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エリソ・ヴィルサラーゼ&アトリウム弦楽四重奏団|藤原聡

エリソ・ヴィルサラーゼ&アトリウム弦楽四重奏団

2017年11月28日 紀尾井ホール
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<演奏>
ピアノ:エリソ・ヴィルサラーゼ
アトリウム弦楽四重奏団
 vn:ボリス・ブロフツィン
   アントン・イリューニン
 va:ドミトリー・ピツルコ
 vc:アンナ・ゴレロヴァ

<曲目>
モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 KV478
ショスタコーヴィチ:ピアノ五重奏曲 Op.57
シューベルト:弦楽四重奏曲第12番 ハ短調『四重奏断章』
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44

 

しばしば来日しているエリソ・ヴィルサラーゼであるが、筆者はその実演に触れたことがなかった。これは勝手なイメージかも知れぬが、いわゆる「Musician’s musician」的な存在のように思っていたところがあり、その演奏の凄さは同業者によりアピールする類のもの、であるとか地味で堅実なもの、などのおぼろげな想像が先に立ち、それゆえいちファンとして積極的に聴いてみよう、とまではならなかったような気がする(LIVE CLASSICSから多数リリースされているヴィルサラーゼの演奏は幾つか聴いていたが)。当コンサートに先立つ23日にはすみだトリフォニーホールにおいてルーディン&新日本フィルと共演、モーツァルト、ベートーヴェン、ショパンの協奏曲を弾いており、あらゆる虚飾を排したそのまっすぐな音楽に強い印象を与えられた。当夜はアトリウムSQと共演しての室内楽の名品を3曲(とアトリウムSQのみで1曲)。

1曲目のモーツァルトは、ト短調の調性を取る闘争的な楽想ということもあろうが極めて凝縮された厳しい演奏で、ヴィルサラーゼの音には非常な深みがあって重い。なるほど、この「音」は実演でないと体感できないという気がする。録音ではこうは行かない。しかし、ただ重いだけではなくタッチのグラデーションにも富み、その表現は多彩。それまでの内向的な暗さから開放されるかのような終楽章ではその表情に軽みが加わる。それでもこの曲で通例聴ける演奏に比較すればかなり重厚であるが見事なものだ。このようにヴィルサラーゼのピアノだけを取れば素晴らしいのだが、アトリウムSQとのマッチングの点で難がないとは言えない。こちらは音が軽めの上にピアノと響きが一体化しておらず分離している印象なのだ。アンサンブルが合っていないという話ではないが、これは2曲目以降で解決されるか。

次はショスタコーヴィチだが、こうしてモーツァルトの直後に聴くとやはり彼らの演奏はこの作曲家によりしっくりくる印象がある。但しここでもソロと弦楽四重奏の間に何となく齟齬が感じられる。SQ全体として音が軽くて薄く、さらには第1vnの音程があまり良くない上に、音色が浮いている。vaも生彩を欠いているように聴こえる。であるからヴィルサラーゼの底光りするようなドス黒い輝きを放つ図太い音とアンバランスで、ピアノばかりが目立って聴こえる。アトリウムSQでは、数年前に武蔵野でのショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲全曲を1日で演奏する(!)という恐怖のマラソンコンサートに参戦(この言葉がいかにも相応しい)したのだが、その際にはこのような印象は全くなかった。当時と第1vn奏者が交代しているとのことなのでその影響かも知れないし、その上この日のみのメンバーの不調があったのかも知れない。さらには音が上に逃げがちな紀尾井ホールの1階中央よりやや後方で聴いたせいもあるかも知れない。まあ理由は想像できるにせよ、ピアノ単体ではなく演奏全体として見た分にはいささかの物足りなさが。

休憩後にはヴィルサラーゼはお休みでシューベルトの『四重奏断章』。響きの薄さはここでも感じられるが、前半に比べて4人のシンクロ度は高まる。第2主題の淡い抒情が美しい。

そしてトリのシューマン。結論から書けば当夜最高の演奏がこれ。全体としての響きの密度がそれまでとは明確に変化し、ピアノと弦楽四重奏の表現性と音響バランスも対等に。こうなると今までは何だったのかとも思うが、今まで抑制気味だったヴィルサラーゼもここではその力感を開放し、その音は輝かしさと深さを兼ね備えている。スケルツォでの「決して上滑りしない疾走」が実に見事で、落ち着きと推進力を両立させている。とにかく音が深いので、ただのフィジカルな迫力だけに陥っていない。終楽章の最後での二重フーガ、ここでピアノに第1楽章の第1主題が再登場するが、その最初の4音の高貴さと言うか、あるいは落ち着き払った威容でも形容すべきか、とにかくあの瞬間聴く方の居住まいは自ずと正される。ここに至ってなるほど、と勝手に思ったのだがヴィルサラーゼというピアニストの最大の武器は何よりも「音」それ自体の魅力なのだな、と。ヴィルサラーゼのみならずここではアトリウムSQも本来の力量を発揮したように思え、当夜のそれまでのモヤモヤも解決、満足。