パリ・東京雑感|終末を招き寄せるテロリスト パリ11・13金曜事件|松浦茂長
終末を招き寄せるテロリスト パリ11・13金曜事件
text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
1月にパリの風刺新聞が襲われたとき、アラブ出身者の中には「ムハンマドを侮辱するマンガを描いたのだから自業自得」と溜飲を下げた人も多く、アルカイダのテロリストはフランス社会の亀裂を深めるのに成功した。11月13日の無差別テロはどうだろう。イスラム圏出身者に密かな快感を与えるどころか、彼らを絶望させたのではないか。
自由を求めてモロッコから移り住んだ小説家アブデラー・タイアさんは、その夜モロッコの姉からの電話で事件を知った。「パリは戦争よ。あんた無事?家から出ちゃだめ。4,5日は家にあるもので食いつなぐのよ。分かったわね。」姉さんの慌てぶりにあきれたアブデラーさんは、しかし、外に出てひっそり静まり返った通りを見たとき、戦争はどこか遠くの出来事ではない、パリに戦争がやってきたと気付いたそうだ。「16年前、同性愛者として生きる希望を失い、モロッコを去った私は、ここパリに自分自身のために闘うことの出来る空間を見出した。しかしいまやどこにも自由の地はない。どこで生きれば良いのだ?」と。
テロリストが特権階層の住む保守的住宅地を狙わず、雑多な文化が混在する開放的な11区を狙ったのは、アブデラーさん達の夢見た自由・寛容を憎んだからだ。政治学者のドミニク・モイジは、「彼らが我々を襲ったのは、フランスがマリ、リビア、イラク、シリアでイスラム過激組織と戦ったためか、それともフランスが最初に政治空間から神を排除した自由で民主的な国だからか?狙いは我々の軍事行動なのかそれとも我々の生き方、あり方そのものなのか?」と問いかけている。
パリで暮らしたことのある人は、気が滅入るとき通りに出るだけで不思議なくらい気持ちが明るくなるのを経験したはずだ。町並みの魅力のせいもあるが、人々の表情、小さな触れあいが落ち込んだ心を癒してくれる。買い物の目的は商品を買うだけでなく、おしゃべりのチャンスでもあるので、住宅地の小売店は健在だし、週2~3回市の立つ日の通りはごった返す。友人の日本人教授は毎年パリに来たが、「研究も観光もしない。町をぶらつくだけさ。気持ちが落ち着いてよく眠れるからね。」と言っていた。わがままなくらい自分らしさを大切にし、同時に人なつっこいパリジャン・パリジェンヌが「自由に生きる」ことを空気のように醸し出す、そんな町を作り上げたのである。テロリストが憎んだのは、自由・民主主義の抽象的理念よりも、この日常の自由な空気なのだろう。彼らの狙い通り、事件後の土曜、日曜のパリでは市場も禁止された。
金曜の晩のつつましいくつろぎの雰囲気と、そろって同じ自爆用爆弾を体に巻いたテロリストの姿はなんというコントラストだろう。生の充溢とそこに突入したカミカゼ=死の衝動の化身との不気味なコントラストだ。20歳前後の若者が確実に死ぬと知りながら、なぜ数か所を攻撃する冷静さを保てるのだろう。彼らは作戦の前に麻薬を飲むという噂もあるが、イスラム国に詳しいジャーナリストによると、「麻薬を使う例は全く聞いていないし、麻薬は禁止されている。彼らは非常に高揚した気分で出発するから麻薬は必要ない」という。
日本の特攻隊はどうだったか。特攻隊の生き残りの証言によると、顔色は真っ青、酒でかろうじて恐怖をごまかしたという。周りの圧力で自殺攻撃に出た特攻隊と違い、イスラム国の兵士は自分の意志で自殺テロに参加し、死の恐怖を克服しているように見える。何がそれを可能にするのだろう。フランスの心理学者は、イスラム国の兵士志願者の目立った特徴として自殺願望をあげていた。しかし貧困や孤独に絶望して死を求めるのではなさそうだ。パリの11・13テロの主犯とされるアバウドは商店主の子で広いアパートに住み私立学校に入った。彼の場合、中退し不良仲間に入ったようだが、フランスからイスラム国に渡った若者の中には、教養ある豊かな家庭に育ち、学校の成績も良く、クラスの人気者だったという例も少なくない。自殺願望はどこからくるのだろう。
キリスト教の聖人伝を読むと、3世紀までは殉教者の物語が圧倒的に多い。殺されるのを気にかけないどころか、ことさらに異教の神像を侮辱して殉教する、言い換えれば自分が死ぬために他人の信仰心を傷つけ、挑発する行為まで記録され、聖人として讃えられている。なぜこれほどまでに死を求めたのだろう。人を殺す自爆テロと非暴力の殉教をごっちゃにするのは冒涜だが、信念のために死の恐怖が消えるという点、聖人伝によれば歓喜に輝く表情で死んで行くほどの高揚した気持ちになる点は共通する。もしかしたら、この「死の誘惑」の背景には世界の終わりは目前だという切迫した終末意識があるのではないだろうか。イエスの言葉として「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか」という謎めいた預言があり、キリストの再臨つまり終末は弟子の生きている間に起こるかもしれないとほのめかしているのだし、弟子達と初期教会は歴史の終末をすぐ目の前に感じていたに違いない。
他方、イスラム国の地域では今何が起こっているか。2007年から2010年にかけて温暖化の影響でシリアは記録に残る限り最悪の干ばつに見舞われ、130万人が被害を受けた。2009年には、雨が降らないだけでなく地下水が枯渇したため30万人の農民が土地を捨て、2010年にはシリア人の17パーセントが食糧不安に陥った。こうした事態に対し、2008年にEUの専門家は「気候変動は中東と北アフリカの社会・政治の安定を脅かす危険がある」と警告を発していた。この警告の中で、地球温暖化の影響を最も受けやすい地域とされたのがメソポタミアからレバントさらに北アフリカであり、これは警告から数年後に内戦、権力による殺戮と破壊、イスラム国の進撃によってカオスと化した地域とぴったり重なる。
しかも、地球温暖化の恐ろしさは、地球の表面を不可逆的に変えるだけでなく、私たちの意識を根本から変えるところにある。無限定の未来を持った時間意識から、「地球は限界に達し、人類が生存できる時間は限られている」と未来の閉ざされた時間意識への転換だ。日本の私たちは「人類の歴史に22世紀はないかもしれない」とぼんやり頭の中で想像するだけだが、大地に取り返しのつかない変動の起こった地域の人たちはどうだろう。自分たちの世代か次の世代には破滅が来るという生々しい終末意識に捉えられるのではないか。
アルカイダの攻撃対象はニューヨークの金融センターにしろ、シャルリーエブドにしろそれなりの思想が読み取れたが、イスラム国が何を狙っているのか不明瞭で、強いて言えば「文明の明るさ」そのものを憎悪し破壊したいように見える。しかもアエロフロート機を爆破し、どちらかと言えばイスラム国に寛大なロシアを敵に回すなど、ひたすら敵を増やし、孤立を深め、まっしぐらに自滅に向かっているようにさえ見える。自殺衝動に捉えられているのはイスラム国の兵士だけでなく、イスラム国という集団自体が自爆衝動に駆られているのかも知れない。切迫した終末意識は終末の到来をさらに近くに引き寄せようという衝動を生み、加速度的に自滅的作戦をエスカレートするのだ。イスラム研究の権威オリヴィエ・ロワは、イスラム国が永続拡張のうぬぼれによって突如崩壊する可能性を指摘し、「イスラム国の最悪の敵はイスラム国自身だ」と書いている。