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ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演|藤原聡

ズービン・メータ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 来日公演
ZUBIN MEHTA CONDUCTS BERLINER PHILHARMONIKER

2019年11月22日 サントリーホール
2019/11/22  Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸 (Rikimaru Hotta)

指揮:ズービン・メータ
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ブルックナー:交響曲第8番 ハ短調[ノヴァーク版第2稿(1890)]
Bruckner: Symphony No.8 in C minor [the second version(1890), Ed. Nowak]

 

ラトルに率いられての2017年11月における来日公演以来、2年ぶりにベルリン・フィルがやって来た。しかし指揮者がメータ、と聞いて大方のファンは想定外だと感じたのではないか。何より、なぜ新音楽監督のキリル・ペトレンコではないのか。そこには諸事情があるのだろうが、しかしより若い指揮者だっているではないか。メータの実力は知っているけれど、2018年11月にヤンソンスの代役としてバイエルン放送響と来日した際のこの指揮者は病み上がり、かつ往時の姿を知る身からすれば随分と老け込んでしまったし、果たして大丈夫なの?――といった辺りが大方の反応ではなかったか。しかし、そんな周りの懸念やあれこれの勘繰りをよそに、メータはやって来た。どうやら今回は顔色もよく、ステージ上ですら車椅子の移動を余儀なくされていた昨年とは違いちゃんと起立していて元気そう――なんて情報も筆者が参加した22日以前のコンサートを聴いたファンから漏れ伝わってくる。ともあれ、その手の付随情報は排除して虚心に音楽に耳を傾けたい。13日に名古屋で幕を開けた全8回のベルリン・フィル来日公演、22日の最終日を聴く。ブルックナーの交響曲第8番。

杖を用いてゆったりとステージ上に現れたメータ、指揮台までたどり着くとその杖を背後の手すりに引っ掛けて台上備え付けの椅子に腰掛けるが、この時点で不安がよぎらなかったと言えば嘘になる。晩年に至って身体能力の衰えに比例するようにその音楽も弛緩気味になる例を知っているからだ。しかし冒頭からしばらく音楽を聴き進んだところでそれは完全に杞憂だったと悟る。なるほどテンポはかなり遅いが、音楽に停滞とか緊張の緩みは全く感じられない。また、同じホールでこの11日前に聴いたティレーマン&ウィーン・フィルの「ブル8」とどうしたって比較した聴き方になろうが、頻繁にテンポを変化させ指揮者が意志的に速めのテンポでオケをドライヴしたそれと比べ、このメータとベルリン・フィルの演奏はどっしりと構えて泰然自若、地を這うように巨大、インテンポを維持、音楽が自ずと語るがままに任せ、指揮者は決して前に出て来ない。しかしオケ全体の響きを掌握して見事な手綱捌きでマッスとして圧倒的な迫力で鳴り渡らせる能力は昔のメータのままではないか。この駆け引きの巧みさたるや。引き過ぎるとオケは暴走する。コントロールし過ぎるとこのオケならではの特質/美質は減退する。主旋律や目立つ外声部ばかりを強調して分かりやすい迫力で聴かせているのではなく(実は昔のメータはたまにそういう傾向なしとしなかったが…)、仰天ものの分厚さとメリハリの立ったダイナミックな表情を聴かせる第1ヴァイオリン群に絡みつくヴィオラやコントラバスの恐るべき雄弁さ、そして第2ヴァイオリンの「押し」の強さ。確かにこの辺りはベルリン・フィルの元来のキャラクター的な要素はあるだろう。しかし繰り返すようだが、野放図に陥る一歩手前でこのオケが暴走しないように最良のバランスを保つメータの「奥義」はここに来て格段の冴えを見せているように思える。

冒頭で独特のアクセントを聴かせたスケルツォもユニークで、鳴っている音響は極めて壮麗なのにも関わらず音楽自体はどこか枯淡の色があってさっぱりとしている。次の交響曲第9番のスケルツォを思わせる、とは言い過ぎだろうが、しかしこの音楽から肉体性をそぎ落とした抽象的な運動性を感じたのは初めての経験。

アダージョの凄さも筆舌に尽くし難いが、ここでは息の長い陶酔を徐々にもたらし、その高度をぐんぐん上げ臨界点を越えてもなお伸び上がって行くかのような高揚を聴かせるベルリン・フィルのパワーに今さらながら驚嘆した。このオケの来日公演は相当数聴いているけれど、ここまでその底力を発揮した例をほとんど知らない。語弊がある言い方かも知れぬが、全盛期のカラヤンとこのオケの最良の実演では理屈抜きにこういう感覚がもたらされたのではないか(最晩年の実演に辛うじて接することは出来たのだが)。

終楽章でも指揮者の作為性やら上手く聴かせてやろうというエゴは綺麗さっぱりと抜け落ちていて、そこにはただひたすらに巨大で透明な音楽があったという趣、細部をあげつらってあれこれ指摘する気も失せさせる。とは言え、コーダでおもむろに指揮台上で立ち上がるメータを受けてオケのテンションと音圧が信じ難いほど膨れ上がった瞬間に居合わせたのは僥倖の一語。

何度もステージに呼び戻されるメータ、オケも万雷の拍手を指揮者に向けるが、このオケがこういうことをする場合は本気で讃えていることの証しだろう。楽員が袖に引いてもパユやフックス、マイヤーが付き添ってソロカーテンコール。メータが齢80を越えてその音楽を深化させていることが体感でき、かつベルリン・フィルがその(往年の?)ベルリン・フィルらしさを存分に発揮して痛快であった稀有なコンサート。

(2019/12/15)