Menu

関西二期会 オペラ「サルタン王の物語」|能登原由美

関西二期会 第90回オペラ公演「サルタン王の物語」
プロローグと4幕/日本語上演・字幕付き/新制作

2018年12月2日 
兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
Reviewed by 能登原由美(Yumi Notohara)
Photos by 早川壽雄/写真提供:関西二期会

作曲|N. リムスキー=コルサコフ
原作|プーシキン
台本|ベルスキー
日本語歌詞|菅尾友
指揮|柴田真郁
演出|菅尾友

〈出演〉
サルタン王|澤井宏仁
長女|板井美知
次女|近藤麻帆
ミリトリッサ(末娘)|末廣亜矢子
バハリハ(母親)|児玉祐子
グヴィドン王子|小餅谷哲男
姫(白鳥王女)|熊谷綾乃
老人/船乗り|山﨑覚
伝令/船乗り|山咲響
道化師/船乗り|萩原泰介
合唱|関西二期会合唱団
管弦楽|大阪交響楽団

 

舞台天井から長く垂れ下がった柔らかな布地に、七色の照明が反射してキラキラと煌めいている。天井から姿を現した白い海藻のようなオブジェも、光に照らされ虹色に変化していく。舞台上では色とりどりの衣装をまとった人物たち。その動きはとどまることなく、豊かな色彩の饗宴を繰り広げていく。リムスキー=コルサコフのきらびやかな音の乱舞を視覚で捉えるなら、まさにこういう情景になるのだろう。

〈熊蜂の飛行〉で知られるオペラ《サルタン王の物語》。ただし、そのオペラ自体を観る機会、それも生の舞台上演を観る機会はとても珍しい。私自身ももちろん初めてだった。第3幕に挿入される間奏曲、〈熊蜂の飛行〉はオペラ本編とは裏腹に、管弦楽名曲コンサートの常連であるどころか様々な編曲版も存在するなど人気の作品。タイトルそのままに、蜂の羽音を模したかのように小刻みに動き続けるパッセージ。その尻尾にくっついているピッツィカートの分散和音は、まさにお尻の針がチクリと刺すかのようなイメージだ。そのユニークさもあって、この曲だけが取り出されて広く知れ渡るが、当のオペラへの関心はいまだに薄い。

上演される機会が少ないのは無理もないだろう。勧善懲悪を骨子とするお伽話とは言え、僅か2時間余りのオペラ作品として具現化するには話が少々錯綜している。サルタンの王妃となったために母親と2人の姉の妬みを買った末娘が、罠にはめられ生まれたばかりの息子とともに島流しとなる。やがて成長してグヴィドン王子となったその息子は、かつて命を助けた白鳥の魔法によって熊蜂に変身し、父親であるサルタン王に会いに行く。その際、王妃を陥れた母親と姉達をチクチクと刺して懲らしめる場面であの名曲が登場。ここが一つの山場だ。一方、真実を知った王は島で妃とグヴィドン王子に再会、さらに王子は白鳥から変身した姫と結婚し、全てがハッピーエンドに終わるというもの。それらの内容はオペラの中で全て語られるわけではないため、あらかじめ筋を頭に入れていないと展開が掴みにくい。

なにせ、時間の経過とともに目まぐるしく変化する状況を観客に伝えるのは容易なことではない。だがここでは、薄い半透明の幕を下ろして舞台を前後に区切るとともに、合唱を舞台裏に置くことで異なる場所の出来事をうまく同時進行させていた。さらにそれが、音楽のポリフォニーとも呼応して絶妙な調和を生み出していたのだから言葉がない。演出は菅尾友。冒頭で述べたような色彩感覚も含め、彼が作り出す舞台空間は視覚と聴覚が見事に共鳴し合い、音楽劇の醍醐味を味わわせてくれる。

ただし1点、肝心の聴覚の部分で悔やまれたことがある。それは、日本語による上演を選択したことだ。その歌詞を手がけたのも菅尾で、語呂合わせや押韻など随所に工夫が見られたのは賞賛したいところだが、日本語と旋律の抑揚のズレがしばしば気になった。いや、そもそもロシア語と日本語とでは発音もアクセントも大きく異なる。言葉の発音が作り出す音色も音楽を構成する重要な要素の一つであることは間違いないが、それを原語ではなく日本語で代替すれば、その要素の一つが欠けることになる。子供でも楽しめるよう、わかりやすさを優先したのであろうが、欠けたものの大きさは致命的だったと言っても良い。

けれども歌唱そのものは各登場人物の性格をうまく描写していたように思う。つまり、母親と二人の姉達の意地悪なやり取りに対し、末娘(末廣亜矢子)は芯のある歌声で一途な強さを演出していた。グヴィドン王子(小餅谷哲男)には若者らしい無垢や溌剌さがあった。また、終始謎めいた存在で最後に姫へと変身する白鳥王女(熊谷綾乃)は、伸びと透明感のある声に神秘的な響きも含ませ、一際印象的であった。彼らの歌が原語によるものであったら、また印象も違っていたのかもしれないのだが。

一方、彼らを支えた管弦楽(大阪交響楽団)では、オペラ指揮者としてのキャリアを着実に積み重ねている柴田真郁がタクトを握った。劇的な作りで推進力もあったが、舞台上の華やかさに今一つ押され気味であったのが残念だった。

                             (2019/1/15)