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五線紙のパンセ|ソルフェージュ教育と私|森山智宏

ソルフェージュ教育と私

text by 森山智宏 (Tomohiro Moriyama)

第3回は「ソルフェージュ教育と私」。
私は現在、桐朋学園音楽部門の専任教員として、音楽教室、高校から大学まで、週に7コマのソルフェージュ授業を担当している。
教師生活も、非常勤時代を含めると19年目を迎えた。今まで一体どれだけ授業をしたのか、おおまかに計算してみたら、ソルフェージュと音楽理論を合わせておよそ3.500コマだった。時間に直すと何と5.250時間!
これには驚いた。私は一体、桐朋の学生たちにソルフェージュを通して何を伝えてきたのだろうか?自問自答する思いだ。思い返せば、教師デビューの二十代と比べ、ソルフェージュ教育に対する考え方や授業の方法論も、今では随分変わってきている。その時々では私なりの真実なのだが、経験を重ねるにつれ変化していくのは当然だろう。
ここでは現在の、私のソルフェージュ教育に対する思いを綴っていきたい。

さて、いきなりソルフェージュ教育とは関係のない話であるが、私は仙川駅(桐朋学園の最寄り駅)までの通勤時間を憂鬱に感じる時がある。ラッシュだからではない。殆どの人がスマホをいじり、その中の少なくない人が、イヤホンで音楽を聴いているからだ(音が漏れるくらいの大音量で聞いている人もいる)。
普段、「聴く力」について考えるソルフェージュ教師から見たら、これは異様な光景である。
この行為は、「耳をすます」という音楽への根源的なリビドーを、自ら捨てているといえなくないだろうか。
という私も、教員室で授業準備のために、イヤホンで音楽を(一瞬)聴く時がある。前言を翻すと、この行為に中毒性があるのも分かる気がする。
音が非常に心地よいのだ。そして、自分だけに語り掛けてくるかのような音楽…。
しかし、これは実際の音楽が発する「音」や「体験」とは明らかに違う。この響きの心地良さに慣れたら、(クラシックに限らず)コンサート会場で聞く音に落胆してしまうかもしれない。
録音技術の発達は、音楽の大量生産を可能にし、音楽シーンを大きく変えてしまった。だが、その大量生産された音楽は、どこか「フェイク」の感じが付きまとう。(前回のコラムで触れた「技術至上主義」の行きつく先は、「本物」と「フェイク」の見分けがつかない世界の到来ではなかろうか。そして、「フェイク」が「本物」を超越していく世界…。)
現代人は、音の洪水の中で生きざるを得ない。私はソルフェージュ教師として、この洪水の前に、何か無力感を覚えてしまうことがあるのだ。

以前、音楽理論の授業でG・グールドを取り上げた際、「ライブ」と「録音」のメリット、デメリットを受講生に書いてもらったことがある。
生徒たちのレポートを読み、これは私の日常生活を書いているのでは、と錯覚した。なぜなら、そこから浮かんできたのは、「ミス」への恐怖だったからだ。
ソルフェージュ教師はミスできない(ミスしたら、聴音はできません)。そして、生徒のミスを指摘し、修正する。
我ながら、何とイヤな職業だろうか。

桐朋学園での授業風景

授業でいつも思うのは、「正しい」と「間違い」の線引きの難しさである。教師の判断がすべて「正しい」とは限らない。
だから私は、その判断を受講生に委ねる場(グループ学習)を設ける時がある。私の指導ではなく、受講生間の話し合いの中で、解決法を見付けてもらいたいと思うからだ。そこで、自分なりの「正しさ」を見付ける(「正しさ」と「間違い」が表裏一体である、ということもある)。
私は授業で、そのプロセスを重要視したい。他者の音を聞き、意見に耳を傾ける。これは集団授業でしかできないことだ。
音の洪水は、聞き流す習慣を生む。しかし、それは何かを「発見」することに繋がらない。さらに昨今、世の中に「分かりやすさ」が蔓延し、「思考停止」がはびこっている。
「分かりやすい授業」は生徒受けがいいかもしれないが、それは聞き流すことができ、受動的で「発見」が少ない。
私の理想は、「分かりたいと思わせる授業」。これは能動的で、かつ持続的なものだ。

では、「分かりたいと思わせる授業」を作るためには、どうしたらよいか?
それは、「一番言いたいことは、言わない」ということだ。
私は、「説明口調」の演奏に魅力を感じない。とてもよく譜読みされ、解釈され、勉強して練習しているのだろうが、何か心を動かされない。そのような演奏はないだろうか?
授業も同じで、教師はよく準備し、勉強しているのだろうが、説明し過ぎて、生徒の心に響かないことがある(教師が生徒に、「もっと勉強しなさい」と言っても、生徒は勉強しないものだ)。
教育の場で生徒に伝えたいことは、説明するのではなく、体感し、共感してもらうことが大切である。その視点を持てば、自ずと自分なりの「ソルフェージュ教育」が浮かんでくる。どのような課題をどのような切り口で見せるのか、リズムは、スコアリーディングは、聴音は…?ソルフェージュ授業の生命線は、そこにあると考える。
そして、「説明」をしないソルフェージュの授業は、感覚的に「ライブ」に近くなる(教室は「劇場」だろうか)。そのイマジネーションは、「音楽の現場」に近い活気を創り出すことができる。
だからソルフェージュ教育は、「音楽の現場」を知る人間が行うのが理想だ(私がソルフェージュ教育を行う上で自身に課している一番重要なことは、作曲活動をすることである)。「メソッド」も重要であろうが、それは「音楽の現場」から導き出されなくては意味がない。「専門性」の名の下、「ソルフェージュ」と「音楽の現場」が乖離してしまっていることはないだろうか?生徒が一番知りたいのは、「音楽の現場」なのだ。
よく言われることであるが、「ソルフェージュ」ための「ソルフェージュ」は必要ない。それに、「教育の中の音楽」ではなく、「音楽の中の教育」であるべきだ。

音楽教室開設70周年記念シンポジウム

ここまでは主に、ソルフェージュの授業論について書いた。それももちろん重要なのだが、その前提である「ソルフェージュの定義」とは何だろうか?
私は、大学の「ソルフェージュ教育法」の授業で、「音感教育+知性と教養の扉を開くツール」と説いた。後者の「知性と教養」に関しては、前回のコラムに多くのヒントを書いている(楽譜を読むとは、歴史と対峙すること)。
クラシックを専門にやっていく上で「音感」は絶対に必要だが、わけの分からない方法(?)で音感を付けようとするような(こんな方法ならやらない方がよい、というような)指導法があるのも事実であろう。正直な思いを吐露すると、市販のテキストや既存のメソッドにも、目を(耳を?)疑うものがある。
私が考える理想の「音感教育」とは、親が子どもに「母国語」を自然に教えるような「音感教育」である(だからこそ、私はソルフェージュ教師としても、「子どもの音楽教育」を大切にしているのだ)。
私は幼少期に、どうやって母国語を学んだのだろうか?記憶は定かでない。しかし、ありがたいことに、日本語で(ある程度?)コミュニケーションができる能力はある。これと同じような感覚で、「音感教育=ソルフェージュ教育」ができないだろうか?
しかし、ここで大きな問題がある。私の母国語は「日本語」だ。
桐朋学園で昨年(2018年)に行われた「音楽教室開設70周年記念シンポジウム」で私が講演した際、このテーマを取り上げた。以下はそのシラバスである。
『我々はどうしても、西洋音楽の教育を母国語である「日本語」で行わなければならない。音楽には国籍があり、その違いは母国語からきている。西洋音楽を育んだヨーロッパの言語とは全く違う日本語を用いて、ソルフェージュ教育を行うことは可能なのだろうか…。この問いから、本講座を始めてみたいと思う。』

鈴木輝昭先生(左)と

もう一つの問題がある。今の「日本語」を取り巻く状況は、どうなのだろうか?前回のコラムとも重なるが、デジタルネーチャーの登場は、当然、日本語にも影響し、教育の形態をも変えてしまう。
このコラムを執筆しつつ、私が改めて認識したのは、全ての教育は「言葉」に通じる、ということだ。私はソルフェージュ教師を続ける限り、日本語と向き合うことになるだろう。母国語の教育のように音感を身に付けることを願い、しかも音感教育を日本語で行うことを考え、授業では日本語で生徒とコミュニケーションをとる…。
「ソルフェージュ教育」の行方、それは「日本語教育」の行方と相似形なのかもしれない。それは言わずもがな、「日本のクラシック」の行方と同じである。だとしたら、こんな重責を担った仕事があるだろうか。決して、「イヤな職業」なんかではないのだ。

これで私の、「文章を書く」という初めての仕事は終わる。この3回を通じ、私の、特に「音楽教育」に関する考えを発信できた喜びは大きい。このような機会を与えていただいたことに、改めて感謝申し上げたい。

【コンサート】
4/23 Point de Vue Vol.13

【動画】
ナイト・パッセージ Ⅳ (Point de Vue Vol.12委嘱作品)

【ワークショップ】
3/29 日本ピアノ教育連盟

(2019/3/15)

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森山智宏(Tomohiro Moriyama)
1977年福岡県生まれ。桐朋学園大学音楽学部作曲理論学科を経て、同大学研究科作曲専攻修了。作曲を北爪道夫、飯沼信義、鈴木輝昭、ピアノ・作曲を間宮芳生、ピアノを志村安英の各氏に師事。
第68回日本音楽コンクール作曲部門入選。第17回奏楽堂日本歌曲コンクール(一般の部)第1位。
フルーティスト間部令子氏、ピアノデュオ瀬尾久仁&加藤真一郎、東京混声合唱団、日本演奏連盟、指揮者山田和樹氏、サクサコール(サックス四重奏団)、プリムローズ・マジック(ピアノデュオ)、カワイ出版、音楽之友社等より委嘱を受け、国内外で作品を発表。CDはFONTEC、オクタヴィアレコード、TOMATONE LABELより発売されている。
2007年より、作曲家鈴木輝昭氏と、邦人作曲家の作品によるコンサート「Point de Vue」を共同プロデュースし、現在まで毎年、公演を開催している。また、子供のためのピアノ作品が、ピティナピアノコンペティションやカワイ音楽コンクール等で課題曲に選ばれる。
現在、桐朋学園音楽部門の専任教員(高校教諭)として勤務し、高校・大学でソルフェージュ、音楽理論の授業を担当しつつ、同大学附属子どものための音楽教室「仙川教室」ソルフェージュ主任も務める。また、日本作曲家協議会理事(「こどもたちへ」実行委員長)、全日本ピアノ指導者協会 正会員としても活動している。