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『現象の色』 |田中里奈

『現象の色』
The Color of Phenomenon

Text and Photos by 田中里奈 (Rina Tanaka)

 

2020年に起こったさまざまな出来事のうち、日本の文化・芸術に影を落としたのは、感染者の増加やそれに伴う非常事態宣言、(当初はそうではなかったが、振り返ってみれば)長期的な活動自粛だけではなかった。渡航制限は国内外のアーティストの移動を大きく制限した。美術の文脈で言えば、東京都現代美術館で2020年3月に予定されていた展覧会「ときに川は橋となる」が話題になったi。この展覧会では、オラファー・エリアソンを含む制作チームが来日できなくなったために、スカイプで展示室とエリアソンを繋ぎ、日本の展示チームが作品の設置を行うことになったii

さらに痛手だったのは、2020年に企画されていた東京オリンピックが2021年に延期されたことだ。首都圏に住んでいると、生活に地続きのさまざまな心配事――2019年に実験的な交通規制が行われた時はげっそりしたものだ――の方が身近に感じられて、正直に言えば、なんという面倒な催しをやるのかと思っていた。だが、この大会に乗じて企画されていたさまざまな文化・芸術プログラムを無視することはできない。普段実現しようとするとなかなか難しい企画を通すには、うってつけのタイミングだったのだ。それらは皆、いったいどこへ行ってしまったのだろうか。

インスタレーション『現象の色』
インスタレーション『現象の色』もまた、オリンピックに関連したプログラムのひとつだ。オリンピック・パラリンピック関連文化プログラムTokyo Tokyo Festivalの一環として2019年に企画された当初は、ギリシアで活動する芸術家ジョージ(ヨルゴス)・スタマタキスが墨田区に滞在し、作品を制作する予定だった。しかし、COVID19の感染拡大に伴う国際的な渡航制限を受けて、6月に予定されていたインスタレーションは延期され、スタマタキスはアテネで制作を始めた。規制緩和を経て、ようやく10月に来日が実現したので、ついに12月、予定よりも半年後ろ倒しになって、すみだ北斎美術館でインスタレーションが開催されたiii

美術館内の講座室に展示されているのは、次のオブジェクトだ。入室して左側にはモニターが設置されている。その横にはボードが壁に沿って吊られていて、挨拶と解説が日本語と英語で併記されている。部屋の中央に目を遣ると、ギリシアのヘプタニサivの海を写した62枚の絹布が、横に6枚、縦に10列の感覚で吊り下げられている。四方には扇風機が置かれているので、アニメに出てくる屋外に干された洗濯物のように、布がはらはらと捲り上がる。洗濯物と言ったものの、白い室内では布の材質よりも、そこに印刷された海の色がまず目に飛び込んでくるので、布の揺らめきはちょうど海中で感じる波のように見える。

ただし、布に写る海の色は本来の色ではない。写真の色に藍染が重ねられている。注意深く布を見て回ると、布ごとに色の濃淡が異なることに気付かされる。いやそもそも、私の記憶が正しければ、ギリシアの海の色はもっと透明度が高く、澄んだ青色だったはずだ。2013年に訪れたミコノス島のKalo Livadiの浜辺では、水に潜るとずっと先まで見通せた。

海の写真に染み込んだ藍の色はひとつのレンズを私たちに提供している。それは横長の絵葉書よりも一回り大きな、このインスタレーションのチラシに印字された問いにつながっている――「100年後、海の色は何色だろうか」。

12月の寒い日、暖房が利いてあたたかい室内でギリシアの海と向き合っていると、布の一枚をポストカードや暖簾にして持ち帰りたくなる衝動に駆られる。けれどその衝動は、「ギリシアの海」という語から連想されるリゾートなイメージに由来したものではないだろうか。この作品が指さしている現象のひとつが人間と汚染vの関係であるとするならば、この作品で生じた色の変化は非常に多義的だ。

見えないパフォーマンス
さて、このインスタレーションには別の見方もあった。会期の最終日に滑り込んだ時、ちょうど10分間のパフォーマンスが上演されていた。絹布の行列のほぼ中央に赤い絨毯が敷かれ、その上にドラムとパーカッションが置かれている。ダンサーは布の合間――布と布、布と地面の間――を縫うように動き回る。朱色の入ったダンサーの衣装がチロチロと見えるので、まるで海の中を泳ぎ回る魚のようだと最初に感じた。が、彼女が動き出すと印象が変わった。優雅な仕草であるにもかかわらず、荒々しさを感じさせるパフォーマンスが、生物というよりももっと不可解で畏ろしいものを連想させた。

ところで、パフォーマーたちの身体が完全に見えないパフォーマンスを観ていて思い出したことがある。2020年、いくつかの劇場公演において、身体の一部や全部を覆ったり(例えば、ドナルカ・パッカーンによる『野獣降臨』vi)、演者と観客の間に何らかの遮蔽物を置いたりと(野田秀樹の『赤鬼』などvii)、感染対策と演劇的効果を兼ねた演出が取られた。もちろん2020年以前にも、そのような試みは(感染対策という観点からでなくとも)たくさんあった。

「パフォーマンスの全貌を捉えることができない」という意匠は、すべてを見ようとしがちな今日の傾向――素朴に言い換えるとすれば、「上演の時にはよく見えなかった細部は、あとで映像化された時に見ればいいや」と思える感覚――とは真逆である。今回の、インスタレーションの中で上演されたパフォーマンスを完全に把握できる人がいるとしたら、それはパフォーマーである。しかも一人称視点での「体験」で、である。このパフォーマーの特権性は、観客が観客として観察することを良しとしない。言い換えると、自分で動いて別の視点を取りたくなるし、インスタレーションの中に入ってみたくなる。そして重要なのは、そのような行為がこの空間の中では許されているということだ。

あるいは、ここでひとつ発想を転換させてみよう。「人がよく見えない」という印象は、このパフォーマンスが演者を見せるためのものだという、演劇的な考え方に基づいている。しかし、このパフォーマンスにおける主役は本当に人間の演者だけなのだろうか? 少なくとも、ギリシアの海が写った藍染の布と、演者たちとの間のインタラクションがパフォーマンスを形作っているのだから、布も演者のひとりだろう。さらに、二人の演者同士は、視覚的というよりも感覚的に、お互いのパフォーマンスを読み合っているようにみえたから、その読み合いを媒介している音や振動、布の動きの軌跡といったものも、ここでは演者にカウントしてもいいのかもしれない。

パフォーマティヴなアート作品として
せっかく正月で時間があるので、もう少し想像を広げてみたい。シャウシュピール・ライプツィヒが2020年4月から5月にかけて連作したZoom演劇『k.』だviii。4週間にわたるワークインプログレスで生み出された作品で、俳優たちのダイアローグ的なモノローグに、コルネリウス・ハイデブレヒトによる即興的な演奏が重ねられた。だがZoomの特性上、会話中の参加者単体の声にフォーカシングしてしまうので、舞台上で当たり前に行われていた多重的なレイヤー――俳優が喋っているのと同時に即興演奏を行う方法――が困難になってしまった。6月のアフタートークで、俳優たちは演奏者を、伴奏者ではなく俳優のひとりとして冗談交じりに認めていた。

この出来事が、パフォーマンス理論に係ってきた私からすると、結構重要だった。近年、俳優中心主義から脱して、上演を構成するさまざまな要素を等位にみなす動きがある。ハイナー・ゲッベルスのミュージック・シアター論やix、ゲルノート・ベーメによる「雰囲気」論xがパッと思い浮かぶが、アートの文脈におけるセノグラフィーも演劇の概念を展示空間に持ち込んでいる。いずれの場合も、異なる性質を有した複数の要素を、旧来的なヒエラルキーではない関係で掛け合わせることで、パフォーマンスをそこに生み出すのだxi。ここ一年の間、良くも悪くもパフォーマンスにメディアが関与することで、要素同士の関係が可視化された。メディアが介在することで、いったい何が変容し、何が残ったのか。そして、そこには何が不可欠なのか。

『現象の色』の話に戻ろう。このインスタレーションは単なる「展示」ではない。そうではなく、制作プロセスそれぞれがパフォーマティヴに積み重なったアート作品の、ごく一部分である。人と物とが行為を通じて媒介され、そこで生じた現象を記憶した物が、次の行為者との新たな関係を通じて新たな現象を生む。その不可逆的な数珠つなぎの現象が、決して把握することのできないこの作品の全容である。

作品が現象的であるからには、アーティストの移動と、そこで生じるインタラクションが大きな意味を持つ。だから、ひとつのプロセスに居合わせるという行為は、鑑賞者というよりも行為者の一人として、この作品に関与することでもある。その行為が困難になった今だからこそ、いっそう痛切に、その重要性を認めずにはいられない。

(2021/1/15)

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George Stamatakis,  The Color of Phenomenon
at the Sumida Hokusai Museum, MARUGEN 100, December 18-26, 2020(※)
※It was initially planned in June 2020. Due to the international travel restriction, the installation was postponed.

Organized by UPN, Ltd.
Supported by Arts Council Tokyo, Tokyo Metropolitan Foundation for History and Culture
Endorsed by Sumida City / Embassy of Greece in Japan
Sumida River Sumi-Yume Art Project – Cooperative Network Project

Performance in the installation (on December 26, 2020)
Director: Yukari Sakata
Performer: Takako Abe, Kyojun Tanaka

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田中里奈 Rina Tanaka
東京生まれ。明治大学国際日本学研究科博士課程修了。博士(国際日本学)。博士論文は「Wiener Musicals and their Developments: Glocalization History of Musicals between Vienna and Japan」。2017年度オーストリア国立音楽大学音楽社会学研究所招聘研究員。2019年、International Federation for Theatre Research, Helsinki Prize受賞。2020年より明治大学国際日本学部助教。最新の論文は「ミュージカルの変異と生存戦略―『マリー・アントワネット』の興行史をめぐって―」(『演劇学論集』71、日本演劇学会)。

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i オラファー・エリアソン「ときに川は橋となる」東京都現代美術館、2020年6月9日~9月27日。https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/olafur-eliasson/
ii オラファー・エリアソン「ときに川は橋となる」東京都現代美術館展覧会公式カタログ、フィルムアート社。
iii ADF「ギリシャのアーティスト ジョージ・スタマタキスが藍染で未来の海を描くTokyo Tokyo Festival「現象の色 The Color of Phenomenon」」、2020年12月9日、https://www.adfwebmagazine.jp/art/the-exhibition-the-color-of-phenomenon-by-greek-artists-george-stamatakis/
iv コルフ島、ケファロニア島、イタカ島、パクソス島、レフカダ島、イターキ島、ザキントス島の7カ所。今回の展覧会のために、上記よりレフカダ島、イターキ島、ザキントス島を除いた4つの島、およびアンティパクソス島の周辺で6000枚以上の海中写真が撮影された。
v ドキュメンタリー映像「Ai (αεί) −永遠の青−」(監督:ゾーイ・マンタ、水中撮影:ジョージ・スタマタキス)、ギリシア語(日英字幕付き)、https://vimeo.com/489177429
vi 防護服で全身を覆った俳優が登場する。ドナルカ・パッカーン「野獣降臨」萬劇場、2020年7月22日~7月26日。https://donalcapackhan.wordpress.com/2020/06/19/nokemono/
vii 客席と舞台の間にビニールでできた幕が張られた。野田秀樹『赤鬼』東京芸術劇場、2020年7月24日~8月16日。
viii Schauspiel Leipzig, k., 4 Folgen, vom 4. April bis zum 9. Mai 2020, https://www.schauspiel-leipzig.de/spielplan/archiv/k/k-ein-internet-projekt/
ix Heiner Goebbels/Hans-Thies Lehmann „Gespräch“, in: Wolfgang Storch, hrsg., Das szenische Auge, Berlin: Institut für Auslandsbeziehungen, 1996, S. 76f.
x Gernot Böhme, Atmosphäre: Essays zur neuen Ästhetik, Frankfurt a. M.: Suhrkamp, 1995.
xi Pamela Howard, What is Senography?, Second Edition, London: Routledge, 2009 [2002].