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エベーヌ弦楽四重奏団 2019年日本公演|丘山万里子

エベーヌ弦楽四重奏団 Quatuor Ebène
BEETHOVEN AROUND THE WORLD

2019年7月15日 Hakuju Hall
2019/7/15 Hakuju Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
写真提供:Hakuju Hall

<演奏>        → foreign language
エベーヌ弦楽四重奏団
  ピエール・コロンベ(ヴァイオリン)
  ガブリエル・ル・マガデュール(ヴァイオリン)
  マリー・シレム(ヴィオラ)
  ラファエル・メルラン(チェロ)

<曲目>
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op.59-3「ラズモフスキー第3番」
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ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 Op.130「大フーガ」付き

 

エベーヌ SQ凄い、とは聴いていたが、打ちのめされた。
異次元だ。
演奏の詳細については藤原聡さんが翌日公演を執筆につき、筆者は「異次元」の具体について二つだけ。

『ラズモフスキー第3番』。何かもやもやした不分明なもの、私たちは仮象、宙に浮遊しているだけの塵、覗けば乳白色混沌の海、いや、不可視の流動の気配、から立ちのぼったこの響を、何としよう。多種多様の色彩が重なりながら柔らかくどこまでも透明で、一つ。
ハーモニー?そう、これが、ハーモニーというものだ。ただの響和でなく衝和(唱和でない)も含めて、と彼らはそう言った。
この世の始まりのようであり、終わりのようであり、永遠に続くようであり、一瞬であったようで、呆然。と、身を躍らせて主部がくるわけだ。
耳を疑う、ベートーヴェンがフランス語をしゃべっている!確かに、筆者はそう聴いた、そうとしか聴こえない。
特に第1vn、口元から仏語がこぼれて止まらない。これに和すにとりわけヴィオラの自在闊達。と、4者生き生きおしゃべりし続け、これ普通でしょ、といった面持ちなのだ。彼らはベートーヴェンの書いた音符を素裸にして読み、仏語で発話しているらしい。で、誰がベートーヴェン(彼は仏語をしゃべるまいが、そんなことはどうでも良い)か、というと、全員がそうなのだ。と言って、ベートーヴェンが自問自答しているわけでなく、ちゃんと他の誰かもいて、合いの手を入れたり、頷いたり、声を合わせて笑ったりする。けれどもそれが、固定した役割になっているのでなく、くるくる変わり変幻自在、ある意味ものすごく賑やかでスリリング。
先月アポロン・ミューザゲートを聴いた時、彼らには音符が一つずつ生成可変する細胞に見えているんだと思ったが、エベーヌはこれとはまた別。解釈などという範疇を超えた、眼、声、そして「ひと」。仏語のベートーヴェンが何の違和感もなく信じられるのは、たぶん彼らが「人となり」、の「なりかた」を知っているからじゃないか。
「ひと」は「ひとによって」「人となる」という、つまり人の在り方の根源。それを音符に見ているからじゃないか。「音」は「音によって」「音となる」。それを読むから、こんな風に自然に喋れる。
この話はここで止める。
そりゃあ、第4楽章のアクロバティックな壮絶美も凄かったが、そんな技巧の完璧賞賛レベルのことではないのだ。

「大フーガ」は、カヴァティーナでひさびさ、泣いた。
この人たち、人のとどまり得る最果て断崖絶壁で、奏でるのだ、歌うのだ。
『タイタニック』の沈みゆく甲板で奏でられる四重奏『主よみもとに近づかん』などに想いが飛ぶのを軽薄とは思わない。
筆者は何の宗教とも関わりないが、あたり一面差し込む光にぼうと包まれ、ただ敬虔にこうべを垂れる、その心持ちは知っている。いや、音楽でこそ、それを知る。

『銀河鉄道の夜』の一節、沈みゆく船を語る青年の言葉を引く。

 どこからともなく(約2字分省略)番の声が上がりました。たちまちみんなはいろいろ
 な国語で一ぺんにそれをうたいました。

「みんなのほんとうのさいわい」へのカンパネルラとジョバンニの旅はジョバンニの呼びかけで終わる。

 カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。ジョバンニがこう言いながら振り返ってみま
 したらその今までのカムパネルラの座っていた席にもうカンパネルラの形は見えずただ
 黒いびろうどばかりひかっていました。

その少し前にはこうある。

 天の川の一とこに大きなまっくらな孔がどぼんとあいているのです。その底がどれほど
 深いかその奥に何があるのかいくら眼をこすってのぞいてもなんにも見えずただ眼がし
 んしんと痛むのでした。

不分明な混沌、生死のはざま、すべては仮象。
しんしんと痛むその眼でなおのぞく天の川の一とこ、まっくらな孔の絶壁で踏ん張るエベーヌの営為。だからこそその大フーガは凄まじい武闘(素手素足の)ともなったのだ。
彼らはべたつく感傷も思入れもなく、一切の「身振り」を排し磨ぎ澄ませた眼光で音符を読み、彼ら自身の言葉で語った。
斬新とか最先端とか、そういう次元でない、異次元と筆者が思うのは、そういうことだ。
打ちのめされたのは、人は音で、そこまで行ける、ということ。
でも、どうしたら、行けるのだろう?

関連評:エベーヌ弦楽四重奏団《ベートーヴェン・アラウンド・ザ・ワールド》|藤原聡

(2019/8/15)

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<Artists>
Quatuor Ebène
  Pierre Colombet, violin
  Gabriel Le Magadure, violin
  Marie Chilemme, viola
  Raphael Merlin, cello

<Program>
Beethoven: String Quartet No. 9 in C major Op. 59-3 “Razmovsky No. 3”
Beethoven: String Quartet No.13 in B flat major Op. 130 “Grosse Fuge”