カデンツァ|三善晃氏を偲んで|丘山万里子
三善晃氏を偲んで
text by 丘山万里子(Mariko Okayama)
photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
街に漂う金木犀の香りもいつの間にか消え、すっかり空気の冷たくなった秋の夕べ、2年前に逝去した三善晃氏を偲ぶ小さなコンサートがあった。遺言に、できたら三回忌くらいに室内楽作品でのインティメートな会を、とあったそうで、永福町のこじんまりしたホールにそれぞれの想いを抱いた人々が集った。
ステージ脇には小さな写真が置かれて。
プログラムは、演奏される機会の稀な珍しい作品も並ぶ。たとえば冒頭の『母と子のための音楽』(2002)。国立成育医療研究センターの病院内の音楽として作曲されたもの。<甘い><慰め><思い出><お話し><さわやか>の5曲で、氏は音楽療法にも眼差しを向けていた。チェロとピアノが優しくあたたかな歌を紡ぎ出す。氏との対話本『波のあわいに』で、「どこかに行くと、おいしい水が湧いているよ」という言葉があったけれど、そのおいしい水をそっとすくって口に含む感じ。「悲しいとか、苦しいとか、“哀”という字の感覚とか・・・。もちろん欣びも。」どんな小さな子どもにも、そういう感覚はあって、そこに氏の音は寄り添う。もう一つ、幼少の頃、病弱だった氏の枕辺での、母上の読み聴かせ。その音調が、そのまま宿っているようだった。
無伴奏チェロの『C6H』(1987)で、なぜか私はオペラ『遠い帆』の支倉六右衛門を思った。仙台藩の命を受けヨーロッパへ出航、受洗した彼が、7年がかりの苦難の旅の果て、帰国した頃にはキリシタン禁制となっていた物語。月ノ浦をでて、世界を巡り、また還る。私はハバナで彼の立派な銅像を見て驚いたが、メキシコ、スペイン、イタリア、フィリピンにもそれはある。むろん日本にも。氏はこのオペラを語りながら、日本からフランスへ渡り、彼我の相違に苦しんだ自分が、海は同じ、隔てなく、波はどの浜にも寄せては返す、と感じるようになった、と微笑していたのを思い出す。その小舟(支倉は立派な船だったが)の航跡を、チェロの音の弧は描くようで、私には舳先に立つ支倉と、氏の漕ぐ櫓が重ねて浮かんだ。母上の死と同時期に書かれた『チェロ協奏曲』(1974)で氏はチェロの響きを「母なる海」と言っている。そんなことも漠然と胸に浮かんだ。
桐朋の作曲、指揮、音楽学専攻に出されたピアノ初見課題曲『ピアノ小品集』(1992)より8曲は、これだものねえ、と自分の味わった地獄をまざまざと想起。私は音大受験を高校2年で決め、それからソルフェージュや聴音などを始めたのだから、こんな楽譜(三善課題にはたぶん出くわさなかったと思うが)見せられたって手も足も出ない。死ぬほど嫌な試験だった。しかも作者の目の前で弾くわけです。三善課題曲、ものすごい低音からパッとものすごい高音に飛ぶ、そんなの読めない、弾けない、クラスターなんて解読不能!(私だったら、だ)まったく、これらの試験をとにかくやり過ごし、卒業できたのが奇跡だと、改めて実感したのだった。
ピアノ曲『シェーヌ』は名曲だ。さすがの構成力とピアニズムの発露。どんどんピアニストたちに取り組んで欲しい。日本の音楽家は自国の名作を世界に広める責任感をもっと持つべきだ。
谷川俊太郎詩のシャンソン2曲『空』『よろい戸の奥』というのも初めて聴く。「天国でよりもあなたとは地獄であいたい」なんて台詞、ぐっとくるではないですか。『よろい戸』は「埃だらけの軍服があふれて・・・どうして恋が生まれるの こんな時代に」。こんな時代を共有した三善と谷川の「時代」と、今の「時代」をあらためて想う。またいつか、聴きたい曲。
『一人は賑やか』は、氏の愛唱歌。ご本人はどんなふうに歌ったんだろうか。
私の最初のまとまった評論は三善晃論だった。本にしたとき、あとがきで、こう書いた。
「これらの“論”は、私にとっては、作品と、その向こうに仄見える作家の魂への“恋文”だと言ってよい。ある日突然、打たれたように音と出会い、そこから想いを抱き続け、見つめ続け、長いことかかって、やっとまなざしが合ったように思う、その時までの少しずつの言葉の道のりである。五年とか十年とかのその間、私にしてみれば、そのひとと、私のぜんたいを挙げて生きる他ない時間であった。」
恋文を書ける作曲家と、出会い、同時代を生きることができたのは、幸福だ。
作品は、生き続ける。
これからもずっと、こうして、新たな出会いができる。
命は、継がれてゆく。
音楽家の方々、しっかり頼みますよ。
2015年10月17日@SONORIUM
<曲目>
「母と子のための音楽」(2002)「C6H」(1987) 「ピアノ小品集」(1992) 「子守歌」(1977/87) 「シェーヌ」(1973) 「エピターズ」(1975) 「ギターのための五つの詩」(1985) 「秋の風」(1963) 「りすの子」(1975) 「栗の実」(1975) 「貝がらのうた」(1977) 「空」(1994) 「よろい戸の奥」(1995) 「一人は賑やか」(1968)
※「秋の風」〜「貝がらのうた」は三善晃作詞
<出演>
山崎伸子vc、小賀野久美pf、鈴木大介gt、林美智子ms、浅井道子pf
( 2015/11/15)