紀尾井 明日への扉(9)阪田知樹|丘山万里子
Concert Review
紀尾井 明日への扉(9)阪田知樹
2015年9月25日 紀尾井ホール
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
<曲目>
J.S.バッハ:協奏曲ニ短調BWV974よりアダージョ(原曲マルチェッロ:オーボエ協奏曲ニ短調)
J.S.バッハ:フランス組曲第5番ト長調BWV816
ブラームス:パガニーニの主題による変奏曲Op.35
リスト:「詩的で宗教的な調べ 」S.173/R.14より第3曲<孤独の中の神の祝福>
フォーレ=阪田知樹編:2つのメロディー
ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番変ロ短調Op.36
紀尾井ホールの若手育成シリーズ<明日への扉>にピアニスト阪田知樹が登場した。東京芸大在学中に第14回ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールに最年少入賞、現在ハノーファー音大に在籍の若手である。
バッハの最初、心の最も敏感なところにそっと触れるような同一連打音のあえかな響き、真珠の光沢、たったこれだけのワン・フレーズで、持っていかれた、このひとの世界に。音を持っているひと、自分だけのソノリティのあるひと。これが、実はとても少ないのだ。加えて、歌がある。濃やかな息遣いで唇から洩れる歌。ほんものの音楽家として立ってゆく必須の条件を彼は備えている、と紀尾井の選択眼にいたく納得。
バッハのこんな、染み入るように美しい小曲で、彼の持つ全てはもう見えたのだが、一呼吸おいて始まった「フランス組曲」は、さらに香り立つ若さと、その若さのなかにもエレガンス(!)があって、私の感服度はいよいよ上昇。貴婦人の帽子の羽飾りが揺れるみたいなアルマンド、ガヴォットのヴィヴィッドに弾む小洒落たステップ、ジーグの小気味良い快速と、思わずこちらの身体が一緒に動いてしまう。これも、そうあることではないのだ。客席前方に、リズムにのってしきりに首を揺らすひとがいて、かなり目障りだったが、まあ、気持ちはわかる。歌、と言ったけれど、とにかくこのひとは、フレージングが歌そのもので(溜めとか、息継ぎとか)、どこをとっても音楽が滴り落ちて来る。
ブラームスは、山あり谷あり、谷間に咲く百合とか、さやけき清流とかを垣間見せつつの28変奏を、唖然とするような超絶技巧で弾き上げたが、それも大向こうを唸らせよう、なんていう野心は感じられず、気持ちよい。ガラスの鈴を振るような高音の美麗さなんかも、ハッとさせられる。
と、前半を堪能しただけに、リスト、フォーレ、ラフマニノフは、ちょっと選曲に工夫が欲しかったかな、といった感じ。間に、本人編曲のフォーレでなく、ぴりっとしたスパイスの作品を置けなかったか?全体が同じトーンで塗られてしまい、ラフマニノフの終楽章のラスト・スパートで熱したものの、いまひとつ輪郭がはっきりしない品揃えになった。
もちろん、まだまだこれからのひとだから、自分の資質を大切に、ガシガシ大胆に音楽の沃野を開拓していってほしい。