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新日本フィル|戦争レクイエム|藤堂清

ハーディング新日本フィルハーモニー交響楽団
トリフォニーシリーズ#551
ベンジャミン・ブリテン:戦争レクイエム

2016年1月15日 すみだトリフォニーホール
Reviewed by 藤堂 清 (Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

<曲目>
ブリテン:戦争レクイエム
I. Requiem Aeternam
II. Dies Irae
III. Offertorium
IV. Sanctus
V. Agnus Dei
VI. Libera Me

<演奏>
指揮:ダニエル・ハーディング
ソプラノ:アルビナ・シャギムラトヴァ
テノール:イアン・ボストリッジ
バリトン:アウドゥン・イヴェルセン
合唱:栗友会合唱団
合唱指揮:栗山文昭
児童合唱:東京少年少女合唱隊
児童合唱指揮:長谷川久恵
コンサートマスター:西江辰郎
室内オーケストラ・コンサートマスター:崔文洙

すべての音が消え、ホールは静寂につつまれる。ゆっくりと指揮棒がおろされ、演奏者の動きが止まる。会場全体が共有した祈りの時間、過去の、現在の、あるいは未来の戦乱の犠牲者に対し黙とうを捧げた。
しばしの沈黙を破り、わきあがった熱い拍手は、この日の充実した演奏にふさわしいものであった。

『戦争レクイエム』は、1962年、イギリス・コヴェントリーの聖マイケル教会大聖堂の献堂式のために作曲、初演された。コヴェントリー市は、第二次世界大戦中の1940年、ドイツ軍の空爆により焼き尽くされ、多くの犠牲者を出し、14世紀に建てられたこの教会も、一部の壁を残して焼けおちた。
ブリテンはこの曲を、通常の「死者のためのミサ」典礼文と、第一次世界大戦で戦死した詩人ウィルフレッド・オーウェンの詩を組み合わせた形とした。典礼文が死者の平安を祈る一方、オーウェンの詩は戦場の悲惨な状況を歌う。ソプラノ、合唱、児童合唱は典礼文を、テノールとバリトンは室内オーケストラとともにオーウェンの詩を歌う。

舞台上手側前方に室内オーケストラを配置、それを取り囲むようにオーケストラが並び、その後ろに合唱団。テノールとバリトンは指揮者の左側で歌う。ソプラノは舞台の後ろの一段高い位置にあるオルガンのそば。そして児童合唱は三階客席に配置された。
腰をかけたまま合唱が “Requiem aeternam” と静かに歌い出し、児童合唱が入ってくる。一階席で聴いていると児童の歌が天からふってくるようで、通常のコンサートでは感じることができないような空間的な拡がりにつつまれた。
テノールが “What passing-bells for these who die as cattle?” とオーウェンの詩を歌い始める。それは「永遠の安息をあたえたまえ」という合唱たちと対峙し、それを否定していくようである。ここでのイアン・ボストリッジの歌は、戦争の実際を聴衆に突きつける、「小銃のガダダダいう連射音」「泣き喚く砲弾」といった具合に。この日の彼は、いつも以上に一つ一つの単語をていねいに扱い、強調するところでは大胆であった。その結果、このパートの歌のもつ厳しさがよりいっそう感じられた。
バリトンのアウドゥン・イヴェルセン、ソプラノのアルビナ・シャギムラトヴァは第2部 “Dies Irae”から登場する。バリトンの歌では少し英語が甘いと感じられたが、十分に役割は果たした。ソプラノが合唱より高い位置から響くことも、児童合唱の場合と同様、空間の三次元性を高める効果がある。同時に歌っていてもその声がうずもれてしまうことはない。
終曲 “Libera me” で、テノールとバリトンは、戦場で殺し、殺されたものとして歌う。そして、”Let us sleep now” と声を合わせる。それを受けて、ソプラノ、合唱、児童合唱が、”Requiem aeternam done eis, Domine” と死者の安息を祈り、全曲を終える。
ハーディングの指揮のもと、新日本フィルが緊張感にあふれる演奏を繰り広げた。児童合唱は三次元効果もあり良い演奏であった。合唱団には、もう一段の音程の安定があればと感じた。

詩を書いたオーウェンは第一次世界大戦の経験を描いた。曲を書いたブリテンは第二次世界大戦での犠牲者に対する思いを込めた。その初演から50年経った今でも、二つの大戦の負の遺産が中東をおおい、多くの死者と難民を出している。人類全体がこのような犠牲を生まないようにする知恵をもてないのだろうか?

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