尾池亜美 ヴァイオリン・リサイタル|佐伯ふみ
東京オペラシティ リサイタルシリーズ:B→C
尾池(伊藤)亜美
2016年2月16日 東京オペラシティ リサイタルホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<出演>
尾池亜美(ヴァイオリン)
佐野隆哉(ピアノ)
桒形亜樹子(チェンバロ)
<曲目>
池辺晋一郎:ファンタジー
清水昭夫:狂詩曲
ルクー:ヴァイオリン・ソナタ ト長調
タルティーニ:ヴァイオリン・ソナタ ト短調「悪魔のトリル」
吉川和夫:プレリュードⅢ「氷の岬の守りの木」
バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ第1番 ロ短調 BWV1014
自然体の魅力
2015年秋の結婚を機に、アーティスト名を「伊藤」に変えるという尾池亜美。筆者は2013年秋に東京・大久保の淀橋教会でリサイタルを聴き、とても印象に残っていたので、オペラシティの定評あるリサイタル・シリーズ「B→C(ビートウーシー)」に登場するというので楽しみにして出かけた。驚くことに、このプログラムで満員の熱気。尾池ファンのみならず、このシリーズそのもののファンがいるようだ。集中して演奏に聴き入りつつ、客席は終始、温かな雰囲気に満たされ、心地よい演奏会となった。
前半はピアノ、後半はチェンバロ。現代曲で始まり、締めがバッハのスタンダードな名曲。この構成がまず良かった。
幕開けの池辺『ファンタジー』(1986年作曲)は、ヴァイオリンを習っていた愛娘の発表会のために書かれた作品とのことで、平易でありながら華やかさもあり、豊かな情感を湛えた佳品。尾池のヴァイオリンは、現代ものの演奏にありがちな独特の気構えや、自分をよく見せようという気負いがなく、無心で作品そのものの本質に迫ろうとするもので、改めて好感を持つ。間奏の佐野のピアノも実に美しく繊細。 一転して不穏な表情で始まる清水の『狂詩曲』(2014年)は、重音の激しいパッセージなどもあるが、尾池は決して、現代曲の演奏にありがちな、ギシギシと弦が軋むような、叩きつけるような演奏はしない。といって、常に美しい響きにこだわるというわけでもない。楽譜に書かれてある音楽をどう表現するかに、集中している。現代ものはこう、バロックはこう、という決めつけがないこと、そしてヴァイオリンの音が尾池にしか出せない響き(素直でかつ芯の強い)を確固としてもっていること。これはありそうでない、稀有の美質ではないかと思う。
ルクーの『ヴァイオリン・ソナタ』(1892年)は、フランク→ダンディを受け継ぐ輝かしい大曲。このルクーと清水の作品では、佐野のピアノにもう少し芯のある強さを求めたいと思った。非常に繊細に、ヴァイオリンの音楽にぴたりと寄り添う素晴らしい演奏なのだが、「伴奏者」に徹しているかのようで、惜しい気がする。もっと前に出てほしい、とくにルクーの作品ではケレン味もほしい。第3楽章の後半から吹っ切れたように激情を見せて、存在感を発揮。
休憩時、ロビーで談笑する聴衆の耳に、美しいヴァイオリンの音が響いてきた。どこから? と耳をそばだてる人々。意外にも外からロビーに入ってきた尾池が、人の輪の真ん中で目を閉じ、その場の空気に音で応答するような即興的なフレーズを奏でる。やがてホールに小走りで飛び込むと、舞台上では桒形がチェンバロで尾池に応答している。よく見るとプログラムに、「即興演奏〈能動的3分間〉」とあった。面白い。
後半は、タルティーニ『悪魔のトリル』(1700年代)をチェンバロと一緒に。なかなか珍しく聴き応えあり。
吉川『プレリュードⅢ 氷の岬の守りの木』はフルート/チェンバロの作品(1985年)をヴァイオリン用に改訂(2015年)した版の初演。ことさらにドラマティックではないのに、聴き終わって、まるで長い長い旅をしてきたかのような、独特の時空の広がり、風の匂いを感じさせる作品である。もういちど聴きたいと思わせる魅力的な音楽。
締めのバッハBWV1014は、品格と落ち着き、そしてバッハが盛り込んだ創意工夫の数々を堪能できる、立派な演奏だった。桒形のチェンバロのしっかりとした支えと、ヴァイオリニストを刺激し、インスピレーションを与える力をまざまざと感じさせる。
アンコールは珍しくもソルフェージュの課題曲(マルセル・ビッチ作曲)という、才気あふれる魅惑的な小品。