クリスティアーネ・カルク|藤堂清
2016年3月10日 王子ホール
Reviewed by 藤堂 清
Photos by 林喜代種( Kiyotane Hayashi)撮影:3/14@東京文化会館
<演奏>
クリスティアーネ・カルク(ソプラノ)
マルコム・マルティノー(ピアノ)
<曲目>
シューベルト:
「音楽に寄す」 D547
「春の神」 D448
「ギリシャの神々」 D677
「糸を紡ぐグレートヒェン」 D118
「君こそわが憩い」 D776
モーツァルト:
「魔術師」 K472
「すみれ」 K476
「鳥よ、年ごとに」 K307
「寂しい森の中で」 K308
「静けさはほほえみながら」 K152
「スザンナは来ない・・・どこにあるのかしら?
優しさと喜びの あの美しい時は」(『フィガロの結婚』 K492より)
—————–(休憩)———————-
ブラームス:
「湖上で」 op.59-2
「私の恋は緑にもえ」 op.63-5
「ひばりの歌」 op.70-2
「永遠の愛について」 op.43-1
R.シュトラウス:『4つの最後の歌』 AV150
「春」/「九月」/「眠りにつくとき」/「夕映えの中で」
—————(アンコール)——————-
R.シュトラウス:
「あおい」 AV304
「モルゲン」 op.27-4
澄んだ声がまっすぐに体をつきぬけていく。ヴィブラートが少なく安定した音程、美しいドイツ語。余計なことを考えずに彼女の<うた>の中に入り込む。
ドイツのソプラノ、クリスティアーネ・カルクのリサイタル。35歳の彼女、オペラでも活躍しているが、最近はリサイタルやオーケストラ・コンサートで名前をみることが多い。
日本でのリサイタル・デビューとなるこの夜のプログラム、前半はシューベルトとモーツァルト、後半はブラームスとR.シュトラウスの歌曲。オペラからは一曲だけ、前半の最後に、『フィガロの結婚』から伯爵夫人のレチタティーヴォとアリアが歌われた。
はじめのブロックのシューベルト、最初の「音楽に寄す」の”Du holde Kunst,”というひそやかな歌い出し、その響きの美しさ、一言一言が、第一節の歌詞にある”eine beßre Welt entrückt!”そのままに聴衆を引きこんだ。高音域でも、強く歌っても、声の純度は保たれる。
「ギリシャの神々」の最後、”wo bist du?”を繰り返し、ディミヌエンドして終わるが、その二度目はこだまが帰ってきたかのように、色を抑えて歌った。
第二ブロックのモーツァルトの歌曲では、フランス語、イタリア語の歌が歌われた。こちらは言葉の扱いがドイツ語の場合のように細やかにはいかず、少し表面的なものに感じられた。また、持ち役ではない伯爵夫人を歌ったが、いずれスザンナから役を変えていく日はくるだろうが、もう少し声の成熟を待ってからでよいと思う。
後半も充実していた。
ブラームスの歌曲、とくに「永遠の愛について」でのダイナミクスの大きな歌に圧倒された。大きな声が出ることよりも、いかに弱声を美しく響かせるかの方が表現の幅をひろげる上で重要ということ。
R.シュトラウスの『4つの最後の歌』のピアノ版は、この日のピアニスト、マルコム・マルティノーによる編曲。オーケストラの多彩な音色と比較しては気の毒だが、リサイタルの曲とするには不足はない。歌手にとってはこちらの方が細かな表情がつけやすいだろう。カルクのシュトラウスは色彩感にあふれるもので、単語ごとに微妙に明るさを変化させ、それでいて作為的と感じさせる場面がない。
アンコール2曲はともにR.シュトラウス。彼の本当に最後の作品である「あおい」(マリア・イェリッツァに贈られた作品)と「モルゲン」。前者は実演で聴く機会が少ないので、うれしかった。
クリスティアーネ・カルク、まだまだ伸びていく人だと思う。あるインタビューの中で、“Meine Stimme sagt mir, was ich singen kann und was nicht”と語っている。この精神があれば、無理な歌や役に挑戦することはないだろう。成長を楽しみに見守りたい。