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カリフォルニアの空の下|オンライン生活のなかのアートの役割|須藤英子

カリフォルニアの空の下
Under the California Sky

オンライン生活のなかのアートの役割
The role of art in online life

Text & Photos by 須藤英子(Eiko Sudoh)

◆新型コロナと共に始まったオンライン生活
カリフォルニア州では、3月19日に外出禁止令が出て2週間が経つ。全米で最も早い発令であった。当時ニューヨーク州が出すか否かの瀬戸際で、固唾を飲んでニュースを追っていた矢先、それに先駆けて出されたカリフォルニアの禁止令に私は意表を付かれた。3日後にロックダウンとなったニューヨークでは、現在死者数がカリフォルニアの10倍を超え、このウイルスの恐ろしさに打ち震えると共に、政策判断の重要性を実感している。

外出禁止令のもと、今私たちは一日中家の中で家族全員で過ごしている。病院や薬局、食料品店、日用品店等には出かけられるが、文化施設やジム、レストランやショッピングモール、また散歩道や公園の遊具など、生活を楽しむための施設は全て封鎖された。もっとも、感染者が増え続けているこの状況では、食料品の買い出しに行くことさえ躊躇される。

こもりきりの生活とはいえ、家族は皆それぞれ在宅勤務と在宅学習で忙しい。家のインターネットもパソコンもフル稼働でパンク寸前、まずはその環境を整えることに追われてきた。先が見えない感染拡大に、当初2週間とされた公立学校の在宅学習も、年度末の6月まで2か月延長された。この引きこもり生活が長く続くことを、覚悟する。

前回3月号の原稿を書いた1ヵ月前にはまだ夢想に過ぎなかった生活の変化が、一気に現実のものとなった。今号では問題解決型の新しい教育について書くつもりにしていたが、今目の前で起きている出来事の方がはるかに強烈だ。そこで今回は、新型コロナと共に始まったカリフォルニアのオンライン生活について、リポートしたい。

◆オンライン学校の始まり
外出禁止令1週間前の3月13日、教育委員会からのメールと共に学校のオンライン化が開始された。週明けにはまず、タブレット端末が必要な家庭への無料貸し出しが学校で行われる。通信事業者からも、WiFiの期間限定無料貸与が提案された。担任からは2週間分のオンライン学習計画がメールで届き、学校からはカウンセラーの連絡先とメンタルトレーニング用のカレンダーも配信された。そして翌日には、子どもたち用の給食配布もドライブスルー形式で開始され、一気にオンライン学校が始まった。

今現在の学習は、デジタル教材を用いた個別学習を中心に、ビデオミーティングによる同時学習が時々行われる内容となっている。先生はGoogleClassroomという掲示板のようなアプリ上に、毎朝その日の学習内容とデジタル教材へのリンク、そしてミーティングの時間などを投稿する。子どもたちはそこに質問や感想を書き込みながら、リンク先のデジタル教材に取り組み、指定の時間にZoomやGoogleMeetといったアプリを起動して、ビデオミーティングに参加する。

デジタル教材には慣れていたため、我が家の子どもたちも戸惑うことなく新しい学校形態に馴染み始めた。タイピングの基礎がある4年生の息子は、一日中パソコンの前で課題に追われ、普段以上に忙しい。一方1年生の娘はタイピングが初心者段階、取り組める教材も限られ、学習量は普段の半分ぐらいに減ってしまった。

先生方がオンラインツールを駆使してビデオミーティングを始めたのは、2週目に入った頃だった。久しぶりに顔を合わせた初のミーティングでは、息子のクラスは皆が興奮し、娘のクラスは皆が「I miss you…」と訴える。バーチャルではあっても、相手の顔を見ながら直接コミュニケーションを取ることが、これほどまでに励みになるものかと、私は思わず涙がこぼれた。

◆コミュニケーションの変化
ビデオミーティングが学校でも普及したことで、塾やピアノ、空手やヨガなどの習い事も次々とオンライン化され、友達とも画面越しに会ったり遊んだりする機会が増えてきた。家の中では常に誰かがミーティングをしているような状態で、多い時には全員が各々の画面に向かって話している。これはまさに、よく描かれるような未来の光景だ。

それでもミーティングからの退出ボタンを押す度に、私はふと不安になる。あれは現実だったのだろうか、相手は本当はどういう状態で、どんな気持ちだったのだろうか…と。画面上ではお互いの整った部分しか見えず、細かい様子や感情の変化まではなかなか汲み取れない。ましてやいつ誰が発病してもおかしくないこの状況下、次も相手が同じように存在してくれているかさえ分からないのだ。

人との生身の関わりが少ないこのオンライン生活では、人間らしい喜怒哀楽を感じる機会は極端に減り、コミュニケーションは希薄で断片的なものへと変化する。失われた人間らしさからくるその心の枯渇は、感染や社会不安への恐怖と相まってますます人を疲弊させ、暴力や犯罪といった危険な方向へと人を押し流す。休校当初よりメンタルケアの情報が全家庭宛にしきりに発信されていたのは、この心の枯渇という問題に釘を刺すためだったのかもしれない。

◆アートの必要性
この極限的な状況下で、アートが人の心に及ぼす影響は大きい。音楽を聴き、美術に触れ、ダンスや芝居や映画を観ること、その中で人の心に触れ、喜びや悲しみを感じ、生きる感覚を再確認すること…。たとえこれらのアート体験が、今は全てオンライン上でしか得られないものであるとしても、それらは健全な人間性を保つ上で欠かせない体験と言えるだろう。

世界規模のウイルス感染という非常事態の中で、最優先事項はもちろん、感染拡大の阻止と新薬の開発だ。その最前線の戦いにおいて、残念ながらアートはなすすべがない。しかしその戦いの背後で、枯渇した人々の心を潤すために、アートはなくてはならないものなのだ。ドイツ文化相が発表した「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ、特に今は」という言葉が、胸に染み入る。

アメリカでは、国内最大の芸術文化支援機関であるNEA(米国芸術基金)のカーター代表が「アメリカは、経済、コミュニティ、生活の一部としてアートを必要としている」と述べ、約80億円相当の特別支援を発表した。また寄付文化が根付いていることから、オンライン上での様々な作品公開の在り方と寄付を募る動きも活発化している。

新型コロナウイルスによって急激にもたらされたオンライン生活は、人々のコミュニケーションを変え、アートの在り方までをも変えつつある。近い将来、最前線の戦いが実を結び、外出禁止令は解かれるだろう。しかし既に始まったこのオンライン生活は、コロナ後の世界でも一つのスタンダードになっていく気がしてならない。

 

(2020/4/15)

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須藤英子(Eiko Sudoh)
東京芸術大学楽理科卒業、同大学院応用音楽科修了。在学中よりピアニストとして同年代作曲家の作品初演を行う一方で、美学や民族学、マネージメントや普及活動等について広く学んだ。04年、第9回JILA音楽コンクール現代音楽特別賞受賞、第6回現代音楽演奏コンクール「競楽VI」優勝、第14回朝日現代音楽賞受賞。06年よりPTNAホームページにて、音源付連載「ピアノ曲 MADE IN JAPAN」を執筆。08年、野村国際文化財団の助成を受けボストン、Asian Cultural Councilの助成を受けニューヨークに滞在、現代音楽を学ぶ。09年、YouTube Symphony Orchestraカーネギーホール公演にゲスト出演。12年、日本コロムビアよりCD「おもちゃピアノを弾いてみよう♪」をリリース。洗足学園高校音楽科、和洋女子大学、東京都市大学非常勤講師を経て、2017年よりロサンゼルス在住。