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カデンツァ|音楽の未来って (5)だから挑め〜コロナ禍での批評考|丘山万里子

Pick Up|日本学術会議任命拒否問題について|福中冬子

私がものを書き始めたのは。|恋文|丘山万里子

評論(連載5)|強制収容所の音楽—アウシュヴィッツのオーケストラ—|藤井稲

私が書く理由|「書く」ことの苦と楽|大河内文恵

特別寄稿|エピローグ〜パウル・ザッハー財団訪問記(6)|浅井佑太

私がものを書き始めたのは|過去、現代、未来との対話|大田美佐子

私がものを書き始めたのは|言葉の無い歌|小石かつら

ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|一時帰国①  紙幣のなかの建築家|秋元陽平

パリ・東京雑感|トランプ大統領が負けてもアメリカに民主主義は戻らない?|松浦茂長

私が書く理由|転落と執筆と人生と|齋藤俊夫

小人閑居為不善日記|TENETの「主人公」とは何者なのか――クリストファー・ノーランは「トランプ時代」をどう描いたか|noirse

私がものを書き始めたのは|「書く」ということ――音楽と向き合い、表現する|佐野旭司

私がものを書き始めたのは|自分史を振り返りながら|谷口昭弘

漢語文献学夜話| vagueness and construction |橋本秀美

私が書く理由|記憶と記録|藤堂清

特別寄稿|私のフランス、私の音|(8) 聴衆と作品 vs コンクール。|金子陽子

私が書く理由|演奏会評覚え書き|西村紗知

東京二期会オペラ劇場 ベートーヴェン生誕250周年記念公演《フィデリオ》|藤堂清

私が書く理由|空想する女|能登原由美

評論|西村朗 考・覚書(4)寂光院にて〜『寂光哀歌』|丘山万里子

日本フィルハーモニー交響楽団 第723回東京定期演奏会<秋季>|西村紗知

私がものを書き始めたのは|初めてのヨーロッパ放浪で|林喜代種 

撮っておきの音楽家たち|ジュリエット・グレコ|林喜代種