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特別企画|東京都響・COVID-19影響下における公演再開に備えた試演|齋藤俊夫

東京都響・COVID-19影響下における公演再開に備えた試演

2020年6月11,12日 東京文化会館大ホール
2020/6/11,12 Tokyo Bunka Kaikan Main Hall
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by Rikimaru Hotta/写真提供:東京都交響楽団

<演奏>
指揮:大野和士
ソプラノ:谷原めぐみ(12日のみ)
バス:妻屋秀和(12日のみ)
管弦楽:東京都交響楽団

<測定・検証>(12日のみ立会い)
慶應義塾大学理工学部教授 奥田知明(環境化学・微粒子工学)
カトウ光研株式会社 藤村浩一
聖マリアンナ医科大学感染症学教授 國島広之

<実施内容>(当日のプログラムより)
海外のオーケストラや研究者による科学的な調査・実験の結果、推奨されている奏者間の距離を参考に、演奏者、指揮者の意見を取り入れながら試演を行う。またエアロゾル測定の専門家、感染症専門医らの立会いのもと、演奏状態の総合的な検証と音楽的成果の両立を図る。

<スケジュール>
6月11日
弦楽合奏 複数の奏者間距離パターンでセッティングし、試演する。
試演終了後、大野和士(音楽監督)、矢部達哉(ソロ・コンサートマスター)、国塩哲紀(芸術主幹)による記者団との質疑応答。

6月12日
金管合奏、木管合奏、管弦楽、歌と管弦楽。
初日の結果設定された弦楽合奏のセッティングに合わせて、管打楽器を配置し、距離、位置等を調整しながら試演する。

 

試演会の始まりに、大野和士が、この試演会は自分たちのためだけでなく、日本中の他の音楽家、演奏団体、コーラスなど、アマチュアも含め皆が待っているものだと会の意義を述べた。

そして『ホルベルク組曲』プレリュードの出だしを聴いた瞬間、筆者は自分の心と体の内に縮こまっていたものがブワアァッと広がるのを感じた。これがホールで聴く生の楽器の音!美しいと言うだけでは表しきれない、なんと……なんと……表現すれば良いのか……幼年期に初めて聴いたオーケストラの音か、それとも高校に入学して初めてオーケストラ部の演奏を聴いたときの衝撃か……「これだ、自分はこれを聴きたかった、これをずっと待っていたのだ」という感動であった。
この時点では奏者同士の間隔は2m。数ヶ月前までの自分ならば「音が変だな」と感じただろうが、喜びの方が勝ってそれどころではなかった。

奏者同士の間隔を1.5mにしてまたホルベルク組曲のプレリュード。なるほど、音の密度が高くなったと感じたと同時に、パート間の受け渡しの縦の線のズレ、奏者ごとの音量のバラつきなどにも気づき始めた。
奏者の間隔をさらに1mに縮める。全体の音がまとまり、パート間のアンサンブルの精度もずっと高まる。

その間隔のままホルベルク組曲のアリア。ああ、凝っていた心がほぐれる。忘れていた感情が蘇る。
ここで指揮者の前に立ててあった屏風のような透明のプラスチック(アクリル?)製の板がどかされた。するとより音の解像度が増した。

休憩。お手洗いに入るとそこもソーシャル・ディスタンス仕様になっている。もし本番になった時、客数も減らされるだろうが、それでも器の数が足りるのだろうかとやや心配に。

前半最後と同じ距離の配置でチャイコフスキーの弦楽セレナーデの第1曲。やはり生の音に惚れ惚れしてしまう……。
それまでは1奏者1譜面台で演奏していたのだが、ここで通常と同じく、2奏者で1譜面台を使うようにして、前後左右をやや詰めた。そうするとパート内の音がより一体化していく。
フィナーレ(第2曲ワルツと第3曲エレジーは飛ばされた)まで聴くと、筆者にはこれまでの本番とどう違うのかわからないほどであった。

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試演の後での記者団と大野・矢部達哉、国塩哲紀との質疑応答で筆者の印象に残ったものを挙げる。録音などはしていないのであくまで大意であることをご承知されたい。
(質問)編成上、曲目が限定されることにどう対処していくつもりか。
(大野)距離を考慮しながら、芸術性と両立させていく。シェーンベルク、ヒンデミットなど、小さな編成でも良い作品はたくさんある。それらを取り上げる機会にもなる。

(質問)ソーシャル・ディスタンスを保ちつつ演奏していく中で新たに求められるものは何か。
(大野)それは今回の試演会だけでも次第に慣れ、自立した音楽表現ができるようになってきて、自分にもわかってきている。

(質問)指揮者の前にある板を取り去ったが、指揮者の吐く息などの拡散は考慮しなくて良いのか。
(大野)今回はヨーロッパで既に複数あるガイドラインの内、一番距離の取り方などが大きいものから、次第に小さいものへと段階的に敷居を下げていった。今後、衛生と音楽性との両立を検証し、今回の都響・東京文化会館モデルのガイドラインから日本モデルのガイドラインを作っていきたい。

(質問)オーケストラというものが今の形になってから100年間変わらなかったが、今回のパンデミックを機会にオーケストラの形を変えるつもりはないか。例えばAI技術などの導入などは考えたことがあるか。
(大野)何があっても、ライヴでしか聴けない、人の肌、人の息遣いが感じられ、生物としての創造性が核にある、生きた人間が目の前で演奏するという原形は変えることができない。
(矢部)今はできないが、いつかはマーラーやブルックナーのような大きな編成の音楽を演奏したい。そのときはそれらの音楽に対する心の在り方、聴こえ方が変わり、新しく生まれ変われるのではないか。今回のパンデミックで何故音楽が必要なのか自分も疑問を持ったが、人間には体だけではなく、心が備わっている。体だけで生きることはできず、心も生かさねばならない。緊急事態で今、皆、心に傷がついている。その傷を癒やすことが音楽にはできる。

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エアロゾルや感染症についての専門家が立ち会い、測定をしながらの2日目は舞台とは別室でエアロゾルを測定したり、舞台に測定装置を設置するなどに手間取り、なかなか演奏が聴けなかった。だが、こうやって手探りで最適解に近づいていくしかないのであろう。

演奏は、まず舞台上でのエアロゾル測定をしながらの金管楽器によるファンファーレ(曲名はわからず)。間隔1.5mと間隔1mで測定しても飛沫はこの時点では確認できず。

次に木管による舞台上でのエアロゾル測定(曲はブラームスの交響曲第1番)。間隔は(よく聞き取れなかったのでおそらく)1mと1m未満。エアロゾル測定をする前にはフルートの前に譜面台のような透明な板が設置されていたのだが、それをどけて測定。飛沫は確認できず。

測定はなしで、オーケストラでの『フィガロの結婚』序曲。管楽器の間隔は先のエアロゾル測定時の1m未満、弦楽器は前日の終わりの間隔からさらに詰め、マスクを外したい人は外しても可。
筆者は「オーケストラすごい!『フィガロ』すごい!」とまたしても感動。

休憩後、モーツァルトの『ジュピター交響曲』、やはり「モーツァルトすごい!」となったことは言うまでもないが、演奏者の間隔がもう通常とほぼ同じくらい密に見えたのが個人的にはやや不安であった。

一番前の客席に測定器を置いて、ソプラノの谷原めぐみによるヴェルディ『椿姫』より「花から花へ」、バスの妻屋秀和によるモーツァルト「もう飛ぶまいぞこの蝶々」。どうやらエアロゾルの測定値は上下するものの大きな値には達しなかった模様。
ただ、筆者としては、測定器一点のみで、歌手の息に含まれるエアロゾルの空間的動きが測定できたのかどうかが疑問点として残った。あるいは一点のみの測定器に見えて面的、空間的に測定ができる機器だったのかもしれないが、これについては結果を待つしかない。

試演会はここまで。今回の試演と測定結果は近い内に公表するとのことである。数カ月ぶりに聴く生の音への感動もさることながら、前代未聞のパンデミックからなんとか這い上がろうとする音楽人たちとそれを助ける人々の姿に心打たれた。少しずつでも、我々は前進できることが確信できる会であった。

2020/6/13記
(2020/6/15)