デジレ・ランカトーレ ソプラノ・リサイタル|藤堂清
Concert Review
2015年10月27日 武蔵野市民文化会館 小ホール
Reviewed by 藤堂 清(Kiyoshi Tohdoh)
Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)
<演奏>
デジレ・ランカトーレ(ソプラノ)
浅野菜生子(ピアノ)
<曲目>
ロッシーニ :「約束」(『音楽の夜会』より)
ロッシーニ:「誘い」(『音楽の夜会』より)
ヴェルディ:「アヴェ・マリア」(歌劇『オテロ』より)
ドニゼッティ:「私の生まれたあのお城へ連れて行って」(歌劇『アンナ・ボレーナ』より)
ドニゼッティ:「私もその不思議な力を知ってるわ」(歌劇『ドン・パスクワーレ』より)
ショパン:ピアノ・ソロ
ドニゼッティ:「私は出発します」 (歌劇『連隊の娘』より)
グノー:「私は夢に生きたい」(歌劇 『ロメオとジュリエット』より)
—————–(休憩)———————
マスカーニ:「アヴェ・マリア」(歌劇 『カヴァレリア・ルスティカーナ』より)
ヴェルディ:「さよなら、過ぎ去った日々よ」(歌劇 『ラ・トラヴィアータ』より)
ヴェルディ:「あの人はまだ帰ってこない…この暗い考えを」(歌劇 『海賊』より)
ヴェルディ:ピアノ・ソロ
ヴェルディ:「ああ、そはかの人か~花から花へ」(歌劇 『ラ・トラヴィアータ』より)
—————(アンコール)——————-
ガーシュウィン:サマータイム(歌劇『ポーギーとベス』より)
ディ・カプア:オー・ソレ・ミオ
越谷達之助:初恋
シチリア民謡:まだお休みになっているあなた
プッチーニ:私のお父さん(歌劇『ジャンニ・スキッキ』より)
1977年イタリア・シチリア生まれのソプラノ、今回のリサイタルはプラハ国立歌劇場来日公演『ラ・トラヴィアータ』(ヴィオレッタ)のために来日した合間に行われた。
予定されたプログラムは、オペラ・アリアが9曲含まれるという重めのもの。ロッシーニの歌曲からはじめ、ヴェルディ、ドニゼッティ、グノーと歌っていく。明るく、細かなヴィブラートで音程も正確。7年前のリサイタルでは気になった高音域と低音域での声質の違いもなくなり、どの曲も安心して聴いていられる。コロラトゥーラ中心のレパートリーからリリコに移行しつつあるようである。『アヴェ・マリア』で、低音で語るように歌ったあと高い音へジャンプしていくところでも、響きの質は変わることなく、会場全体を包んでいく。アンナ・ボレーナの狂乱の場は前半のカヴァティーナだけであったが、後半の「邪悪な夫婦よ」(Coppia iniqua)も続けてくれれば、彼女の表現力の成熟ぶりがよりはっきりわかったのではないかと思う。前半の最後の二曲はコロラトゥーラのテクニックを必要とする曲、会場の反応はこういったものの方が大きい。彼女の喉休めのために弾かれた曲がショパンというのは、このプログラムの中では多少違和感。
後半の最初の曲は、『カヴァレリア・ルスティカーナ』の間奏曲に歌詞をつけたもの。彼女の声の美しさが引き立つ。『ラ・トラヴィアータ』からの二曲は、オペラの場面をそれぞれ浮かび上がらせる歌い分けができており、音楽表現の向上が感じ取れた。『ああ、そはかの人か~花から花へ』の前に演奏されたピアノ・ソロは、このオペラの第1幕への前奏曲から始め、いくつかの場面をつなぎ合せたもので、そのままこのアリアに入っていくという趣向、こちらは雰囲気が保たれていた。
熱狂的な会場の拍手に応え、アンコールが五曲。越谷の『初恋』というのは私にとっては驚きの選曲だった。アンコールの途中で、彼女自身、会場の反応に感極まっていたようだ。
ランカトーレは、1996年にザルツブルク音楽祭で『フィガロの結婚』のバルバリーナを歌っているというから、歌手としてのキャリアはすでに20年近くになる。早熟な彼女もいつの間にか30代後半、世界各地で歌っているがメジャーな劇場への出演はあまり多くない。テクニック的にはさまざまな役柄を歌うに十分だろう、また声自体も美しくむらがない。音楽面でもう一段の踏み込みがあればとは思うが、それもより高いレベルの中で磨かれていくものだろう。彼女がより上のキャリアを望んでいないのか、彼女のエージェントの限界なのか、このままで終わらせてしまうのは残念だ。