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五線紙のパンセ|人生の出会い 点と点のつながりによる軌跡 2. パリ| 田中カレン

人生の出会い 点と点のつながりによる軌跡 2. パリ
Encounters – Connecting the dots 2. Paris

Text & Photos by 田中カレン (Karen Tanaka)

昨日は、バイデン前副大統領が大統領選勝利宣言をして、ほっと安心した。この4年間毎日のように報道されてきたトランプ氏の狂言や暴言から解放されて、ようやく安堵感と希望を感じることができるようになった。大げさに聞こえるかもしれないが、毎日接するメディアのバイアスから無意識のうちに感化・洗脳される危険は多いにあり、それらは思考や感情、あえては人格形成にまで影響を及ぼすのではないかと思う。個人的には、バイデン氏の温厚な人柄はもちろんのこと、分断、人種差別、新型コロナウイルス、経済復興、気候変動、医療費問題など対するバイデン・ハリスの掲げる政策方針にとても共感している。

さて、今回は留学したパリの生活を通して、様々な出会いが点と点として繋がり、人生に影響を与えてきた軌跡を考察したいと思う。

1980年に三善晃先生と出会った頃、私は青山学院大学のフランス文学科で学んでいた。桐朋へ行くことになり青山学院は中退したが、フランス文学・音楽への憧れや敬愛は、当時も今日も持ち続けている。大学4年生の時にフランス政府給費留学のコンクールに応募し、卒業後パリへ留学することが決まった。パリ音楽院ではなく、1977年に設立された、ピエール・ブーレーズが所長を務めるIRCAM (フランス国立音響音楽研究所)で学ぶことを希望した。ここでコンピューターを取り入れた音楽の黎明期を経験したことが、後の人生に大きな影響を与えてきた。

パリ IRCAMの前の噴水

1986年秋に渡仏する直前、IRCAMで開催される夏期作曲コースの6人の作曲家のひとりに選ばれ、夏に2ヶ月間パリに滞在することになった。イギリスのJames Dillon、メキシコの Javier Alvarezなど既に活躍している作曲家、そして後にスイスのパウル・ザッハー財団所長となるRobert Piencikowski と一緒に学ぶことになった。パリ到着初日、東京からの長旅にもかかわらず、空港から大きなスーツケースを持ったままIRCAMへ直行した。日本人の感覚だと、お茶くらい飲んでから…でも良さそうなものだが、「これが貴方のコンピューターとデスク、そしてこれが課題です」と、突然コンピューターの前に座らされ、C 言語で音を作る課題を出されて仰天したのを覚えている。当時使用していたのは VAX コンピューターで、グラフィックスが開発される以前の、文字と数字データを打ち込みリターンを押すと音が出るというものであった。当時IRCAM では、リアルタイムで音の情報処理ができる MAXプログラムを開発中であった。昼はポンピドーセンター内のカフェテリアで他の作曲家や先生たちとランチを食べながら話し合うのが楽しかったし、ある日、初めてIRCAMに小さなMacintoshコンピューターが届いて、みんなで大喜びをしたことも懐かしく思い出す。

Gaudeamus Music Week

こうして、フランス語と英語でコンピューターと格闘する日々が始まった。大変だったけれど、1980年代半ばからVAX、Macintosh、NeXT computerに接し、プログラミング言語、コンピューター音楽の基礎を学んだことは大変貴重な経験となった。IRCAMで学んでから、〈音〉を感情や感覚、色彩として捉えると同時に、科学的に自然界に存在する周波数として考えるようになり、それは現在でも作曲する上で大きな影響を及ぼしている。

それにしても、ドビュッシーやラヴェルの音楽、ベル・エポック、ランボーの詩やジッドの小説、サルトルやボーヴォワールのパリに憧れていたわけだけれど、時代はすっかり変わり、パリの作曲界ではコンピューターを取り入れた作品が数多く生まれていたことに深くショックを受けた。パリは多くの芸術家が集まる街であり、ブーレーズ、デュティユー、クセナキス等の大御所をはじめ、マグヌス・リンドベルイ、カイヤ・サーリアホ、ジョージ・ベンジャミンなど、当時はまだ20代の若手作曲家たちとの出会いはとても刺激的であった。

夏期作曲コースを終えて帰国し、秋にスーツケース2個だけを持って給費留学生として再び渡仏した。IRCAMで学びながら、作曲はトリスタン・ミュライユに師事した。パリ5区のサンジェルマン通り近く、サンルイ島まで歩いて数分のワンルーム・アパルトマンを借りて、親元を離れて初めての一人暮らしが始まった。25平米もないくらいの小さなアパルトマン。何よりも最初にアップライトのピアノをローンで購入して、音を紡ぐのが楽しかった。このピアノは、後に船でカリフォルニアへ渡り、現在でも大切に使っている。

パリの空は、どんよりと曇っていることが多く、毎日のように雨が降ったが、天気の良い日はセーヌ川やサンルイ島周辺を歩き、美しい街並みやお洒落なパリジャンたちが醸し出す〈パリのエスプリ〉を感じることができた。

音楽出版社Chester Musicとの出会いは前号で書いたが、1987年春、フェリーでドーバー海峡を渡りロンドンへ行き、Chester Musicと出版契約を結んだ。同年秋、アムステルダムで開催されたガウデアムス国際音楽週間にピアノとオーケストラの作品が選ばれ、初めてオランダを訪れた。エルネスト・ブール指揮、オランダ放送室内管弦楽団により演奏され、幸運にもガウデアムス作曲賞を受賞した。

ベリオからの手紙

フランス政府の給費が終了して、日本文化庁の海外派遣研修生、ナディア・ブーランジェ奨学金に応募した。作曲界の巨匠ルチアーノ・ベリオに師事したいと思ったが、連絡先もわからない。知人に「ベリオは著名人だから手紙は番地がなくても街の名前で届くよ…」と言われ、イタリアの街の名前を書いて投函したら、なんと返事が来たのだった。思いがけないベリオからの返事に、興奮して手が震えた。そうして1989年夏、ザルツブルクでベリオと出会い、1990 – 91年フィレンツェで師事することになった。

パリの瀟洒な街並みは歴史的建築と現代建築が見事に融合されているが、フィレンツェの街並みはルネッサンス時代の絵画のように美しい。アルノ川の辺りのアパルトマンに住み、ドゥオモ (サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)やウフィツィ美術館のボッティチェッリの作品など、ルネッサンスの芸術に深く感銘を受けた。

ベリオに学んだ作曲法は、あらかじめ選んだ音列をもとに曲を展開させていく手法で、ミュライユのスペクトラル音楽と比べるとより対位法的と言える。ベリオの作品は、音列を使用しながらも叙情的で音楽的である。言葉で表現するのは難しいのだが、古都フィレンツェに住んでみて、ベリオの紡ぎだす音は、このイタリアの文化から生まれたものだったのだ…と心から実感した。

パリ15区のアパート前の公園

フィレンツェでの研修を終え、パリに戻り15区のアパルトマンに引越し、再びIRCAMに所属してライブエレクトロニクスを駆使した作品を作曲した。1996年、アメリカのタングルウッド夏期講習に参加することになった。作曲家6人が選ばれ、ボストン交響楽団の音楽監督であったクーセヴィツキーの別荘〈セラナック〉に住み、レッスン・演奏会に参加する。ここでアメリカ滞在を2ヶ月経験したことが、人生の分岐点になったと思う。パリの瀟洒な街、小さなアパルトマンに住み慣れていたこともあり、広大な自然の中での生活や演奏会に最初は戸惑ったが、新しい世界の可能性と予感を感じた。

タングルウッドのセラナック

1990年半ば頃から、フランスのテレビ局M6でアメリカの映画やテレビ番組が頻繁に放送されるようになってきた。〈ショーシャンクの空に〉〈X Files〉などの音楽で使用されるエレクトロニクスは、IRCAMで学んだものとは違うが、不思議と心を惹かれるものがあった。〈ショーシャンクの空に〉の作曲家、トマス・ニューマンに数年後ロサンゼルスでばったり出会うことになるとは、当時は予想もしなかった。

こうして、少しずつアメリカへの興味が増していく中で、2002年にカリフォルニア大学サンタバーバラ校から「2年の契約で客員教授のポストが空いたが、興味はありますか」と連絡があった。「興味がある」と返事をしたところ、あれよあれよという間に話が進み、カリフォルニアヘ行くことが決まったのだった。(つづく)

タングルウッドのプログラムより
ガーシュイン、デューク・エリントン、シベリウス等と同じ欄に名前が掲載され、両親がとても喜んでくれた

(2020/11/15)

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田中カレン(Karen Tanaka)
東京都港区生まれ。幼少よりピアノと作曲をはじめ、作曲を湯山昭に師事。青山学院大学フランス文学科中退後、桐朋学園大学で作曲を三善晃に師事。1986年、フランス政府給費留学生としてパリに留学、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)研究員となる。作曲をトリスタン・ミュライユに師事。1987年ガウデアムス国際音楽週間にてガウデアムス作曲賞第1位。1990 – 91年、文化庁海外派遣研修員、ナディア・ブーランジェ奨学生としてフィレンツェで研修、作曲をルチアーノ・ベリオに師事。1996年タングルウッド夏期講習にてマーガレット・リー・クロフト・フェロー。1998年八ヶ岳音楽祭の音楽監督。2005年別宮賞受賞。これまでにISCM(国際現代音楽協会)音楽祭入選9回。

エレクトロニクスを用いた透明感と色彩感のある作風で注目を集め、作品は世界各国で演奏されている。BBC交響楽団、NHK交響楽団、英国アーツ・カウンシル、カナダ・カウンシル、米国芸術基金 (NEA)、ラジオ・フランスをはじめ、国内外の主要オーケストラ、音楽財団、音楽祭等からの委嘱も多い。

映画やアニメーションの音楽も作曲。2012年、サンダンス・インスティテュート映画音楽プログラムのフェローに選ばれ、2016年にはBBCのTVシリーズ「Planet Earth II」(プラネットアースII) のオーケストレーションを担当。2020年には音楽を担当した短編アニメーション「Sister」が第92回アカデミー賞短編アニメーション部門にノミネートされた。

主な作品はロンドンのChester Music (Wise Music Group)、ニューヨークのSchott Music (PSNY)、スイスのEditions Bim、イギリスのABRSM、ピアノ作品はカワイ出版、音楽之友社より出版されている。カリフォルニア芸術大学教授。ロサンゼルス在住。

ピアノ曲〈Techno Etudes〉の楽譜

オーケストラ作品〈Rose Absolute〉の楽譜