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東京芸術劇場 presents 井上道義&読売日本交響楽団|藤原聡

東京芸術劇場  presents 井上道義 & 読売日本交響楽団
Tokyo Metropolitan Theatre Presents
Michiyoshi Inoue & Yomiuri Nippon Symphony Orchestra

2019年12月6日 東京芸術劇場コンサートホール
2019/12/6 Tokyo Metropolitan Theatre
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by Hikaru.☆/写真提供:東京芸術劇場

<演奏>        →foreign language
指揮:井上道義
アルト:池田香織
首都圏音楽大学コーラス(合唱指導:池田香織)
TOKYO FM少年合唱団
読売日本交響楽団

<曲目>
マーラー:交響曲第3番 ニ短調

 

井上道義と読響は昨年10月にマーラーの『千人の交響曲』を東京芸術劇場で演奏している。これは「マーラー シンフォニーセレクションin芸劇」というロングスパンでマーラーの交響曲を様々な団体が演奏する企画の第1弾であった(尚、他にはハーディング&パリ管の『巨人』、ノット&スイス・ロマンド管による『悲劇的』などがあった。当夜の交響曲第3番に次ぐコンサートはサロネン&フィルハーモニアの第9番とのこと)。先述の『千人~』は筆者未聴だが、いかにも井上らしい個性に満ちた演奏だったとの声を多数聞いた。この第3番では井上自身がプログラムに文章を寄せており、自身のブログではさらに当曲の各楽章に言及しての長文をしたためているが、それを極めて簡潔に要約すれば「一般的なこの曲の演奏への違和感→自身で徹底的にスコアを読み直して自分が思うところをこだわって音にする」。極めて興味深いその文章(マニフェスト?)は各自ご確認頂くとして、その主張が実際に音としてどう表出されているか。別段答え合わせ的に聴くでもないが、どうあれ一味違った演奏になっていることは想像に難くない。

その演奏。第1楽章は増強されての9本のホルンのユニゾンから読響のパワーというか底力を聴く。この冒頭部の解釈は標準的なものだと聴いたのだが、これに続く葬送行進曲風のパートに入ると相当ゆったりとしたテンポ設定となる(これは楽章を通じて)。また、ここでは突発的に介入する弦楽器のトレモロであるとか木管及び金管楽器の楽句が全体の響きに比較的溶け込んだ形で処理されており、その意味ではマスの迫力の凄まじさと反比例するかのように表面的な音響の刺激にいささか乏しい。誤解を恐れずに言えばまるでブラームス的な音響を志向した演奏のようにも聴こえる。また、それは全体にテヌート気味にアーティキュレーションを処理していたことからも歯切れの良さ、というよりももっと大地に根を張ったような重量感を感じさせる要因だったといいうる。尚、井上はこの第1楽章について「騒々しくない」演奏を目指す旨を表明しているが、なるほどその演奏はこの言葉をある意味で納得させる。一般的にこの楽章はスキゾフレニックな音楽と認識されているが、井上の演奏からはそういうイメージは感じ取りにくい。人によってはこの演奏を「鈍重」と感じる可能性なしとしないが、筆者としては指揮者の「有言実行」ぶりに感心する/こういう演奏の可能性もあるな、と思いつつも、マーラーのテクストが内在的に指向する音楽とは少し違うのではないか、と思いもする。演奏自体はトロンボーンのミスなどの目立つ瑕はあれど読響は総じてその実力を発揮していた。

ここで女声合唱が入場しての第2楽章。第1楽章にも増して井上の個性が前面に出て来た感。細部に至るまでスローテンポで綿密に歌わせ非常に細かく表情を付けるが、それゆえか大変に面白く聴けるも陶酔的な音楽とはならずにいくらかの作為性を感じさせる。嬰へ短調の中間部でもテンポの対比が弱く、全体はなだらかな弧を描くかのごとく演奏される。全体の構成としては起伏を均し、かつ細部にはこだわる。なるほど指揮者の実力が良く分かる演奏だが、個人的にはもっと軽快な流れが欲しい。

続く第3楽章では中間部の処理が面白い。ここでもまたテンポ的対比をさほど付けず、かつ通常遠くに配置するポストホルンが非常に近い距離から生々しく聴こえる(当初どこで吹いているのか分かりかねたが、ステージ上方オルガンの左脇からのようだった。終演後に奏者が――エキストラで参加した都響の高橋敦氏――そこから登場したからだ)。それゆえ幻想的な趣はなく非常にリアルで即物的な音世界が展開されていた印象で、なるほど井上の「色」は明快に出ている。ちなみに楽章終結間際にトロンボーンを初めオケ全体が咆哮する箇所で足早に児童合唱が入場して来たが(その様がどこか異様)、第3楽章と第4楽章の間に落ち着いて入場させた方が聴き手としては素直に音楽に接することが可能となるように思ったのだがいかがか。何らかの意図は当然あるのだろうが。

おもむろにホール内の照明が落とされ、アルトの池田香織にスポットが当てられての第4楽章。奥深い美声が大変に見事だが、これを支えるオケはもっとソロの表情に寄り添って欲しく少し雑な印象。照明が明るく復活しての第5楽章は女声合唱、少年合唱共に清廉な声の美しさは素晴らしいが発声というか表情の抉りと響きが浅く残念。また、少年合唱の鐘の音を模した「Bimm bamm,bimm,bamm,」の歌詞において、「mの音を長く保って響かせる」という指示とはかなり違った歌わせ方をしていたのはどういう意図なのだろう。

そして終楽章。「清潔感あるスピード」と指揮者が語るように、大きく粘らず比較的淡々とした調子で進められる音楽だが、その音楽への共感度は聴き手である我々にも十分伝わってくる。しかし、ここではそういうことよりも指揮者の振り方に起因するのだろうか合奏の精度にやや難がある場面が散見される。分かり易い例ではコーダにおける拍節を明快に示さない指揮によるものだろう、明らかな「ズレ」。これがなければさらに感動的な音楽となっていただろうに、少し残念であった。

改めてこの日の演奏を振り返るに、井上の「宣言」通りなるほど他では聴けないこの指揮者ならではの音楽が展開されていたのはさすがであったが、しかしその音楽には必ずしも首肯し難い面があったのは事実。さらに言えば、このコンサートがもし2回もたれていたのであれば技術的にも表現的にもより練度が高まった好演が聴けたのではなかろうか。

(2020/1/15)


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<Artists>
Michiyoshi INOUE, Conductor
Kaori Ikeda, Alt
College of Music, Festival Chorus
TOKYO FM Boys Choir
chorus master:Kaori Ikeda
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra

<Program>
Gustav Mahler: Symphonie Nr.3 d-moll