ヤナーチェク『イェヌーファ』(新制作)|佐伯ふみ

イェヌーファヤナーチェク『イェヌーファ』(新制作)

2016年3月11日 新国立劇場
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

指揮:トマーシュ・ハヌス
演出:クリストフ・ロイ
美術:ディルク・ベッカー
照明:ベルント・プルクラベク

合唱:新国立劇場合唱団
管弦楽:東京交響楽団

<キャスト>
ブリヤ家の女主人:ハンナ・シュヴァルツ(メッゾ・ソプラノ)
ラツァ:ヴィル・ハルトマン(テノール)
シュテヴァ:ジャンルカ・ザンピエーリ(テノール)
コステルニチカ:ジェニファー・ラーモア(メッゾ・ソプラノ)
イェヌーファ:ミヒャエラ・カウネ(ソプラノ)
粉屋の親方:萩原潤(バリトン)

長く記憶に残る美しい舞台

ベルリン・ドイツ・オペラで2012年に初演されたプロダクション(シュテヴァ役を除き主要な歌手陣もすべて同じメンバー)。この作品は、チェコの代表的作曲家レオシュ・ヤナーチェク(1854~1928)の9つのオペラのうち第3作目にあたり、代表作の1つ。1903年に完成、1904年にボヘミア国民劇場で初演され、何度か改訂されたのち1908年に出版されている。全3幕、チェコ語、台本は、ガブリエラ・プライソヴァー(1862~1946)の戯曲『あの女(ひと)の育てた養女』をもとに作曲家自身が執筆。近年、ヨーロッパでの再評価がめざましいヤナーチェク・オペラだが、プログラムの関根礼子氏の解説によると、『イェヌーファ』の日本での上演は、1976年の若杉弘/長門美保歌劇団による日本初演を嚆矢として、今回で5度目とのことである。

チェコの寒村を舞台に展開される物語は、実に重く暗いが、幕切れは一転して希望と愛を感じさせる。最後の最後で鮮やかに世界を一変させる作劇の巧みさ、人間というものに対する深い洞察、愛とは何か、罪とは、赦しとは何か、という根源的な問いかけとそれに対する答え。それを台本と音楽で表現しきったヤナーチェクの力量に圧倒された。さらに演出のクリストフ・ロイの創意とセンスの良さ、作品に対する理知的で深い理解に感嘆させられた舞台であった。

登場人物は限られているが、人間関係は複雑である。ブリヤ家の一族なのだが、血のつながりがあったりなかったりという暗い過去のいきさつが、悲劇の遠因となる。大ベテランのハンナ・シュヴァルツが威厳をもって演じるのが、ブリヤ家の女主人(祖母)。声を出す場面は限られているが大きな存在感を示す。その次男トマシュの娘が、タイトルロールのイェヌーファで、村でいちばん美しい若い娘。次男の後妻でイェヌーファの継母にあたるコステルニチカ。コステルニチカは若い頃からトマシュを愛していたが、トマシュは別の女性と結婚しイェヌーファが生まれる。その後、妻をなくしたトマシュはコステルニチカを後妻に迎える。喜びも束の間、トマシュは放蕩の末に若死にし、信仰篤いコステルニチカは、教会で働きながら、血のつながらない娘を育てあげる。一方、ブリヤ家の長男には2人の遺児がいた。実子のシュテヴァはハンサムで村娘たちの人気者だが、道楽者で酒癖が悪い。妻の連れ子ラツァは、単純素朴な男であるが、祖母がシュテヴァばかり可愛いがって、血のつながりのない自分は不当に扱われてきたと不平をもらし、愛に飢えた一面を見せる。

イェヌーファがシュテヴァと恋愛関係になり、妊娠したことから悲劇が始まる。第1幕、徴兵検査に行ったシュテヴァの帰りを待ちながら、もし兵役につくことになったら結婚できないとイェヌーファが気をもんでいる。村の若者たちと賑やかに帰還したシュテヴァは酒に酔い、金で徴兵を免れたとうそぶいている。それを見たコステルニチカは不安になって2人の結婚を禁じ、1年間彼が酒におぼれずにいられたら考え直すと言い渡す。困ったイェヌーファはシュテヴァを説得するが、彼はとりあわない。密かにイェヌーファを熱愛しているラツァはこれを見て、シュテヴァが愛しているのはイェヌーファの美しい頬だけだと彼女を挑発し、言い争いのあげく、イェヌーファの美しい頬に大きな傷を負わせてしまう。

第2幕、イェヌーファは、世間体をはばかるコステルニチカに、村を離れているという名目のもと半ば監禁され、ひそかに男の子を産み落とす。コステルニチカは父のない子供などこの上ない不名誉と考え、イェヌーファに睡眠薬を飲ませて眠らせ、その隙にシュテヴァを呼んで結婚するよう説得する。しかしシュテヴァはイェヌーファもコステルニチカも嫌だ、すでに村長の娘と婚約したと告げ、子供のために金は払うが世間には知られないようにしろと言い放つ。入れ違いにやってきたラツァは、これまでに何度もコステルニチカを訪ね、イェヌーファの顔を傷つけたことへの後悔の念と、彼女への変わらぬ思いを告げていたが、シュテヴァの姿を見て疑念を抱く。説明に窮したコステルニチカは、イェヌーファが実はずっとこの家にいて、子供を産んだと彼に告げる。大きな衝撃を受けるラツァ。もしイェヌーファと結婚できたとしても、憎い異父兄の子供を自分が育てなければならないのか? コステルニチカは思わず、赤ん坊はもう死んでしまったから……と口走る。ラツァを去らせたあと、コステルニチカは苦しみつつ、自分の言葉を実現してしまう。コステルニチカは「娘の名誉のために」と言葉では言うが、その行動には、かつて愛する男の後妻となり、恋敵の遺した娘を育てなければならなかった辛い過去が反映している。赤ん坊を抱き、雪の中を外へと出ていくコステルニチカ。

目覚めたイェヌーファは、誰もいない家の様子をいぶかりつつ、幼子の将来を思い、聖母マリアに祈る。戻ってきたコステルニチカは、赤ん坊の居場所を訊ねるイェヌーファに、彼女が高熱に浮かされて眠っていた数日の間に赤ん坊は死んでしまったと告げる。驚愕し、苦悩するイェヌーファ。戻ってきたラツァに愛を告げられたイェヌーファは、呆然としたまま結婚を承諾する。

第3幕、結婚式のお祝いに村人たちが次々と訪ねてくる。シュテヴァとその婚約者もやってくる。ラツァとイェヌーファが教会に出かけようとした矢先、家の外で、子供の遺体が発見された!と叫び声があがる。赤ん坊がつけていた帽子を見て、我が子だと悟るイェヌーファ。人々は彼女が子供を殺したと騒ぎ始める。黙していたコステルニチカがついに、自分がやったと声を振り絞る。娘を守るつもりだったが、実は自分の名誉しか考えていなかった、と。シュテヴァは無言で部屋の隅にうつぶしている。イェヌーファは継母の言葉が真実であることを悟り、なんとつらい人生かとつぶやくが、やがて、自分にこれ以上ないほどの苦悩を与えた継母のために、神に赦しを乞う。

コステルニチカも村人たちも去った家でひとり残ったラツァに、「自分はあなたにふさわしい花嫁ではない、自由になってほしい」とイェヌーファは告げる。そして「あなたは自分が今まで出会った人の中でいちばん素晴らしい人だった」と言う。その言葉を聴いたラツァは、少ない言葉だが力強く「君から離れない、これから何が起こっても耐えてみせる」と言う。彼女は圧倒されて立ち尽くし、そしてラツァの手をとって歩み始める。「それならば一緒に来て! この愛は神様もお喜びになる愛、ますます大きくなって私をあなたのもとへ導く」。

机と椅子が1つずつしかない、白い簡素な部屋。場面に応じて、左右の壁が自在に伸び縮みして空間が狭くなったり広くなったりし、登場人物の心理や置かれた立場を見事に暗示する。背景は、第1幕では深い青色の空と一面の麦畑で真夏を示し、第2幕では、雪と氷に閉ざされた真冬、そして第3幕では、氷が溶け出している初春の風景を、一目瞭然で示す。正面の壁面も常に動き、扉や窓の位置を変えていく。極限までむだを削ぎ落とした、実に効果的で美しい装置。イェヌーファの衣裳も、第1幕では無鉄砲な恋にひた走る若い女を象徴する深紅、母となった第2幕ではベージュと薄いピンク色の温かで優しい風合い、そして第3幕では、結婚式にもかかわらず、まるで葬式のような墨色。しかしこの最終幕のイェヌーファはなんと美しかったことか。恋を失い、産んだ子供を亡くし、村いちばんの美貌も頬の傷のために失って……これ以上ないほどの苦しみのなかで、イェヌーファは成長し、真の愛とは何かを悟っていく。その力強いドラマを、非常にわかりやすく、品格をもって伝えてくる演出である。

ヤナーチェクの音楽は、冒頭から連打されるシロフォンなど、場面や心理を象徴的な音響/音型/フレーズが随所に散りばめられ、歌手と管弦楽のモティーフの交わし合いなども、実に巧み。管弦楽は十分にドラマティックだが、歌を決して邪魔せず、どれほど陰鬱なシーンにおいても美しさを失わない。時折挿入されるゲネラル・パウゼ(完全な沈黙)も効果的。ヤナーチェクの音楽は、規則的な刻みが時にうるさく耳についてしまうのだが、筆者がこれまで聴いたヤナーチェク作品の上演(『利口な女狐の物語』、『マクロプロス家のこと』)の中で、このトマーシュ・ハヌス指揮の東京交響楽団の演奏は最良であったと思う。

歌手陣では、コステルニチカのジェニファー・ラーモアが迫真の演技、イェヌーファのミヒャエラ・カウネ、ラツァのヴィル・ハルトマンも演唱ともに素晴らしかった。シュテヴァのザンピエーリは疲れだろうか、第1幕の登場シーンですこし精彩を欠いたようだ。日本勢では萩原潤の演唱が海外の歌手たちに劣らず、存在感を発揮していた。

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