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特別寄稿|コロナ対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない?|太田隆文

コロナ感染対応を見ていると「沖縄戦」を思い出した。いつの時代も政府は国民を守らない?                 

Text by 太田隆文(Takafumi Ota)映画監督

コロナ感染拡大による緊急事態宣言「店を閉めろ! 外出するな!家で過ごせ! 人に会うな!」と自粛要請。スーパーではトイレット・ペーパーやマスクが売り切れ。政府は国民にあれしろ!これしろ!という割には「アベノマスク2枚。1人10万円の給付」としか言わない。その上、緊急事態宣言が終わっても届かない家庭が多い。

そのマスクも小さ過ぎる。虫やカビが入っているものもある。それに200億円以上も使った。1ヶ月も店を閉めれば赤字。数百万円単位。10万円もらっても焼け石に水。「マスクより金よこせ!」収入ゼロ、家賃が払えない。廃業、倒産、自殺に追い込まれた人もいる。政府は一体何をしているのか?

そんな現実を見ていると、僕が2016年から3年がかりで製作した映画『ドキュメンタリー沖縄戦』が重なる。当時を知る12人の体験者と沖縄戦の専門家8人に取材した作品。その製作時に知った日本軍の方針も今の政府と変わりなく思えた。沖縄戦の場合。米軍上陸に備えて、沖縄県民の14歳から70歳までを動員。飛行場の建設。防空壕作りなど、軍の手伝いをさせた。本土から沖縄に送られた第32軍は10万人ほど。対するアメリカ軍は50万人を超える。その数を補充するため県民が根こそぎ動員されたのだ。

戦闘中も住民に武器弾薬の運搬等を強要。そのことで多くが戦闘に巻き込まれ、最終的に県民の3分の1が死亡。さらに軍人たちは自分たちが隠れるために防空壕から住民を追い出したり、食料を奪ったり。そして自決まで迫った。なぜ同じ日本人が沖縄県民に対して死まで強要したのか?

映画の中で体験者が語っているが、2個の手榴弾を役場から渡される。「1個はアメリカ兵と出会ったら投げろ。もう1個は自決に使え」当時の教えは「生きて虜囚の辱めを受けず」。捕虜になって辱めを受けるのなら、その前に自決せよという意味。だが、この戦陣訓の本当の意味は「アメリカ軍の捕虜になり尋問され軍の配置等を喋られては困る。だから死ね!」というもの。軍の都合なのだ。ここからも当時の日本軍、日本政府の考え方は「国民を守る」ではなく「国民は使い捨て」「どうでもいい」ものだと思える。

実際、沖縄に派遣された第32軍の目的ー政府からの命令は「沖縄県民を守ること」ではなく、米軍を沖縄に釘付けにし、持久戦に持ち込み、体力や兵力を奪い、少しでも本土上陸を遅らせることにあった。その間に本土決戦の準備。そんな時間を稼ぐことこそ沖縄に送られた第32軍の使命だった。

コロナ禍も同様。国民にあれこれ犠牲を強いるばかり。マスクと遅すぎる給付金のみ。国民が苦しみ、経済が落ち込んで行くのを政府は高いところから見つめるだけ。財務省の金を使わずに温存しようという考え。消費税さえ下げなかった。導入前には「リーマンショック級の事態が起これば延期する」と言っていたのに、それ以上の緊急事態になっても下げない。当時の日本軍も今の日本政府も、その考え方は「国民を守る」ではなく「国民は使い捨て」「どうでもいい」もの。戦後75年でも、変わらない体質があるのではないか。

 

実は取材をするまで、僕は沖縄戦についてはほとんど知らなかった。友人たちに聞いてみたが同様。若い人たちに聞いても同じ。どうも日本人の多くは沖縄戦の詳細を知らない。なぜだろう?と考えた。

まず学校で学ぶ日本史の授業に問題がある。太平洋戦争は3学期。時間がなくバタバタと通り過ぎる。沖縄戦は「日本で唯一の地上戦が行われた」という一行で終わることが多い。

沖縄戦に関するこれまでの日本の映画を振り返ると、広島、長崎の原爆は映画やドラマになり、何度もくり返し描かれている。世界のクロサワも『八月の狂想曲』で題材とした。『はだしのゲン』というベストセラーの漫画。真珠湾もミッドウェイも何度も映画化。対して沖縄戦は『ひめゆりの塔』(リメイクを含め数本)と『沖縄決戦』(岡本喜八監督)の2つくらいしか有名作品はない。ドラマ化もあまりなく、漫画でも有名作はほとんどない。数年前のアメリカ映画『ハクソー・リッジ』は沖縄戦の映画なのに、日本公開時はそれを伏せて宣伝が行われた。そのために多くの日本人が沖縄戦の事実をよく知らぬまま来てしまったのだ。

では、なぜ、描かれなかったか? あまりにも酷い現実が多く、商品としての映画、ドラマにしづらいという側面。あまりにも理不尽な現実を見たくない。あるいは知られたくないという人たちもいたのではないか? 実際「軍は沖縄を救うために派遣された。捨て石にはしていない!」「集団自決も軍の指示ではなく、住民の意思だった」と主張する人たちもいる。裁判でも争われた。(証言に信憑性がなく棄却)いろんな意味で沖縄戦を映像化する難しさがあった。

また、沖縄戦を含む太平洋戦争の責任を取るべき人たちが、最近まで健在だったこと。その子、その孫が現在、活動中。表に出しづらい様々な事実も存在する。授業で詳細を教えずに、駆け足で通り過ぎることが都合のいい人たちもいるように思える。しかし、沖縄戦を見つめることで、いろんな現実が見えてくる。僕の監督作『朝日のあたる家』では原発事故を描いたが、沖縄戦と重なるものを数多く感じた。両方とも国策。どちらも国民の犠牲の上に進められた。

一般的に沖縄というと「青く美しい海のある島」と「基地の町」という二極化したイメージを持つ。僕もその一人だったが、取材を通じ想像を絶する現実を知った。『ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶』は米軍撮影の数々の記録映像、体験者の証言、専門家による解説を駆使したドキュメンタリー映画だが、沖縄戦を見つめることは、過去を振り返るだけではなく今、日本が抱える問題を見つめることにも繋がる。戦後75年、あれこれ考える機会にして頂ければ嬉しい。

(2020/7/15)

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太田隆文(おおたたかふみ)
1961年和歌山県生まれ。映画監督。南カルフォルニア大学映画科に学ぶ。故・大林宣彦監督に師事。2005年『ストロベリーフィールズ』でデビュー。以後、青春もの。家族ものを撮り続けている。2013年には映画業界ではタブーとされた原発事故の映画『朝日のあたる家』を監督。当時は俳優だった山本太郎が出演。大ヒット。

ナレーションは『ゴジラ』『太平洋の嵐』の国民的俳優・宝田明。子供時代に家族と共に満州から命からがら引き揚げて来た経験を持つ。そして。沖縄戦を描いた『ひめゆりの塔』(1982年版)に出演した斉藤とも子。

東京は7月25日から新宿のK’sシネマで公開。続いて大阪、名古屋、京都、そして沖縄まで現時点で16館の上映を予定している。

監督作『青い青い空』(2010/松坂慶子、長門裕之)『向日葵の丘 1983年夏』(2015/常盤貴子・田中美里)『明日にかける橋 1989年の想い出』(2017/鈴木杏、藤田朋子)がある。今回は初の長編ドキュメンタリー作品。

東京 新宿K’s cinema 7/25(土)~
横浜 シネマジャックアンドベティ 8/8(土)~8/21(金)
山形 MOVIE ON やまがた 8/21(金)~9/3(木)
茨城 土浦セントラルシネマズ 8/15(土)〜
埼玉県 イオンシネマ浦和美園 8/7(金)~
新潟 イオンシネマ新潟西 8/7(金)~
金沢 イオンシネマ金沢 8/7(金)~
山形 MOVIE ON やまがた 8/21(金)〜
名古屋 シネマテーク 8/8(土)〜
長野 千石劇場 8/14(金)~8/27(木)
静岡 藤枝シネ・プレーゴ 8月上映予定
大阪 第七藝術劇場 8/1(土)~8/21(金)
京都 京都シネマ 7/31(金)~
岡山 岡山メルパ 8/7(金)~8/20(木)
山口 萩ツインシネマ 上映時期調整中
沖縄 桜坂劇場 8/8(土)~
大分 別府ブルーバード劇場 8/21(金)~9/3(木)
鹿児島 天文館シネマパラダイス 8/14(金)〜