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漆原朝子&ベリー・スナイダー|能登原由美

漆原朝子&ベリー・スナイダー

2018年12月21日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
写真提供:京都市音楽芸術文化振興財団

〈演奏〉
ヴァイオリン|漆原朝子
ピアノ|ベリー・スナイダー

〈曲目〉オール・シューマン・プログラム
ヴァイオリン・ソナタ第1番イ短調op. 105
ヴァイオリン・ソナタ第3番イ短調WoO27
〜休憩〜
3つのロマンスop.94
ヴァイオリン・ソナタ第2番変ニ短調op. 121
〜アンコール〜
クララ・シューマン:3つのロマンスより第1曲
ロベルト・シューマン:LIEDERKREISより第1曲、第12曲

 

長年にわたってコンビを組む奏者といえども、やはりその感性や音楽性の違いは露わになる。とりわけ一人黙々と音楽に向き合い続け、作曲家と対話を続ければ続けるほどそれは顕著になるのだろう。20年以上にわたってデュオを組む漆原朝子とベリー・スナイダーの場合、一見、息の合ったアンサンブルを見せる。が、その裏に見え隠れする両者の個性の違いは、自らの音楽を模索し続ける音楽家の存在について改めて考えさせるものであった。

シューマンのヴァイオリンとピアノのための作品を全曲演奏する公演。彼らが行なった同じプログラムによる演奏は、2002年に神戸で行われ好評を博したという。私自身はその演奏会を見ていないためそれとの比較はできないし、また比較をする必要もないだろう。ただ、今回の公演で感じた2つの個性。その違いは当時からすでにあったものなのか、あるいはこの16年の間に徐々に形を成してきたものなのか。知るよしもないのだが、16年という時の経過に自然と思いを巡らせてしまった。

その違いは冒頭に演奏した『第1番ソナタ』から如実に現れていた。シューマン特有の熱を帯びた旋律線や激しい情動の揺れなど、両奏者とも存分に捉えてはいるのだけれど、どこか微妙に噛み合っていない。それが決定的に感じられたのは第3楽章の冒頭部分。アウフタクトで始まるこの主題の最初の音と2音目の間合いが大きく異なるのである。ただし、それはテンポ感や拍の捉え方の違いといった問題ではなく、歌い方、あるいは発話の仕方が異なっているためではないかということを、その後の演奏を聴きながら感じた。つまり、総じてヴァイオリンの方は大きな身振りは抑えつつも、こみ上げてくる熱い想いに押されるかのように前に突き進んでいく。一方、ピアノの方はその同じ情熱を恥じらうことなく、豊かに朗々と歌い上げていくのである。この、言うなれば歌い口の違いは、最後に演奏された『第2番ソナタ』でも感じたものであったのだが、もしかするとそれは奏者の気質にも通じることなのかもしれない。

さて、違いばかりを強調したかのようだが、全体を通じて常にそれが出ていたわけでは決してない。『第3番ソナタ』などは冒頭から息の合った演奏で、直前に演奏した『第1番ソナタ』で感じた違和感はなく、フレーズの受け渡しや掛け合いなど2人の音楽はしっくりと馴染んでいた。楽章が進むにつれて両者の一体感は度を増していき、ヴァイオリンが非常に技巧的になっていく終楽章でも流れは失われることなく、双方が一つとなって華やかで壮大なフィナーレを作り上げていった。むしろ、前の作品で私が感じたものは、演奏会の立ち上がりゆえに生じた一時的な噛み合わせの悪さなのだろうかとも思えてきた。

だが、後半に演奏された3つの小品で、私が最初に感じた両者の個性の違いは確かなものとなる。シューマンならではの甘く切ない夢の世界に包まれたこれらの作品では、艶やかな香りや吐息のような歌心を醸し出すスナイダーの持ち味が全面に発揮された。いやむしろ、漆原自身は互いの違いを十分に心得ていて、この作品においては意図的に自らの身を後方へと引き下げたのかもしれない。ピアノが作り上げるシューマンの世界が終始音楽を支配していた。

それにしても、漆原は熱を帯びた音の流れにあっても緩と急、静と動といったコントラストをうまく描き分けるなど冷静な側面を併せ持つが、アンコールで演奏したクララの作品は、むしろロマンティストたる彼女の本領を発揮するものであったように思う。冒頭に呟く愛のやるせなさ、その甘い問いかけ、それは彼女が得意とするエルガーのコンチェルトでの演奏を彷彿とさせるものでもあり、恐らく彼女の気質に最も合った音楽の形なのではないかと思う。

もちろん、アンサンブルの醍醐味は調和であると同時に闘争でもあり、全く異質な音楽性がぶつかり合う演奏に胸躍らせることもしばしばだ。けれども、目指す調和の中に紛れもない個の姿を見いだした時、そこに一人の音楽家、あるいは人間の存在を感じてしまう。それこそ、コンピューターや人工知能による演奏では簡単に凌駕されることのない、芸術の一つの至高の形ではないのだろうか。新たな時代への期待と不安の渦巻く年の瀬に、様々な思いが去来する一夜となった。

                           (2019/1/15)