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ウィリアム・ケントリッジ 冬の旅|能登原由美

ウィリアム・ケントリッジ 冬の旅
William Kentridge Winterreise

2019年10月18日 京都芸術劇場 春秋座
2019/10/18 Kyoto Art Theater Shunjuza
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供: Festival d’Aix-en-Provence 2014 ©P.Berger/artcomart.

シューベルト歌曲集《冬の旅》作品89              →foreign language
詩|ヴィルヘルム・ミュラー

〈制作〉
演出・映像|ウィリアム・ケントリッジ
舞台美術・装置|ザビーネ・トイニッセン
衣裳|グレタ・ゴアリス
照明|ヘルマン・ソルゲロース
映像編集|スネジャナ・マーロヴィチ
映像オペレーター|キム・ガニング
舞台監督|サンドラ・ホフマン
技術・照明マネージャー|クリスチャン・ラクランプ

〈出演〉
バリトン|マティアス・ゲルネ
ピアノ|マルクス・ヒンターホイザー

 

南アフリカの美術家、ウィリアム・ケントリッジが自らの映像作品を携えシューベルトの《冬の旅》の演出を手掛けた。映像と音楽のコラボレーションは今や全く珍しいものではないが、かたやクラシックの中でもとりわけ人気の高い歌曲、かたや現代アート界の巨匠が手がけるドローイング・アニメーション。馴染みの名作に全く違った角度から新たな光が当てられるものと、期待は大いに膨らんだのだが…。

舞台上には室内を思わせるセット。その下手側にグランド・ピアノが一台。窓のついた室内の壁には大量の紙切れが無造作に貼られている(光の加減では積み重ねられたゴミの山にも見える)。窓の向こうに広がる荒涼とした大地は、《冬の旅》の主人公の孤独な道行きを暗示するかのよう。だが、一方の部屋の内部にも安らげる場所はない。

そうだ、この男の居場所はどこにもない。社会からはじき出され、さらには死の世界からも拒絶されるのである。その男の心情を、ゲルネは言葉のみならず音にもストレートに表した。演出上、字幕はないが、歌詞を知らなくても男の悲歎や絶望は声のトーンから容易に感じ取ることができる。感情の高まりとともにピッチが上ずる箇所も多々あったが、「モノ・オペラ」とも呼べるほどドラマ性を追求したその歌唱ならぬ「演技」には、自然と引き込まれていった。

一方の映像。こちらは音楽が始まると同時に紙切れの貼られた壁に映し出されていく仕組みで、その大半はケントリッジがこれまでに制作した作品から抽出されたものだ。プログラム・ノートによれば、《冬の旅》と彼自身のあいだに「本質的な共振を見出した」のだという。一つの映像の長さは数十秒程度で、次から次へとモンタージュ風に様々な映像が流されていく。抽象的、幾何学的な模様もあれば、具体的な事物を描いたもの、あるいは古い記録画像まで。

なるほど。映像で暗示された戦争やアパルトヘイトといった南アフリカの苦難の歴史は、《冬の旅》の孤独な主人公に照応するようにも思える。コンセプトとしては非常に面白い。だからこの上演にも興味を持ったのだが、実際の音楽を前に、それらが私の中ではうまく調和しないことに早々に気づいた。

むしろ、そうした概念的なものより感覚的な次元での共振には順応することができた。例えば冒頭部、心の傷を抱えて村を去る主人公の独白に淡々と模様が重ねられていく。抽象的な画であるがゆえ、幾分抑え気味であった声音の陰影を一層深めるものとなった。逆に、滴り落ちる雫といった具象的なものでも、歌詞の内容とシンクロする時には目と耳の双方がより研ぎ澄まされていった。

けれども、人や事物のドローイング、あるいは記録画像など、映像が具体的になればなるほどその「意味」を考え始めねばならなくなる。その内容もさることながら、音楽との関連性なども含めて。

そもそも、そこに何らかの脈絡があるのかないのか、《冬の旅》同様にストーリー性があるのかないのか…。実は、それを読み取る以前に身体がどうしても音楽に惹きつけられ、映像を追いかけることができなかったというのが正直なところだ。というのも、ゲルネの《冬の旅》はそれ自体ですでに一つの世界を作り上げていた。それが強力な磁場となってこちらの意識を捉えて離さないのである。ゆえに、むしろ歌手の身体にまで画像が映し出された時には、違和感どころか鬱陶しささえ感じてしまった。

音楽と映像のズレ。それが照射するのは互いに疎外し、共感を拒む人間の性とも取れなくはない。あるいはそれが、ケントリッジの狙いだったのかもしれない。だが、曲が進むにつれ、疎外されているのはむしろこちらの方ではないかと感じ始めたのである。

もちろんケントリッジ自身は、自らの作品が《冬の旅》に「共振している」のを見出したのだろう。

けれども今回のような演奏頻度の高い人気の作品となると、受け手の多くがその聴取(または演奏)体験からすでに自身のうちに曲に対するイメージを抱えている。その体験を壊す、あるいは少なくとも揺さぶりをかける試みだったのかもしれないが、残念ながら、今回の上演では私が抱く《冬の旅》にも、あるいは私自身の経験にもほとんど跡を残すことはなかった。

いや、もっと単純に考えれば、この音楽、この演奏では音楽の強度が優っていたとしか今の私には思えないのである。

(2019/11/15)

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Franz Schubert: Winterreise (op. 89)

William Kentridge (Stage direction and visual creation)
Sabine Theunissen (Scenography)
Greta Goiris (Costume designer)
Herman Sorgeloos (Light designer)
Snezana Marovic (Video Editor)
Kim Gunning (Video Operator)
Sandra Hoffmann (Stage Manager)
Christian Lacrampe (Technical and lighting Manager)

Matthias Goerne (Baritone)
Markus Hinterhauser (Piano)