グザヴィエ・ドゥ・メストレ ハープ・リサイタル|佐伯ふみ
2016年1月8日 紀尾井ホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
グザヴィエ・ドゥ・メストレ(ハープ)
<曲目>
ペシェッティ(メストレ編):ソナタ ハ短調
モーツァルト(メストレ編):ピアノ・ソナタ第16番ハ長調K.545
グリンカ:歌劇「魔笛」の主題による変奏曲 変ホ長調
リスト(H・ルニエ編):2つのロシア民謡 より 第1番「アリャビエフの夜鳴きうぐいす」
タレガ(メストレ編):アルハンブラの思い出
デ・ファリャ(M.グランジャニー編):歌劇「はかなき人生」より スペイン舞曲
チャイコフスキー(E.ワルター=キューネ編):歌劇「エフゲニー・オネーギン」の主題による変奏曲
ドビュッシー:2つのアラベスク/月の光
スメタナ:(H.トゥルネチェック編):交響詩「わが祖国」より ”モルダウ”
ハープの新地平を切り拓く 実験の気概にあふれたリサイタル
フランス・トゥーロン生まれのメストレ(Xavier De Maistre)は9歳からハープをはじめ、1998年にUSA国際ハープ・コンクールで優勝した翌年に弱冠25歳でウィーン・フィルのソロ・ハープ奏者に就任(2010年まで在任)。ハープと言えば優雅な女性の楽器、というイメージをくつがえす男性ハーピストの誕生、さらにウィーン・フィル入団と話題性は十分で、日本でもその情熱的な演奏ぶりがテレビで紹介されて、知名度は抜群である。
筆者も以前から映像でこの人の演奏を聴いて(見て)いたが、その表情も身体の動きもハーピストとは思えない激しさ、音楽への深い没入ぶりは官能性すら帯びていて、見てはいけないものを見たというくらいの衝撃だった。音楽そのものよりもそのインパクトのほうが強く、リサイタルでもそのようだったら少々困るなと思いながら出かけたものである。
そうして初めてまともに演奏を聴いた舞台上のメストレは、表情も動きもストイックと言っていいくらい端正な佇まい。黒を基調にした着衣も身体の線をくっきり表すシンプルなもので、喝采に応えて袖から舞台へ、弾むように走り出てくる姿は、爽やかというか、いっそスポーティなのである。あのインパクトある映像は多分にパフォーマンスであったか。
「ハープを弾く男性」という、ある種特殊な存在として、どのように自分を見せるか、音楽を聴かせるか、人並みの音楽家以上に考えぬいているのだろうと思った次第である。
よけいな前置きが長すぎたが、その彼がどんな音楽をやりたいのかは、当夜のプログラムに十分に示されていた。ハープ1台で2時間弱のリサイタル。演奏家たちには申し訳ないが、最後にはいささか飽きてくるというのが正直なところ。やはり音色の面で単調さを感じさせるのは否めない。しかしメストレの2時間は飽きなかった。よく言われるように、男性ならではのパワーが十二分に生かされていて、実に繊細で美しい弱音(これがメストレの音でもっとも特徴的かもしれない)から、たとえば『モルダウ』終曲の壮大な轟音まで、実にレンジの広い多彩な音色を持っている。
さらに加えて、ハープでモーツァルトのピアノ・ソナタとは! その大胆なチャレンジ精神。自らの編曲で、ハープという楽器のレパートリーを拡張していこうというその気概がいい。実のところ前半はまだエンジンが暖まっていない様子、モーツァルトには少し綻びもあって、なるほどこういうものもありか、といった感想。しかし曲が進むにつれ調子をあげ伸び伸びとしてきて、聴き手のほうも、楽器を越えて、音楽そのものに集中していく。休憩前のグリンカ、リスト、タレガ、デ・ファリャ、そしてオネーギンの幻想曲では3部構成のコントラストが実に鮮やかで、真ん中の華やかな舞踏会のシーンは本当に素晴らしかった。
アンコールは2曲。ゴドフロワの『ヴェニスの謝肉祭』、ハチャトゥリアンの『トッカータ』(『2つの小品』第2曲)。規定のプログラムを終えてほっとしたかのように、表情も身体も動きが大きくなり、あの映像の没入ぶりの片鱗がすこし見られた。
聴衆に、一挙手一投足を見られながら音楽するのは、むしろ異常な体験といえる。音楽家でこのことに遂に慣れない人もいる。メストレは人並み以上にヴィジュアルで見せる(魅せる)音楽家であるが、一方で、誰にも見られずに音楽に没頭していたい、というところも併せ持つ人かもしれない。オープニングで感じたひりひりするほどの緊張感を思い出し、そんなことを思った。