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Books|世界遺産の日本史(ちくま新書)|戸ノ下達也

世界遺産の日本史(ちくま新書)

佐藤信 編
株式会社筑摩書房
2022年5月出版
1100円(税別)

Text by 戸ノ下達也 (Tatsuya Tonoshita)

 

1.書評の意図
2022年7月時点で、日本には「世界自然遺産」5件、「世界文化遺産」20件の世界遺産が登録されている。本書は、この「世界文化遺産」20件を「原始・古代から近代にいたる日本の歴史・文化が世界・人類にとってどのように位置づけられるのかという国際的視野から、逆に日本史・日本文化の歩みを照射しようとしたものである」(10頁)。
本書を書評で取り上げる理由は、「世界文化遺産」の特徴を世界遺産の意義に照らして再考することで、政治・産業・生活文化の変遷や、地域社会のあり様を、広い視野から捉え直す意味を提起していること、「世界文化遺産」の考察を通して、現代社会の地政学的課題、文化、歴史認識をどのように捉えるべきかという問題提起がなされているという二点である。

本書の構成と執筆者は以下のとおりで、個々の世界文化遺産をそれぞれの観点から解説する分担執筆となっている。

はじめに  佐藤信
第1章 日本の世界遺産をめぐる動向  鈴木地平
第2章 北海道・北東北の縄文遺跡群 岡田康博
第3章 百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群 和田晴吾
第4章 宗像・沖ノ島と関連遺産群 佐藤信
第5章 法隆寺地域の仏教建造物 建石徹
第6章 古都奈良の文化財 立石堅志
第7章 古都京都の文化財―日本の伝統文化を形成した遺産群 増渕徹
第8章 紀伊山地の霊場と参拝道 本中眞
第9章 富士山―信仰の対象と芸術の源泉 稲葉信子
第10章 厳島神社 西別府元日
第11章 平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 及川司
第12章 琉球王国のグスク及び関連遺産群 當眞嗣一
第13章 石見銀山遺跡とその文化的景観 村井章介
コラム1 佐渡島の金山 堀井秀弥
第14章 姫路城 西和彦
第15章 日光の社寺 江田郁夫
第16章 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 木村直樹
第17章 白川郷・五箇山の合掌造り集落 藤井恵介
第18章 富岡製糸場と絹産業遺産群 鈴木淳
第19章 明治日本の産業革命遺産―製鉄・製鋼、造船、石炭産業 岡田保良
第20章 原爆ドーム 藤井恵介
コラム2 国立西洋美術館本館 藤井恵介
おわりに  佐藤信

このように本書は、日本で登録されている個々の「世界文化遺産」を歴史的視点から捉え直すと同時に、コラムで2022年2月に推薦が閣議決定された佐渡島の金山と、2016年に登録されたル・コルビュジエの手掛けた7か国17件にまたがる「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献」の、日本の構成遺産である国立西洋美術館本館に言及することで、日本の「世界文化遺産」の全容を網羅する構成となっている。これらを歴史学の学術成果を踏まえつつ、国際的視野から歴史・文化を捉え直すという、極めて科学的なスタンスでの論考ながら、非常に読みやすく、日本史の知識が無くても、興味を持って読み進めることができる。

2.本書の論点と特徴
本書の特徴は、「はじめに」で言及しているとおり「原始・古代から近代にいたる日本の歴史・文化が世界・人類にとってどのように歴史的に位置づけられるのかという国際的視野から、逆に日本史・日本文化の歩みを照射しようとした」(10頁)ことにあり、その視点は、各章で際立っている。特に、縄文遺跡群の北東アジア地域での位置付け、百舌鳥・古市の古代日本の墳墓や法隆寺、古都奈良の社寺にみる東アジア地域との交流、紀伊山地にみる外来思想と在来の自然信仰の融合、富士山の芸術への影響、厳島神社や平泉、石見銀山に顕著な対外交易、潜伏キリシタン関連遺産とキリスト教布教、富岡製糸場や明治の産業革命遺産に見る技術導入や産業振興などは、その典型だろう。
また第1章「日本の世界遺産をめぐる動向」は、世界遺産が日本にもたらしたもの、日本が世界遺産にもたらしたものという、それぞれの意義を確認した上で、現状と今後の展望を提示し、「世界文化遺産」をどのように捉えたらよいのかという問題提起であり、各章を読み解く羅針盤となっていることも、各章を理解する一助となっている。

各章ともそれぞれ刺激的な論考だが、紙幅の関係で、以下に評者が特に興味を抱いた論点や特徴を列挙したい。
第5章「法隆寺地域の仏教建造物」
本章は、1993年に日本で初めて「世界文化遺産」に登録された法隆寺地域の仏教建造物の「世界文化遺産」としての意義を、単に法隆寺が建立された奈良時代に限定するのではなく、その後、近現代に至る過程でのいくつかの視点から総合的に考察している。その第一が、「太子信仰」だ。伝説化された聖徳太子の「太子信仰」が平安時代後期に昂揚するが、江戸時代中期以降、国学・儒学からの批判を浴びる。しかし、廃仏毀釈を経た明治期以降になって、法隆寺の文化財保護に連動して「太子信仰」が復活し、紙幣への登場に象徴されるように「江戸時代以来のネガティブな太子像は一掃され」(90頁)た。
この指摘は、聖徳太子が時代状況の中で、どのように意識されていたのかを通史に即して捉え直したもので、新たな気づきを教示するものだった。
第二は、日本の文化財保護の象徴としての法隆寺である。明治期の法隆寺の宝物の国有化やフェノロサや岡倉天心の宝物調査、1897年の古社寺保存法制定と1929年の国宝保存法制定への発展、1919年の史跡名勝天然記念物保存法制定、1949年の金堂壁画焼損を契機として国宝保存法と史跡名勝天然記念物保存法を合わせて発展させた1950年の文化財保護法制定に至る、文化財保護の法令や体制整備の過程で、法隆寺がその中核的役割を果たしていたことが解説されている。
更に、1994年の「世界文化遺産奈良会議」で「遺跡の保存は、地理や気候、環境等の自然条件と、文化・歴史的背景等との関係の中ですべきであるとされ、資産の性格や自然的・文化的文脈等を踏まえた多様性を認めるもの」(94頁)とされる「奈良文書」が採択され、「アジアの木造建築物に限らず、各地の多様な文化遺産の保護にかかる大きな転機となった」(94頁)ことを踏まえて、1998年に「古都奈良の文化財」が「世界文化遺産」に登録されたと解説されている。
このような日本国内の文化財保護の取組みと、世界レベルでの文化遺産の保護や継承がリンクしながら展開していた事実を知ると、文化財保護とその啓発の重要性を改めて考えさせられる。
第9章「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」
本章では、富士山が「世界自然遺産」ではなく「世界文化遺産」として登録された意味と課題を多角的に解説している。
富士山の「世界文化遺産」としての登録は、自然遺産の基準の一つである「自然美」の基準適用、自然遺産と文化遺産の政府の管轄が分かれていること、推薦範囲の保全の問題などが原因と解説する。しかし、火山である富士山への畏怖の念、形姿、イメージが複合的に形成された文化遺産である観点から2013年に「世界文化遺産」として登録された。その骨子は、「遥拝」と「登拝」、地域共同体が結成する「講」、登山者の宿泊や「登拝」を指導する「御師(おし)」、工芸品や食器、絵画や音楽などヨーロッパの近代芸術運動への影響、三保松原や本栖湖などの展望や景観など、「信仰の対象と芸術の源泉としての観点」(168頁)での構成資産の選定と整理される。
私たちの日常で馴染みのある富士山だが、その火山としての三つの要素が総合されて、普遍的な価値として「世界文化遺産」に登録されている事実は、更に私たちが富士山の保全を意識し、考えていかなければならないことを教示している。
第16章「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」と第17章「白川郷・五箇山の合掌造り集落」
私がこの二つの章にくぎ付けとなったのは、人びとの地道な日常のいとなみが、「世界文化遺産」として位置付けられている、その重さと尊さを実感せずにはいられなかったからである。
2018年に「世界文化遺産」に登録された長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、江戸時代以降、現在に至る長崎と熊本のキリシタン信仰の遺産である。特に天草は、評者自身が世界文化遺産登録の直前に、構成資産となった﨑津集落を訪問した記憶が鮮明だ。﨑津集落は、何気ない静かな漁村だが、人びとの信仰として息づくキリスト教の精神が、禁教の苦難を乗り越えて継承されていることが、畳敷の﨑津教会とその周辺の風景から感じられた。本章では、これらのキリシタン関連遺跡を「教会そのものにも文化的価値は十分にあるが、総じて、潜伏キリシタンが組織を維持していたその土地にも、景観を含め価値がある」(292頁)と位置付けた上で、長崎と天草地方のキリシタンの歴史と地域特性を解説している。
一方の1995年に「世界文化遺産」に登録された白川郷・五箇山の合掌造り集落は、この地域特有の産業である、和紙、塩硝、養蚕に取り組む人びとの生活様式が、「大きな扠首(さす)構造の屋根を持つ農家に与えられた特有の名称」(309頁)である「合掌造り」という住居に反映されたものである。この独特の建築様式が、地域の歴史を刻印していることも重要だが、それ以上に、これらの建築が、江戸時代後期から高度成長に至る社会状況の変遷、産業構造や農山村の生活形態の変化、過疎化、電源開発の展開などの危機にあっても、建物の移築や再生など、地域の人びとの尽力によって保全されてきた事実が詳述されている。その視点は、「白川郷と五箇山は過疎という嵐を、国の伝統的建造物群保存地区の選定、世界遺産への登録という価値を獲得することで、それをしのいできた」(317頁)という総括として、人口減少や地域消滅が現実となっている日本社会に、ひとつの試金石を与えているのではなかろうか。
第20章「原爆ドーム」
本章は、1995年に「世界文化遺産」に登録された原爆ドームの建築時から被爆から現在に至る歴史を跡付けた上で、現状と今後の課題を整理している。
特に、登録議決時のアメリカの決議不参加と中国の承認留保について、その趣旨に言及した上で「米国も中国も、力点は違うものの、日本の「歴史認識」を問題にした。戦争遺跡の評価に関して、その内在的な課題はなかなか超えることが難しい、と言わざるを得ない」(366頁)と総括されていること、今後の課題について「原爆ドームがはたしていつまで遺跡であり続けることができるだろうか、ということに帰結するのではないか」(366頁)と問題提起していることは、武力行使による戦争の恐怖と矛盾、武力で破壊された遺跡の保存や継承の問題を、私たち自らのこととして再考し、行動することを喚起している。
何より、ロシアのウクライナ侵略という戦争が現実となっている今、原爆ドームという戦争遺跡が「史跡」に指定され、「世界文化遺産」に登録されていることの意義を、今いちど捉えなければいけない。

3.読み終えて
文化庁ホームページでは、世界遺産を以下のように解説している。(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkazai/shokai/sekai_isan/
「世界遺産条約は1972年にユネスコで採択され,2021年7月現在,194か国が締結しています。日本も1992年にこの条約を締結し,文化遺産及び自然遺産を人類全体のための世界の遺産として損傷,破壊等の脅威から保護し,保存することが重要であると考え,国際的な協力・援助体制の構築に貢献してきました。
各国は,国際的な観点から価値があると考える自国の遺産を推薦し,諮問機関による学術的な審査を経て21か国で構成される世界遺産委員会において価値や保存管理体制が認められれば登録が決定されます。2021年7月現在,世界遺産は文化遺産897件,自然遺産218件,複合遺産39件を含む1,154件に上り,そのうち日本からは文化遺産20件,自然遺産5件の計25件の世界遺産が登録されています。」
世界遺産は、その普遍的な価値を広く共有し、後世に伝える貴重かつ重要な遺産であるはずである。本書が解説した日本の「世界文化遺産」は、いずれも人類のいとなみと英知、信仰、他者との共生や理解が通底する文化が、有形無形の遺産となって地域に息づいているものである。本書は、その「世界文化遺産」の総てを、その歴史的位置付け、世界遺産としての評価なども加味して丁寧に紐解いてくれる好著である。
もっとも、その遺産の歴史や背景には「負の遺産」も刻印されていることも忘れてはならない。例えば「明治日本の産業革命遺産―製鉄・製鋼、造船、石炭産業」には、産業の発展と共に、戦時期の強制労働や勤労動員、労働問題、エネルギー問題など深刻な社会問題が内在しているし、「原爆ドーム」は、本書でも言及されているとおりである。この点は、常に私たちが意識し続けなければいけない歴史認識だろう。
また「負の遺産」の問題が、世界遺産登録の都度、政治問題として取り上げられ、また国家対立の火種として扱われている事実は、世界遺産を総合的に俯瞰しつつ、歴史認識の克服と相互理解が何よりも重要であることを物語っているのではないか。本書は、残念ながらこの点についての考察や問題提起が素通りされていることは否めない。この問題は、本書の目的ではないことは承知しているが、現実に本書のコラムで言及された「佐渡島の金山」は、文化審議会が国内候補として選定したのにもかかわらず、日本と韓国の国家間の摩擦や、自由民主党保守派と外務省との対立など、政治問題として迷走したあげく、2022年2月に世界遺産への推薦が閣議了解された経緯は記憶に新しい。この点については、2022年1月29日付け朝日新聞の「視点」の下記の指摘が的を射ている。
「日韓外交のあつれきや国内政治の駆け引きに翻弄された末、ようやく佐渡金山の推薦が決まった。その混乱の前に世界遺産条約の目的は置き去りにされた感もあり、人類遺産を後世へ手渡すという崇高な理念は遠くにかすむ」

日本で登録されている「世界自然遺産」5件と「世界文化遺産」20件を、私たちがどのように認識し、保全し、後世に伝えていくのか。本書は、そのために、まず歴史を知ること、そして「世界文化遺産」を俯瞰することの重要性を提示している。

(2022/7/15)