カデンツァ|ほんとうの科学|丘山万里子

ほんとうの科学

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

この2月11日に重力波観測成功のニュースが世界を駆け巡った。私はちんぷんかんぷんで、凄いことらしい、くらいしか分からなかったけれど、アインシュタインの100年前の予言、という言葉に惹かれ、ちょっとだけ調べてみた。
ナショナルジオグラフィック日本版サイト「重力波、世紀の発見をもたらした壮大な物語」はとても魅力的だ。

「100年におよぶ壮大な探し物に、ついに決着がついた。科学者たちはレーザーと鏡を使って、時空のさざ波“重力波”を直接観測することに成功した。
この重力波は、地球から約13億光年の彼方で、2つのブラックホールが互いに渦を巻くように回転して衝突したときに発生した。ブラックホールの1つは太陽の36倍の質量を持ち、もう1つは29倍の質量を持っていた。
重力波は池に生じたさざ波のように宇宙を広がり、2015年9月14日、地球上に設置された4組の鏡の距離に、ごくわずかだが測定可能な変化を引き起こした。」

これが重力波の観測成功となったわけだ。
「ブラックホールどうしが合体する直前には、宇宙の全銀河のすべての星々が放出するエネルギーの総和の50倍も大きなエネルギーが放出された」そうだ。
記者会見で、カリフォルニア工科大学のデビッド・ライツィー氏は「宇宙が初めて重力波という言葉で私たちに語りかけてきたのです」と述べた。観測していた科学者たちは、「2つのブラックホールが死んで合体するときに聞こえると予想されていた特徴的な“さえずり音”を聞いた」のである。
ルイジアナ州立大学のガブリエラ・ゴンザレス氏は、「私たちは重力波の音を聞き、宇宙の音を聞くのです。宇宙は目で見るだけでなく、耳で聞くものになったのです」と説明している。

宇宙が、時空の“さざなみ”、重力波という言葉で語りかけてくるなんて、130億光年彼方から届いたその“さえずり”を聞くなんて、ファンタスティックだ。宇宙が、見るだけでなく、聞くものになったなんて、なんだかワクワク。

にしてもこの重力波をアインシュタインは1916年に予言していた。
私たちは通常、時空の伸び縮みを感じない。時間は一様に流れているし、風景が伸び縮みすることもない。「それでも重力波は、今この瞬間にも私たちの体を通り過ぎているのです。」(カリフォルニア工科大学アラン・ワインスタイン氏)
通常、感じないけれど、体を通り過ぎている時空のさざなみを、アインシュタインがどう“実感”あるいは“直感”したのか。
こういうことは、抽象論でなく、“実感”もしくは“直感”なしには、決して語り得ないことだと私は思う。

2014年、99歳で亡くなったチェリスト青木十良との会話(丘山万里子編著『翔べ未分の彼方へ チェリスト青木十良の思索』)で、アインシュタインのことを氏はこう言った。
「彼はヴァイオリニストでしたけど、彼が音楽家でなかったら、相対性原理は思いつかなかった。リタルダンド、ラレンタンドの世界に入ると、なんか違う大きな星まで歩いてきちゃって、またそこでくるっと回って地球に戻ってくるっていう感じになります。その落下と、帰ってゆくカーブ、その曲線が、太陽の光のカーブに似ている。音楽の宇宙的原則で、それをアインシュタインは知っていた。」

子供の科学創刊号青木が7歳のとき、アインシュタインが来日している。小学生の青木の夢は核物理学者だった。9歳のとき読んで感動した『子供の科学』の創刊号(1924年)の刊行の辞はこうだ。

「この雑誌の一ばんたいせつな目的は、ほんとうの科学というものがどういうものであるかを皆さんに知っていただくことであります。ちかごろは“科学科学”とやかましくいいますが、ほんとうに科学というものを知っている人は、沢山ないようです。人は生まれながら、美しいものを好む心を持っておりますが、それと同じように、自然のもの事についてくわしく知り、深くきわめようとする慾があります。昔から、その慾の強い人々がしらべた結果、自然のもの事のあいだには、沢山の定まった規則があることがわかりました。科学ということは、この規則を明らかにすることであります。〜〜この規則を知ることによって、人間は、自然にしたがって、無理のないように生き、楽しく暮らすことができ、これを応用して世が文明におもむくのです。」(『チェリスト、青木十良』大原哲夫/飛鳥新社より)

すごいと思いませんか?「ほんとうの科学」とはこういうものだ、と子どもたちに語りかけるその言葉の凛とした美しさ。それに感動する青木少年。彼は当時、ゴミが出ない、いちばん綺麗なエネルギー資源と思われていた核エネルギーを学びたかったそうだ。「あんなきたないものがいっぱいでてくるとは知らなかった。」

アインシュタインは自分が招いた核の悲劇について深い悔恨とともに、こう語っている。
「わたしたち科学者は、人類を皆殺しにする方法をさらに陰惨で効果的なものにするという悲劇的な運命を背負ってしまいました。したがって、残虐な目的のためにその兵器が使われるのを全力で阻止することは、自分たちに課せられた絶対的な義務だと考えています。」
(『アインシュタインの言葉』弓場隆訳/株)ディスカヴァー・トゥエンティワン、以下出典同じ)

ともあれ、「ほんとうの科学」について、もう少し。
アインシュタインの言葉もこれと同じだ。
「科学の研究は、世の中で起こるあらゆることは自然の法則によって決定されるという考え方に基づいています。」
「科学の発見のプロセスは、不思議に思ったことを絶えず突き詰めていくことです。」
「自然を深く深く見つめてください。そうすれば、すべてのことがよりよく理解できるようになります。」

自然を深く深く見つめ、そこにある法則を知ろうとすること。
セザンヌも、「自然の研究だ、仕事だ。」と口癖のように言っていた。「円筒と球と円錐で自然を処理せよ。」という言葉には、セザンヌの見出した自然の法則がある。

そうして、青木もアインシュタインもこう言う。
青木、
「科学者は感性を、芸術家は知性を養わなきゃだめですよ。」
アインシュタイン、
「ある高い水準に到達すると、科学と芸術は、美的にも形式的にも融合する傾向があります。したがって、超一流の科学者はつねに芸術家でもあります。」
「わたしは直感とひらめきを信じています。ときには自分が正しいと感じますが、本当にそうかはわかりません。」
「あらゆる宗教、芸術、科学は、同じ木の異なる枝です。いずれも、人間を単なる肉体的存在から引き上げ、その生き方を高貴なものにし、個人を自由へと導くことを目的にしています。」

私が、青木との本のタイトルを『翔べ、未分の彼方へ』としたのは、まさにこの「引き上げ」、飛翔の“実感”からだ。それは、あつかましくも青木の練習台に、バッハを一緒に弾いていたとき、やってきた。自分のピアノと青木のチェロが、翼にのって空を舞う!空の高みに引き上げられ、魂の高貴に向け、自由に羽ばたいてゆく、その感覚。
いや、ほんとうの音楽を聴いたときも、こういう感覚は訪れる。
アインシュタインもまた、それを知っていた。
「人間も植物も宇宙の塵もすべて、はるかかなたの演奏者の奏でる神秘的な調べに合わせて踊っているのです。」
彼にはやはり、“調べ”、時空のさざなみ、その“さえずり”が聴こえていた。そのイメージが明確にあったのだ、と私は思う。

さて、今回の重力波の観測成功は、どのような新しい世界を切り開いてゆくのか。
重力波で宇宙を見ることは、人類が初めて赤外線やX線やマイクロ波の目で宇宙を見たときに匹敵する画期的な出来事だそうだ。
「人類は何千年も前から可視光で恒星や惑星を見て、その動きを観察してきた。けれども、初めて赤外線で見た宇宙は、星々が生まれてくる高温の塵の塊でいっぱいだった。X線で見た宇宙は星々の死骸だらけだったし、マイクロ波で見た宇宙はビッグバンの高熱の名残に満たされていた。観測に重力波を用いるようになれば、同じように天文学に革命を起こすことになるだろう。」

自然を深く見つめ、その法則を知り、それに従って無理無く生き、楽しく暮らす文明に貢献すること、それがほんとうの科学。この革命が人類に夢と希望をもたらすものであることを願う。

青木は小学校で、人間を育てる教育、校長先生の話から「真・善・美」を学んだという。箱のついた音叉を二つ持って来て、片方を一つ鳴らす。するともうひとつが共鳴する。そのように、人と人の間のさまざまな思想や感情の共鳴が社会と組織をつくる、と教わった。
アインシュタインは言う。
「わたしは日常生活ではひとりぼっちですが、真・善・美のために努力している人々のひとりであるという意識のおかげで孤立感を持たずにすんでいます。」

ほんとうの科学も、芸術も、宗教も、とどのつまりは「真・善・美」の追求にある。
宇宙の“さえずり”って、どんなだろう。
そう思いながら、耳元を撫でてゆく春風を、聴く。

<追記>
『チェリスト、青木十良』大原哲夫/飛鳥新社については本号書評をご覧いただければと思う。