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プラハ交響楽団 ニューイヤー・コンサート2016|藤原聡

pragプラハ交響楽団 ニューイヤー・コンサート2016

2016年1月18日 サントリーホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
プラハ交響楽団
指揮:ピエタリ・インキネン
独奏ヴァイオリン:成田達輝

<曲目>
シベリウス:交響詩「フィンランディア」op.26
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 op.64(ヴァイオリン:成田達輝)
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 op.92
(ソリスト・アンコール)
J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 ホ長調 BWV1006~プレリュード
パガニーニ:24のカプリース~第1番
(オーケストラ・アンコール)
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第10番 op.72-2
ブラームス:ハンガリー舞曲第5番

この度のプラハ交響楽団の3年ぶりの来日公演は、昨年9月より同オケの主席指揮者に就任したピエタリ・インキネンに率いられてのもの。この指揮者はわれわれにとっては日本フィルの首席客演指揮者としてもはやお馴染みとすら言えるが、今回の組み合わせではさて、どうか。1月18日のサントリーホール公演を聴く。

第1曲目はシベリウスの『フィンランディア』。指揮者の国籍からしてこの曲を持って来ることに意外性はないとは言え、プラハのオーケストラのシベリウス? という印象を持ってしまうのは彼らが来日公演ではいかに「お国もの」や中央ヨーロッパの作品を多く演奏しているのか、ということであろう。そしてその演奏は、しっかりとオケを鳴らしながらも決して力奏させずにふっくらと美しく響かせるインキネンの指揮の下、非常に音楽的にノーブルな演奏となっていた。終結部も徒(いたずら)にあおらず興奮せず、聴きようによっては随分あっさりしているとも言える。しかし、場合によっては極めてゴージャスなショウピース―音の洪水になってしまいかねない当曲を極めて純粋な形で音化していたことに好感を持つ(しかし、まだ若いのに落ち着き過ぎではと思わないでもない、という思いがあったことも正直に告白しておこう)。ちなみにオケは基本的にかなり上手い。どのパートも丸みを帯びて一切攻撃的に響かない。しかし指揮者の影響なのか、音色自体は意外にローカル色がない。中では木管―特にオーボエが非常に独特の音―、弦楽器の温かみある音色がすばらしい。

2曲目は成田達輝を迎えてのメンデルスゾーンの『ヴァイオリン協奏曲』。これは評価が分かれるソロだったと言える。「うた」に傾斜せず、こう言ってよければ1つ1つの音を「置きにかかる」。繋がっていかない。全くロマンティックではなく、抒情的でもない。もっと言えば即物的である。弾き急ぎもあり、音程も決まらない。弾き急ぎや音程はともかく、演奏者はこの解釈を狙って意図的にやっていたのか、と言えば恐らくそうではあるまい。ありていに言えば曲を読み切れていない、ということになるのだろうか。演奏者の意図しない形で表出された音楽がすばらしい、ということはむろんあることだが(会場はブラヴォーで沸いていたのだが、筆者のように聴いた人はあまりいなかった、ということか)。アンコールは2曲、J.S.バッハの『無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ』よりプレリュード、パガニーニの『カプリース第1番』。ここでの成田の方がよほど輝いて活き活きしていたのは明らかだ。

休憩を挟んで後半ではベートーヴェンの『交響曲第7番』。小細工を弄さない、極めてストレートな演奏だったと言える(ピリオド風味の味付けはほぼなし)。しかし、含みや内容にいささか乏しいという印象は拭えない。平板。第3楽章までをテンポ、表情ともにやや抑制し、一転して終楽章では快速テンポで大きなディナーミクで駆け抜けるというコントラストはなかなかに見事ではあったけれども…。ストレートな演奏がストレートさゆえの魅力をまだ獲得するに至っていない。オーケストラ・アンコールも2曲。ドヴォルザークの『スラヴ舞曲第10番』、ブラームスの『ハンガリー舞曲第5番』。当夜のインキネンはこのアンコールがベストだった。端正な表現で「コブシ」を強調するような行き方とはまるで違うのだが、ここは抜群のセンスで聴かせてしまう。

なお、筆者のインキネン実演は当夜が初。日本フィルを振ったコンサートは毎回評価が高いし、CDに聴くシベリウスの交響曲もかなりの名演と思ったのだが、当夜は曲目との相性、あるいは演奏者のコンディション(この日、彼らはマチネー公演も行なったのだという。ダブルヘッダーというわけだ)もあったのか、その真価はまだ分らず、というところ。今後、要・定点観測。

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