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ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス|ルツェルン湖のハインツ・ホリガー(1)|秋元陽平

ルネサンスと鳩時計——東京人から見たスイス
Renaissance And Cuckoo-Clock —— Notes on Helvetia by a Tokyoite

ルツェルン湖のハインツ・ホリガー(1)
Heinz Holliger at the Lucern Lakeside (1)

Text & Photos by 秋元陽平(Yohei Akimoto)

スイス——山々とチーズ、パテック・フィリップの腕時計、シャスラの白ワインといった一連のアイコンにとりかこまれ、その富貴と平穏を憧憬のまなざしで讃えられるこの国の文化的実態、芸術環境はしかし、伊仏独といった周辺国と比して、本邦ではさほど知られていない。まず、トーマス・マンの長編小説『魔の山』がスイスの街ダヴォスを舞台としていることを思い出されたい。今や多くのひとは、あの経済会議——これを書いている今もそこで米国大統領と若き環境保護活動家による応酬が続いている——の開催都市として記憶しているだろうが、それはひとまず措いておこう。主人公の青年ハンス・カストルプの出自をめぐって、こんな場面がある。ハンブルクの名家の生まれである彼は少年時代、一家に17世紀から伝わる洗礼盤の上に乗せられた皿に、歴代当主の名が刻まれていることを、祖父によって教えられる。曾祖父、曾々祖父といったぐあいに、「「曾」(ウル)という接頭語が、祖父の口の中で二つになり三つになり四つになると、孫の少年は頭を横にかしげ、瞑想するような眼つきで、口をつつましくうっとりと開いて、この曾—曾—曾(ウルーウルーウル)という音に耳を傾けた(1)」。かくして少年カストルプは、かび臭くも崇高な「歴史」に邂逅し子供心に胸をときめかすのだが、このようにドイツ語の接頭辞Urには「根源の」「始原の」といった意味があり、時間的に先行するという意味の「古さ」だけではなく、オリジン、つまり何かを生み出したものとしての立場を付与するのである。
ところで、中世の昔ハプスブルグ家に対抗して同盟を結んだスイス建国三州——ウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルテンはしばしばこの「Ur」を用いて、スイス人たちによって「原スイス Urschweiz」と呼ばれている。ところがこの「Ur」には、ドイツの大ブルジョワが「伝統に名を連ねること」に感じる荘厳さではなく、いつまでも変わらぬ牧歌的な暮らしと風景への憧れと、そしてその墨守ぶりへのある種のおかしみが込められているようだ。高級サナトリウムで知られたダヴォスは、『魔の山』においては実生活から疎隔されたある種の真空地帯として現れ、モラトリアム青年カストルプを魅惑する。この孤立と隔絶のイメージは、永世中立国としての輝かしい歴史とあいまって、さまざまに変奏されて現在もスイスにつきまとっている。
この牧歌的な孤塁は同時に、仮借ない「実用」主義の戦略拠点でもある。大口顧客の情報を国家にもあかすまいとするプライヴェート・バンクのウェルスビジネスは金融資本主義の先端を行き、チューリヒには暗号通貨のスタートアップが立ち並ぶ。スイスに住んでいれば繰り返し聴くことになる「わたしたちは小国に過ぎない」という謙遜の台詞からは、何代も牧畜や時計作りに専心してきた家族と、工科大を出て投資銀行やTech Businessに身を投じる野心家たちが同居するプラグマティックな民主国家としての自信を感じ取ることができる。気質的な保守主義と、素早く、ほとんど抜け目ないといってもよい市場適応力の奇妙な双子——これが現代スイスをめぐるクリシェのひとつではなかろうか。スイスの地図には、「原点」と「橋頭堡」の不思議な共犯関係がある。
しかしどの国においてもそうであるように、スイスの多様性はこうした類型化に絶えず抗う。公用語は四言語あり、その強い分封性ゆえに州ごとに学校制度すら異なる。仏独伊といった隣国と、スイス内で同言語を用いるそれぞれの州との帰属意識や温度感もまちまちだ。したがって「スイス性」なるものを持ち出して、域内外で活動するスイス人芸術家にこれを結びつけて語ることは危険だ。
それゆえ、これから記すことはむしろ、一連のクリシェをまとったこの国の美しい風土の中をうろつく極東からの旅行者が、その都度連想的に思いついたこと以上のものでも、以下のものでもないことは、あらかじめ断っておこう。それが19世紀以来の旅行記というジャンルの利点であるのだから。オーソン・ウェルズ演じるハリー・ライムの揶揄ではないが、スイスは「鳩時計」だけを生んだのか、それともスイス独自のマキャヴェリズムとルネサンス文化を持っているのか、といった問いには、必ずしも正面から与する必要はないだろう。

さて、昨年の6月30日のことである。ルツェルン湖のほとりに位置する、人口200人に満たない美しいバウエン村の中心にある小さな教会で、世界的なオーボエ奏者・指揮者・作曲家として名を馳せるハインツ・ホリガー氏の80歳記念誕生日コンサートが開催された。
ホリガーはベルン州の出身だが、この秘境に住むことを選んだ彼の年若の友人であるクラリネット奏者のシュテファン・ジーゲンターラー氏が記念コンサートの主催者を引き受けたのである。私は彼とそのパートナーであるピアニストの矢野泰世氏のご厚意にあずかり、コンサートに招待して頂いたのみならず、その前夜の夕食会にてホリガー氏と同席する機会を得た。
ルツェルンから湖をわたる平船にしばし揺られ、花々とアーチで飾られた岸辺にたどり着いたは良いものの、GPSで確認してもいまひとつ自分の現在地がわからない。たしかに私はスイス在住だが、フランス文学を専攻し、仏語圏のジュネーヴで暮らしているためドイツ語会話は得意でない。ましてドイツ人ですら字幕が必要と言われる独特のアクセントをもつスイス・ドイツ語ともなれば! そのとき、前を通ったのは巨大なホースのようなものを抱えた大柄な老婦人。下手な標準ドイツ語でおずおずと「ジーゲンターラーさんのところを探してるんですけど」と訪ねると、老婦人は「なんだって?」と聞き返したのち、明後日に向かって「ジーゲンターラー!ジーゲンターラー!」と朗々とした声で叫びはじめた。このほとんどオペラの牧歌的な幕間のような光景に狼狽していると、彼女はにっと笑って(かろうじて聞き取れたところによると、おそらく)こう言った。「ここでは皆声が大きいんだよ!小さい村だから叫べば出てくるのさ」——果たして、目的地は目の前であった。ジーゲンターラー氏とそのご令嬢がバルコニーから出迎えてくださった。ここからは、前例のない猛暑のただ中でも山の稜線に抱かれて冷たく輝くルツェルン湖を眺め渡すことができる。幾人かの音楽家たち——ホリガーと長く付き合いのある腕利きの演奏家たちだ——はすでに到着し、庇の影のソファでドリンクを片手にくつろいでいた。

コンサートのプログラムはモーツァルトの『グラン・パルティータ』K.361と『夜曲』K.388。ホリガーはオーボイストとしてアンサンブルに加わると同時に、仲間たちの半歩前に出て息を吸い込む仕草や身体の揺れを通じて、親しい管楽器メンバーたちを鷹揚に、しかし実に矍鑠と誘導する、いわゆる「吹き振り」を行った。普段はもっぱら村人の祈りをうけいれるためだけに建設されたこぢんまりとした白い教会で、長椅子に座った数十人の聴衆を特有の長く暖かな残響が包みこむ。
この親密な、くつろいだ夜会の「演奏会評」を書こうとは特に思わないが、これを改めて強調しておきたい。つまり私を圧倒したのは、傘寿を迎えたこのスイスのルネサンス的万能音楽家が、近現代ヨーロッパ音楽史のインカーネーション、つまり「受肉」を体現する人物だということだ。指揮、オーボエ、作曲(さらにピアノも相当の腕前だという)において一級の才能を発揮するホリガーにあって、その一挙手一投足は音楽の流れと過不足なく結びついていることは言うまでもない。
しかし私が言いたいのはそれだけではない。「受肉」といったのは、演奏家の身体がただ楽器になにごとか入力し、楽器がそれを媒介して音楽を出力するのではないからだ。まるで身体と楽器がなめらかなハイブリッドを形成しているかのようなのだ。達人が「身体の一部のように」道具を用いるというのは自在さの表現であるが、ホリガーに顕著なのは、従順で透明な媒体を扱うときの安易さではない。彼がオーボエという取り扱い困難な楽器からまったく自然に「歌」を生み出すようにみえることで知られたことはたしかだが、彼の関心はむしろ、楽器を身体の一部とすることによって、その至る所に、いわば身体であるがゆえの親密な抵抗を捉えることにあるように思われる。たとえば管楽器にフォーカスした70年代の作品『呼吸の弓 Atembogen』においては、題名が示す通り呼吸は身体的なものであると同時に楽器(弦楽器の弓 Bogen)でもある。ところが、弦楽器の「弓」と違って呼吸はふつう止まることなく絶えず機能している。それが止まるとき、弱まるとき、あるいはそれが受ける抵抗が「音」を生じるとき、ひとはまさに耳をそばだてるのだ。彼らのくつろいだモーツァルトを聴きながら、私は次第にそのような考えに引きずりこまれ始めた。

(続く)
(2020/2/15)

(1)トーマス・マン『魔の山』高橋義孝訳、上巻、新潮社、1969年、50頁。

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秋元陽平(Yohei Akimoto)
東京大学仏文科卒、同大学院修士課程修了。在学中に東大総長賞(学業)、柴田南雄音楽評論本賞などを受賞。研究対象は19世紀初頭のフランス語圏における文学・哲学・医学。現在ジュネーヴ大学博士課程在学中。