ジュリアーノ・カルミニョーラ|佐伯ふみ
Concert Review
2015年10月21日 トッパンホール
Reviewed by 佐伯ふみ(Fumi Saeki)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)
<演奏>
ジュリアーノ・カルミニョーラ(ヴァイオリン)
矢野泰世(ピアノ)
<曲目>
ストラヴィンスキー:イタリア組曲
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ ト長調 K379(373a)
シュニトケ:古い様式による組曲
モーツァルト:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ イ長調 K526
よく語り、歌うヴァイオリン ピアノの矢野泰世に瞠目
トッパンホールの「顔」の一人、カルミニョーラ。オープン15周年を記念するコンサート・シリーズに登場するにあたって、初めてモダン・ヴァイオリンの演奏を披露するという。古楽の魅力を広く知らしめた天才が、モダンでどのような演奏を聴かせるのだろう?
曲目がまず面白い。ストラヴィンスキーとシュニトケという、20世紀の前半と後半を代表する作曲家の作品二つ(作曲は1932年と1972年)。いずれも古典様式を模した作風で、18世紀の音楽へのオマージュと言える内容。そしてもう2曲は、正真正銘の18世紀音楽、モーツァルトのデュオ・ソナタ。
カルミニョーラは、パワフルなモダン楽器であっても、朗々と鳴らして響きそのものに酔いしれるような演奏はしない。細部までくっきりとしたアーティキュレーションで、すべてのフレーズ、すべてのリズムの意味を、説得力をもって伝えてくる。もちろん歌うところでは、いつもの艶やかで実に表情豊かな響きを堪能させてくれるのだが、印象に残るのは、音楽でしか語れない言葉を「語る」ヴァイオリンである。
20世紀の2曲はどちらも、古典の節度とバランス感覚を保った品格のある演奏。ただ、時折、古典から奇妙に逸脱していく和声や拍子の「破調」を、謎は謎のまま、時にユーモラスに、時に神秘的に、自然に提示していく。「現代もの」となると、先鋭的・刺激的な要素をあえて強調するような演奏が多いなか、この自然体には好感をもった。
冒頭、ストラヴィンスキーの「序奏」の終わりが、突然のように、終止形を形成せず宙ぶらりんのまま空間に消えていく。カルミニョーラはそれを、ぽん、と短く放り投げるように終えた。おや?と非常に印象に残っていたのだが、シュニトケの最終曲で同じように宙ぶらりんのまま曲を終えたとき、深く納得した。冒頭のストラヴィンスキーへの応答だ! まるで円環を閉じるように構成されたプログラムと演奏。心憎いばかりである。
このコンサートではもう一つ嬉しい発見があった。ピアニストの矢野泰世である。
20世紀音楽もモーツァルトも、自在に気負いなくこなし、ヴァイオリンとの音量バランスは非の打ち所がなく、出るところはすかさず出て、引っ込むところは引っ込む、その掛け合いの見事さ。スイス在住、定評ある伴奏者として盛んな演奏活動をおこなっているそうだが、日本人ピアニストでここまで素晴らしいデュオを聞かせる音楽家がいるとは。モーツァルトの天真爛漫なスケールのなんと美しかったことだろう。
カルミニョーラが終始、レディ・ファーストというだけでなく、矢野を前面に押し出しているのが印象的だった。ご当人は(きっと飾り気のない人柄なのだろう)すぐに後ろに引っこもうとするのだが、カルミニョーラはいささか強引。曲が終わるごとに手をとって前に押しだし、まるで「この人、すごいでしょう?」と言わんばかり。シュニトケが終わったときには遂に手にキスまでして賛嘆の情を表明するカルミニョーラ。女性ファンが多いせいか? 最初はちょっと戸惑いがちな客席。しかしそんなカルミニョーラの気持ちも十分納得できる、優れた演奏だった。