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Pick Up (20/1/15)|鈴木忠志ワールド - 精神と身体が合体する舞台|チコーニャ・クリスチアン

鈴木忠志ワールド - 精神と身体が合体する舞台
L’universo di Suzuki Tadashi – Il palcoscenico dove anima e corpo si fondono

Text by チコーニャ・クリスチアン(Cristian Cicogna)
写真提供:SCOT

演出家であり劇団SCOTの主催者である鈴木忠志(ただし)(80)が日本人として初めて2019年タリア賞(Thalia Prize)を受賞した。

鈴木忠志の演劇は観る者に驚きを与える。伝統的な日本の演劇と西洋の演劇を融合させ、全く新しい世界を作りあげる。それによって鈴木は今日、国際的な評価を得ている巨匠だ。大衆化は不可能と見なされる前衛演劇に携わる演出家の誰もが夢に見るような高い評価であり、日本語を全く解しない外国の評論家たちの絶賛を浴びている。
集英社の情報誌『imidas ‘01』で「20世紀を創った人々550」として演劇の分野で6人の内の一人に選ばれ、「理論・実践・教育・組織運営における新しい演劇人の在り方を示す代表的な存在である」 と評された鈴木忠志。それにもかかわらず、日本では一般大衆にほとんど知られていないのが現実である。

私は大学三年生の時に、以前から興味を持っていた劇中劇を何らかの形で卒業論文に取りあげたいと思い、日本の現代演劇をテーマに選んだ。その際、『劇的なるものをめぐって Ⅱ』という早稲田小劇場の代表作を指導教官に提案されたのが鈴木の世界との付き合いの始まりだった。
私は1996年の夏に念願の初来日を実現し、二年後の1998年には日本に移住した。利賀村を初めて訪れたのも、1998年の夏だった。大阪から夜行バスに乗って富山まで行き、鈍行列車に乗り換えて、アニメでしか見たことのない田舎の風景を楽しんだ。そして、スクールバスみたいな小型バスでの長旅の末、目的地に着いた。その時はまるで世界の果てにたどり着いたような気分だった。目の前に現れたのは台風が過ぎ去った後の上百瀬(かみももせ)川の濁った流れだった。その川が真っ二つに裂くような谷間を覆う高い青空の下で光る黄緑色の稲に合掌造りの家が何軒かぽつりぽつりと建っている風景が広がっていた。

あの夏からすべてが始まったと言っても過言ではない。20年間以上経った今も、様々な形で関わっている鈴木忠志ワールド。利賀村は世界が注目する最高の前衛演劇の中心でありながら、私にとっては翻訳・通訳・字幕作成といった形で日本語の能力が問われる場にもなっている。

利賀村は富山県の小さな山村で、1982年に日本で初めて世界演劇祭「利賀フェスティバル」が開催された所である。1976年に鈴木は東京から利賀村に拠点を移し、劇団名を「早稲田小劇場」から「SCOT」(Suzuki Company of Toga)に改称し、建築家・磯崎新が改造した合掌造りの民家を利賀山房と名付けた小劇場で活動を始めた。東京中心主義から脱出という衝撃的な意図は大きな反響を呼んだ。鈴木自身が考案したスズキ・トレーニング・メソッドに従って稽古を積んだ公演は欧米で高く評価された。その後、村と協力し、野外劇場・稽古場・宿舎などを増設した。SCOTの活動は世界の注目を集め、利賀村は一躍、世界の演劇人に聖地と称されるようになった。
ロバート・ウィルソン(アメリカ)、ハイナー・ミュラー(ドイツ)、テオドロス・テルゾプロス(ギリシャ)、ユーリ・リュビーモフ(ロシア)といった巨匠たちと共にシアター・オリンピックス国際委員会を結成し、1995年には第1回シアター・オリンピックスが、ギリシャのアテネとデルフィで開催された。
1995年に鈴木は静岡県舞台芸術センター「SPAC」(Shizuoka Performing Arts Center)の芸術総監督に就任し、1999年には「静岡芸術劇場」を開設した。一旦、出身地の静岡に活動を集中させたが、「利賀フェスティバル」が中断されることはなかった。SCOTは、2008年から再び利賀村を拠点に、世界の変化に呼応する新しい活動を展開している。

私が利賀を最初に訪れた1998年の夏のことを今も鮮やかに覚えている。最初に鑑賞した演目はイプセンの『鏡の家』だった。利賀山房の中は真っ暗でひんやりしていた。下半身に注目するスズキ・メソッドに従い 、俳優たちは黒光りする舞台で音高く足踏みし、鏡になっている襖を一糸の乱れもなく開閉させた。鋭いカットのスポットライトが華麗な衣装を身にまとった俳優たちを横から照らして幻想的な世界を作り出し、観客に時間の感覚を失わせた。俳優たちは、まるで別世界からやってきたかのように、袖の闇から現れ、深く息を吸いながら、横隔膜を使って難解な台詞を吐くように交わした。余分な動きは一つとしてない。端的に言うと、美しい。

冒頭に述べたように、鈴木の演劇は東洋と西洋の演劇的融合からなる独特な演技の様式である。西洋からは豊かな文化の伝統を借りている。ギリシャ悲劇やシェイクスピア、チェーホフが取り上げる戦争、宗教、家族の崩壊といったテーマは、個人の生より大きく、我々の誰にも通じるような普遍性に触れている。
一方、何世紀にもわたって伝えられてきた日本の伝統、能や歌舞伎を優れた現代演劇の構造に見事にブレンドすることによって、代表作となる『トロイアの女』、『リア王』、『ディオニュソス』を生んだ。
その融合の具体例を挙げるなら『劇的なるものをめぐってⅡ』は十場からなり、引用文献はベケット作『ゴドーを待ちながら』、泉鏡花作『化銀杏』、鶴屋南北作『隅田川花御所染』など、さらに都はるみの歌『さらばでござんす』も使われている。素材は歌舞伎、新派、小説、流行歌、エッセイで、江戸時代から昭和の現在にまでわたる。無論、作品の全文が使われているわけではなく、その一部分にすぎない。鈴木曰く、戯曲があって舞台をつくるのではなく、舞台をつくることが戯曲をつくることである。
40年以上を掛け、新しい時代の世界的芸術拠点を利賀村で構築してきた鈴木は今年の夏に第9回シアター・オリンピックスを日本とロシア共同で開催した。彼が主張しているのは、単なる国際交流ではなく、日本人による日本語の舞台にとどまらず、国際化時代における芸術文化活動の未来を先取りした多言語の舞台を生み出すと言うことだ。

鈴木忠志の哲学を一文にまとめてみると、こういうことだろう。
舞台に立つのは精神だが、その精神を表現するのは身体なのだ。

◆鈴木忠志の劇団活躍
早稲田小劇場(東京都)(1966‐1976)
SCOT(富山県利賀村)(1976‐現在)
SCOTとして「利賀フェスティバル」を開催(1982-1999 / 2008‐現在)

関連評:第9回シアター・オリンピックスより『世界の果てからこんにちは』ほか|能登原由美

(2020/1/15)

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チコーニャ・クリスチアン(Cristian Cicogna)
イタリア・ヴェネツィア生まれ。
1998年にヴェネツィア「カ・フォスカリ」大学東洋語学文学部日本語学・文学科を卒業。現代演劇をテーマに卒業論文「演出家鈴木忠志の活動および俳優育成メソッド」を執筆。卒業直後に来日。
日本語及び日本文学への興味は尽きることなく、上記「カ・フォスカリ」大学に修士論文「『幻の光』の翻訳を通して観る宮本輝像」を提出し、修士号を取得。
SCOT(SUZUKI COMPANY OF TOGA)の翻訳及び通訳、台本の翻訳に字幕作成・操作をしながら、現在、大阪大学などで非常勤講師としてイタリア語の会話クラスを担当している。

研究活動に関する業績
・“Il rito di Suzuki Tadashi(鈴木忠志の儀式)”、イタリアの演劇専門誌Sipario、ミラノ、2006年
・“From S Plateau”(演出家平田オリザの演劇について)、Sipario、2007年
・“Ishinha”(劇団維新派の活躍について)、 Sipario、ミラノ、2008年
・Bonaventura Ruperti, a cura di, Mutamenti dei linguaggi nella scena contemporanea in Giappone
・ボナヴェントゥーラ・ルペルティ監修『日本の現代演劇における表現の変化』(カ・フォスカリーナ出版、ヴェネツィア、2014年)において、第三章「鈴木忠志:身体の表現」、第八章「平田オリザの静かな演劇」を執筆。