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ゴーティエ・カプソン&児玉桃|佐伯ふみ

1127Concert Review

東京文化会館 プラチナ・シリーズ3
ゴーティエ・カプソン&児玉桃

2015年11月27日 東京文化会館小ホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ゴーティエ・カプソン(チェロ)
児玉桃(ピアノ)

<曲目>
シューマン:幻想小曲集Op.73(チェロ+ピアノ編)
ブリテン:チェロ・ソナタ ハ長調Op.65
ドビュッシー:チェロ・ソナタ ニ短調
ブラームス:チェロ・ソナタ第1番ホ短調Op.38

安定感抜群の児玉のピアノ、硬さが残ったカプソン

次世代のチェリストとして国際的な注目を集めているゴーティエ・カプソンに、ベテランの児玉桃を配し、新旧のチェロの名曲をたっぷり聴かせる贅沢な一夜。

期待して出かけたが、その期待は7割くらいの満足。
なぜかというと、前半、どういうわけだかチェロが鳴りきらず、開幕のシューマン(1849年作曲。以下同)などはとくに表現が硬く、内にこもった印象。チェロらしいふくよかな、あたたかな響き、迫力と繊細さの表現の振幅の大きさが、堪能できたとは言いがたい。どうしたのだろう? カプソンは心身に何らかの不調を抱えていたのだろうか?

それにひきかえ児玉のピアノの安定感、表現の多彩さはさすがで、どうしても目が(耳が)行ってしまう。特に前半のブリテン(1861年)は曲そのものが非常に面白いのだが、第4楽章「行進曲」におけるピアニストの最弱音のスケールが実に美しく、第5楽章「無窮動」のオクターヴの長大なパッセージには、さすがと唸らされた。存在感が今ひとつのチェロをリードするかのようなピアノである。

後半に入って、ドビュッシー(1915年)でようやくチェロが前に出てきた。表現の振幅が大きくなり、聴衆に伝えたいという意志も前面に。第4曲のブラームス(1865年)の第1楽章、無限に続くのではと思わせるような息の長い旋律を朗々と歌いきったのは見事だった。

このプラチナ・シリーズは、意欲的なプログラムに加えて、良い演奏者を選択し、その組み合わせの妙も楽しめる、興味深いシリーズである。前回聴いたのは2014年の堀米ゆず子やオーボエのシェレンベルガー他のアンサンブルだったが、実のところ、このときも今回と同じような感想を抱いた。曲目も演奏者も申し分ないのに、何かが足りない、十分に良さが生かされていない……。どの奏者もいい仕事をしているのだが、意外な組み合わせから生まれる新鮮な驚き、人の心に食い入ってくる熱のこもった音楽づくり、そういったものが希薄な感じがするのはなぜだろう? 惜しい。

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