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注目の1枚|鈴木輝昭 室内楽の地平|丘山万里子

鈴木輝昭 室内楽の地平

text by 丘山万里子(Mariko Okayama)

<曲目>
① 無伴奏チェロ組曲第1番
② スピリチュエルⅡ~チェロとピアノのための
③ 弦楽四重奏曲第3番
④ ピアノ三重奏曲第1番
⑤ ディヴェルティメント~チェロ合奏のための

<演奏>
Vc:鈴木皓矢 ①②⑤、横田誠治 ③⑤、富岡廉太郎 ④、福崎茉莉子 ⑤、大宮理人 ⑤、中条誠一 ⑤、小林幸太郎 ⑤、松本亜優 ⑤、村井智 ⑤
Vn:篠原悠那 ③、桐原宗生 ③、鍵冨弦太郎 ④
Vla:中恵菜 ③
Pf:鈴木あずさ ②④

録音:
① 2017/7/14 古賀政男記念館けやきホール
② 2015/4/28 東京文化会館小ホール
③ 2014/3/27 津田ホール
④ 2016/4/28 東京文化会館小ホール
⑤ 2012/3/27 津田ホール

日本アコースティックレコーズ
NARD-5062 ¥3000+税

鈴木輝昭作品は実演に接するたび、いいなあ、と思う。その室内楽作品をまとめて聴ける1枚。

実演でも唸った『弦楽四重奏曲第3番』がやっぱり、ぴかいちだ。
鋭利なフレーズが舞い上がって急降下、低音がズズズンとリズムを刻み始める、この「つかみ」がこの人はうまい。音楽なんて、古典だろうが現代だろうが、クラシックだろうがポップスだろうが、結局、最初に耳をひきつける、己が世界に引きずり込んでなんぼの勝負、と筆者は思う。ところがこれのできない人、つまりは己が世界のない人(見かけでない)が多いのだ。
で、実に多面体の音響世界が展開する。はじき、こすり、短句グリッサンド、一瞬抒情フレーズ、トレモロ、音滴落下、旋回、線描、ダイナミクス増減などなど、白布キャンバスにあれこれのタッチで音をぶつけ書きなぐってゆくその筆使い、手捌きがかっこいい。なぐって、と書いたが、勢いのことで、乱暴ということでない。精緻でシャープなデザインと構成力、加えて響きのテクスチュアと色彩解像度(デジタル的でなく)の高さ。
そう、実演でいつも感心するのはこの2点で、無駄なく弛緩なく鮮明。

次に、おおっと思ったのは『スピリチュエルⅡ』(曲順ではこちらが先だが、四重奏を聴くとやはり軍配はそっちに上がった)。
これも、ピアノの細かな水泡が夢幻の色合いで湧き上がる、そこにチェロがすうっと若鮎みたいに姿を現し泳ぐのだ。あとはその遊泳を一緒になって(自分も鮎になって)体感する感じ。岩にぶつかったり(痛っ!)、水底に潜ったり(冷たっ!)、水草と遊んだり(ゆらゆらり)。
と、ここまで書いて、本人解説を見たら“一曲目は『雨月物語』から、<夢応の鯉魚>を”、とあるではないか。いやはや。二曲目は<浅茅が宿>だって。そうと知ってしまうと、冒頭のチェロ・ソロは男が7 年前、妻を残して出奔した、その家の戸を開け、のそっとしのび入る姿にしか思えなくなる。あとは亡妻との一夜・・・が、そんな想像はやがて吹っ飛び、ただ音の動きに引きずり回される、くらいどんどんスリリングに音景は変化。最後はシュッと弦が鳴りピアノの一打で切り上げ。なるほど、消えたのね。

筆者はゲンダイオンガクでやたらと語られるコンセプトだなんだ、などどうでもいいと思っている。熱心な聴き手でもない。ただ、聴いて何かが残るものと残らないものがあるのは確かだ。コンセプトなど残らない、残るのは音だけだ。そして音にはいろいろな美(思考を促す、も含む)が詰まっている。詰まっていないのもある。とどのつまりは自分が反応・響応できるかできないか、しかなかろう(そのためにどういう準備が必要か、については、いずれまた)。

このディスク、別に全てに反応・響応できるわけでない。
が、手に取ればそれぞれに、美との遭遇があるんじゃないか、とだけは言える。
演奏もピュアで高水準。

鈴木輝昭は合唱領域での評価が高いが、器楽の腕も「斬れる」のだ。

(2018/6/15)

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