、華やかで小粋な音楽で客席をわかせていた。