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五線紙のパンセ|ケンハモと現代音楽と私|野村誠

ケンハモと現代音楽と私

Text & Photos by 野村誠(Makoto Nomura)

20世紀の半ば、鍵盤ハーモニカ(ケンハモ)という不思議な楽器が発明された。シンセサイザーが発明され、様々な電子音楽の実験が繰り広げられた時代よりも後、1959年にハーモニカやアコーディオンのメイカーであるドイツのHohnerが吹奏楽器と鍵盤楽器を組み合わせたMelodicaを発売した。2年後の1961年には日本の鈴木楽器製作所がMelodionを発売。現在では、メイカーごとに、ヤマハPianica、ゼンオンPiany、AngelのMelodyhornなど、別々の商品名で楽器を生産をしている。だから、この楽器がほとんど認知されていない1966年にSteve Reichが《Melodica》を発表しているのは特筆すべき。それから25年後の1991年、ぼくはケンハモに本格的に取り組み始めた。

 1 出会いは反発

1991年の日本のアートシーンは、本当につまらなかった。バブル経済の影響下で、予算が余った企業がお金を使うためにアートに出資する。無駄に予算を使い、無意味にテクノロジーを駆使したような作品が氾濫していた。くだらん!資本主義に飼いならされた浪費じゃないか!ぼくは、反発と憤りを感じていた。バブルの末期に、レコード会社と契約して音楽業界と仕事をしてしまったために、その反発はさらに強化された。だから、ケンハモに興味を持った理由も、単にバブルへの反動だった。安価でローテクであるから興味を持ったのであって、後に発見していくこの楽器の独自性には全く気づいていなかった。
当時のぼくは、同じような反骨心を持つ画家の杉岡正章鶴君と意気投合していた。彼は安物のマジックでピピッと線を引くだけの絵画を発表したり、マスキングテープで曲がった線を一本貼り付けるだけ、というようなコンセプチュアルな作品を作っていた。杉岡君が参加する現代美術の協会の展覧会で、パフォーマンスをすることになった。抜群のデッサン力を持つ井上信太君も加わった。彼はロックバンドのドラマーで、和太鼓奏者でもあり、平面絵画が主役になる舞台芸術を生み出そうという野心家でもあった。構想を練っているうちに、ぼくらはギャラリー内だけで上演することに疑問を感じた。どうして狭いアートの世界に安住しているのか?ぼくらは、外に飛び出すべきではないのか?
「アート」の外に出るために、ぼくたちは野外に出るための乗り物を作った。360度全方位に向けて発信したいと考え、ドーナツ状のテーブルを作りキャスターをつけた。全方向に広がっていくイメージがタコの足のようにイメージされ、8台のケンハモからホースが足のように出ているビジュアルが浮かんだ。こんな発想から、ぼくはケンハモを8台入手した。タコの足から発想したケンハモのホースは、狭い「アート」の外に飛び出すための足だった。

 2 イギリスでの評価

1994年、ぼくはイギリスに飛んだ。当時のぼくは、現代音楽に行き詰まりを感じていたし、サンプリングやポストモダニズムにも飽き始めていた。何か新しい刺激を求めて、あらゆるジャンルの音楽を聴き漁ったが、どれにも驚きを感じない。どうすれば未知の音楽に出会えるだろうか?と考えに考えた。ぼくの出した結論はイギリスだった。当時、イギリスは国家カリキュラムで作曲を主軸に据えた音楽教育を開始していた。イギリス全土の学校で、音列やプリペアドピアノなど現代音楽の手法を駆使して子どもたちが共同作曲をしている。ぼくは音楽教育に全く興味がなかったが、音楽教育の現場で子どもが創作する音楽は、旧来の音楽の枠組みを踏み越えて行くはずだと直感した。そこに、狭義の「アート」の外に飛び出すヒントが潜んでいるはずだ。ブリティッシュ・カウンシルへの応募に熱すぎるくらい意欲を書き、1年間の奨学金をゲットし渡英した。そして、ぼくはなんとなく、ケンハモを荷物に入れた。
子どもたちの音楽創作をリサーチする一方で、ぼくは新しい音楽を求めてアンテナを張り、出かけまくった。そしてScratch Orchestra結成25周年を記念する9時間のイベントに出演することになった。Scratch Orchestra は60年代にマルクス主義に影響を受けた作曲家Cornelius Cardewが、音楽の技術や経験がない人を集めて実験音楽や即興音楽をした伝説の楽団だ。Scratch Orchestraの音楽を解放する試みは、バブル経済の反動でケンハモに出会ったぼくの感覚と共通する部分も多かったが、当時のぼくの耳には、60年代のサウンドは既に時代遅れのように響いていた。Christian Wolffの大アンサンブル《Burdock》に出演することになったが、不確定性によって生み出されるサウンドも、既知のサウンドのようで新鮮さを感じられなかった。もっと、根底から何かをひっくり返すようなことがしたい、と思った。
Wolff作品のリハーサル進行役の作曲家Dave Smithが「普通じゃない楽器を使うといい。例えばケンハモ」と言った。みんなが、ぼくの方を注目した。50人以上いた参加者の中で、唯一ぼくだけがケンハモを持っていた。日本では誰もが知っているケンハモは、イギリスではこんなに珍しいのだ。イギリス人たちは、日本にはこんな面白い楽器があるのかと驚いてくれる。ぼくは調子にのってどんどんケンハモを吹く。
イギリスでは、音マニアな特殊な音楽家だけが、ケンハモを持っていた。例えば、アヴァンギャルドロックのThis Heatのドラマーとして有名なCharles Haywardは、日本製のバスケンハモを持っていたし、子どもと実験的なシアターピースを作曲していたHugh Nankivellは、韓国製のケンハモを愛好していた。ケンハモに本気で取り組もうと決意するきっかけをくれたのは、イギリスでの体験だった。

 3 不安定の魅力

帰国後、ぼくは来る日も来る日もケンハモを吹き続けた。吹き続けると、どんどんチューニングが狂っていく。ぼくはリードを削って調律を始めた。さらには、蜜蝋を使う笙のチューニング方法も習得し、日夜調律に明け暮れた。ガムランのペロッグ音階やスレンドロ音階に調律にしたり、純正律チューニングを試みるなど、微分音程の精度をあげようとしたが無茶だった。部屋の温度が少し変わるだけで、どんどんチューニングが変化していく。息の量や吹き方で音程は半音近く変化する、究極的にピッチが不安定な楽器なのだ。だから、弦楽器などで美しくハモる完全5度は、ケンハモでは決してハモることはなく、独特の唸りが生じる。ケンハモは、調律の狂った唸りの芸術なのだ。ケンハモ最大の特性の一つはチューニングの狂いなのだ。鍵盤楽器だからピッチが固定化されていると思いきや、量子力学の不確定性原理のようにピッチが定まらない。このピッチの不安定さを生かして複数の楽器を重ね合わせると、独特のサウンドになるから、ケンハモ・オーケストラを作ると面白いに違いない。そんなアイディアを温めていた時に、1996年、ターンテーブル奏者/作曲家の大友良英さんから、誘いを受けた。大友さんは、海外のフェスティバルで出会った実験音楽シーンを日本と結びつけるためにMusic Merge Festivalを立ち上げていて、「野村君のプロジェクトを何かやって」と打診があったので、ぼくは大喜びでケンハモ・オーケストラを始めた。ケンハモ8重奏団P―ブロッとして、江村夏樹《反閇の音楽》、平石博一《Up To Date II》、Michael Parsons《Piece for Melodion Ensemble》、野村誠《神戸のホケット》など、ケンハモのための新曲10曲を世界初演した。このフェスティバルで出会ったElliott SharpやDavid Grubbsも後に新曲を送ってくれ、突如ケンハモの新作初演を次々に行うことになる。Andrew Melvin、Gardika Gigih Pradipta、Soe Tjen Marching、田中吉史、近藤浩平、福井知子、鶴見幸代、牛島安希子、しばてつ、足立智美、松本祐一など、世界初演は100曲を超える。(つづく)

(2021/4/15)

お知らせ

野村誠x日本センチュリー交響楽団post-workshop作品集《ミワモキホアプポグンカマネ》500円
https://syueki4.bunka.go.jp/video/50

収録曲(作曲:野村誠)
1 チェロ協奏曲「ミワモキホアプポグンカマネ」
2 「ルー・ハリソンへのオマージュ」ヴァイオリンとバリガムランのための五重奏曲
3 Steve Reichに捧ぐ《スラッピング・ミュージック》
4 ハイドン盆栽 第2番、第4番、第5番、第8番、第9番
5 問題行動ショー
6 土俵にあがる15の変奏曲
7 迷惑な反復コーキョー曲「ベートーヴェン250」

演奏
野村誠、柿原宗雅(ピアノ)
大田智美(アコーディオン)
吉岡奏絵(クラリネット)
小川和代 、巖埼友美(ヴァイオリン)
森亜紀子(ヴィオラ)
北口大輔(チェロ)
村田和幸(コントラバス)
Roger Flatt(トロンボーン)
笠野望(バス・トロンボーン)
安永早絵子(ボディー・パーカッション)
ギータ・クンチャナ(バリガムラン)

演奏会予定

2021年5月19日 低音デュオにより新曲《どすこい!シュトックハウゼン》が世界初演。
https://teionduo.net/?p=1006

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野村誠(Makoto Nomura)
作曲作品に、吹奏楽とロックバンドのための《でしでしでし》(1995)、アコーディオンとピアノのための《ウマとの音楽》(2005)、ヴァイオリンとヴィデオのための《だじゃれは言いません》(2013)、二十五絃箏のための《世界をしずめる 踏歌 戸島美喜夫へ》(2020)などがある。著書に「音楽の未来を作曲する」(晶文社)ほか。日本相撲聞芸術作曲家協議会(JACSHA)理事。日本センチュリー交響楽団コミュニティプログラムディレクター。