藤原歌劇団 ヴェルディ 仮面舞踏会|谷口昭弘
藤原歌劇団 ヴェルディ 仮面舞踏会
2015年12月6日 Bunkamuraオーチャードホール
Reviewed by 谷口昭弘(Akihiro Taniguchi)
写真提供:公益財団法人日本オペラ振興会
<出演>
公演監督:折江忠道
指揮:佐藤正浩
演出:粟國 淳
リッカルド:藤田 卓也
レナート:森口 賢二
アメーリア:山口 安紀子
ウルリカ:二渡 加津子
オスカル:オクサーナ・ステパニュック
シルヴァーノ:大石 洋史
サムエル:田中 大揮
トム:別府 真也
判事:狩野 武
アメーリアの召使:納谷 善郎
合唱:藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
典雅な舞台上に展開される儚い恋愛、華麗な貴族社会の裏に潜む愛憎劇など、魅力的なヴェルディ中期の傑作《仮面舞踏会》を堪能した。
山口安紀子のアメーリアは、第2幕冒頭のアリアなど、禁断の恋と言ってしまえば単純だが、それがいかに複雑な心理に包まれているのかを実感させた。声なき心の叫び、祈りなど、そこには理性と相入れないものが多く盛り込まれており、音楽的にも彼女の歌唱が大きな意味を持っていた。苦悩するアメーリアの姿は第3幕においても、スケールの大きなドラマに貢献することになった。
藤田卓也のリッカルドも、多面的な人物像を表現していた。第1幕では知事・総督として威厳を保ちつつ、第2幕では、どこかしら若さを残した一途さを、アメーリアとの二重唱で訴えてくる。彼の高声域はよく響き、軽やかで艷やかだが、決して軽薄にはならない。第3幕ではリッカルドの後悔の念も示しつつ、最後まで尊厳を持った人物像を保っていた。
森田賢二のレナートは幕によって異なる性格を演じ分けた。第2幕までは頼りになる家来というよりも、リッカルドに対する父親的存在のように振る舞う。ところが第3幕になると、豹変したように、力強く、輝かしい声を披露する。最初は重要な役なのにもっと主張してもいいのではと感じていたのだが、忠実な家来という役回りを第2幕までしっかりと穏やかに演じたからこそ、第3幕の愛憎劇に身を通じて一気に爆発する怒りや憎しみが音楽の上でも必然的になったのだろう。
オクサーナ・ステパニュックのオスカルは声量の上で若干寂しい思いをしたが、彼女の声のキャラクターが重要な役回りをしていることは明らかであり、単純なコミックリリーフではなく、またご都合主義的に生み出された登場人物ではないということを信じてさせてくれた。
一方、二渡加津子のウルリカは、衣装のおどろおどろしさとは裏腹に、あくまでも身の上相談役であり、やさしさを持つ存在として歌われていた。不吉な運命をもたらす魔女ではなく予言の能力を持った一人の人間なのだという立ち位置に共感できるものだった。
佐藤正浩指揮の東京フィルは、独唱・合唱の魅力を存分に支えつつ、細かに編みこまれたモティーフを聴かせることにも気を配りつつ、ドラマ転換点を大切にしながら、気持ちのよい響きを聴かせていた。
舞台中央に階段を配した舞台は、粟國淳の演出に合わせ、アレッサンドロ・チャンマルーギによって2013年のプロダクションのために準備されたもの。時代設定に即したセットが、楕円形に切り取られた枠の中に置かれている。この楕円には、登場人物の心象風景やドラマの文脈によって様々な彩りが与えられ、またリアリスティックな舞台の切り取り方によって奥行きが変化したりする。場合によっては追加のセットが後方に追加されることもあり、遠近法をうまく有効に活用したものだった。最終幕では、そのモダンな楕円の縁取りにより豪華な衣装が引き立つ上に、照明効果も細かく使われ、特定の人物にスポットライトが当たったり、前方が明るくなったり、細かな操作があった。その様は、映画のカット割りの連続のようだった。
今回の公演は、2013年2月、ヴェルディ生誕200年記念公演で組んだ好評のプロダクションを再現したもので、充実の声楽陣に支えられ、時代設定を大切にしながら新たな試みをも盛り込んだ、多くのオペラ・ファンにとって満足できる舞台だったといえるだろう。