第793回、 第794回東京都交響楽団定期演奏会|藤原聡
Concert Review
♪第793回 東京都交響楽団定期演奏会Aシリーズ
2015年9月24日 東京文化会館
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)/24日公演のみ
<演奏>
指揮:オリヴァー・ナッセン
ヴァイオリン:リーラ・ジョセフォウィッツ
<曲目>
ミャスコフスキー:交響曲第10番 ヘ短調 op.30
ナッセン:ヴァイオリン協奏曲 op.30(2002)
ムソルグスキー(ストコフスキー編曲):組曲「展覧会の絵」
♪第794回 東京都交響楽団定期演奏会Bシリーズ
2015年9月29日 サントリーホール
<演奏>
指揮:オリヴァー・ナッセン
ピアノ:ピーター・ゼルキン
<曲目>
ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイヤーワークス op.22(1993)
シェーンベルク:映画の一場面への伴奏音楽 op.34
武満徹:精霊の庭(1994)
ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 op.83
聞くところによればナッセンが都響を指揮するのは今回が20年ぶりだというが、9月24日と29日にそれぞれ東京文化会館、サントリーホールで行なわれた2回の彼らのコンサートは非常に充実したものとなった。ナッセンとしても、また都響としても会心の演奏だったのではないだろうか。
まずは24日。第1曲目からしてレアな曲目、ミャスコフスキーの交響曲第10番だが、当日のプログラムでナッセンが興奮気味に語っているように実にユニークな傑作だ(初めて聴いたのだが、その面白さは瞭然)。プーシキンの叙事詩『青銅の騎士』とアレクサンドル・べヌアによるその挿絵にインスパイアされたという当曲は、冒頭からロシア・アヴァンギャルドそのものという先鋭な響きを聴かせるが、しかしそれは剥き出しのいかにもな「前衛」というよりはチャイコフスキー的な色彩感覚やスクリャービンを彷彿とさせる複雑な和声をも含み込んだ、非常に多重的で屈折した音楽として現れており、まさにそれが全体としては「ミャスコフスキー流」としか言えぬ音楽として成立している。ちょっと1回聴けば忘れないような独特な音楽である。この曲によって東京文化会館はある種キツネにつままれたような雰囲気に包まれる。2曲目は指揮者ナッセンの自作、『ヴァイオリン協奏曲』。ソロはリーラ・ジョセフォウィッツ(このコンサートのためだけに来日したとのこと)。さまざまな奏法と音色を駆使した、実にセンスのよいファンタスティックな佳作。特にチェレスタや鐘とヴァイオリンが渡り合う第2楽章は儚く美しい。なお、ソロ・アンコールにはエサ=ペッカ・サロネン作曲の『学ばざる笑い』という超絶技巧を駆使した小品。これもまた見事な曲であり、演奏。
休憩を挟んだ後半はムソルグスキーの『展覧会の絵』ストコフスキー編曲版である。冒頭の<プロムナード>は芳醇なヴァイオリンの歌いまわしで開始されるが、大体においてこのストコフスキー盤は、フィラデルフィア管弦楽団ご自慢の弦楽器陣をフィーチャーするためか弦楽器の活躍が目立ち、さらに金管(特にトランペット)を剥き出しで使うことを敢えて避けている節がある。ハーモニー重視。ラヴェルを意識してその逆を行っているという気がするのだが、オーケストレーション自体は怪奇的な効果や特異な音色を追求している印象だ。ラヴェル的な洗練ではなく、非常に泥臭い。このナッセンの演奏は、特段その「泥臭さ」を強調せずにニュートラルな表現を目指していたように思う。しかし、これはどれだけ賞賛してもし過ぎることはないだろうが、ナッセンのオーケストラコントロールが完璧なのだ。であるから、何も足さない、何も引かないというアプローチが、逆に曲のありのままの姿を表出することに成功していてまるで物足りなくない。ちなみに、定期公演では珍しくオーケストラアンコールがあったのだが(<卵の殻を付けた雛の踊り>、まるで予定しておらずいきなりナッセンがやろう! と言い出したようでオケもあたふたしていたのが面白い。
24日のコンサートに紙面を使い過ぎた。29日では1曲目の、ストラヴィンスキーの『花火』を意識したナッセンの『フローリッシュ・ウィズ・ファイヤーワークス』ではシェイプアップされた鋭い音響が炸裂し、それはそれは目が覚めるよう。2曲目のシェーンベルク『映画の一場面への伴奏音楽』でのブロックごとの音色の対比の妙、武満徹『精霊の庭』でのテクスチュアの精妙な扱い。ナッセンはすごい指揮者だと改めて認識した筆者である。この日の後半はピーター・ゼルキンを迎えてのブラームスの『ピアノ協奏曲第2番』。2階席最前列で聴いていた筆者の耳には、ピアノの音が非常に渋くくすんだ独特の音と聴こえ、あまり鳴らない。当初はゼルキンのためか? と思っていたのだが、後に得た情報だと古いニューヨーク・スタインウェイを用いて、さらに1/8ミーントーンという独自の調律法を用いている、とのこと。これは意図した「鳴らなさ」だった訳だが、大コンサートホールでの演奏様式に慣れた耳へのある種のアンチテーゼであろう。このピアノのおかげで非常にインティメートで繊細極まりない音楽が聴けたのは紛れもない事実である。ナッセンのサポートはドイツ的重厚さとは無縁ながら、充実した、それでいて内声部までクッキリと浮かび上がらせた透明な音響がすばらしい。
ナッセンは63歳でまだまだ若いのだけれど、その巨体のせいなのか、足に負担が掛かっているようでいささか足元は心許なく杖をついて入退場する(指揮台に辿り着くとその杖を背後に掛けるのだが、その際に落ちないためにか毎回指差し確認するのが何とも微笑ましい)。しかし、その指揮は必要最低限のアクション―非常に明快である―でオケから最高の音を引き出す。また近いうちに都響に戻って来て欲しい!