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五線紙のパンセ|アール・レスピランの35年|安良岡章夫

アール・レスピランの35年
The 35 years of Art Respirant 

text by 安良岡章夫(Akio Yasuraoka)

私が代表をつとめる演奏家・作曲家による音楽家集団「アール・レスピラン」は、結成から35年になる。メンバーの出入りはかなりあったが、任意団体としてこれほど継続するとは結成時には誰も思わなかった。この場を頂いたのを機に、活動を振り返ることにした。
1984年12月、日本現代音楽協会の作品展にて20代半ばの若い作曲家の作品が、同世代の演奏家により演奏された一夜があった。私も参画したのだが、それは若い世代の作曲家が同世代の演奏家と共に演奏会を作り上げようという、彼らに向けたラブ・コールでもあった。
1950年代末生まれのこの世代は、日本の音楽文化が向上し、先達の業績が意味を持ち始めた時代に教育を受けた。学校卒業後、それなりに活動できる実力を自負していたが、「今何を」という問いを自らに課していたという点では、演奏家も作曲家も共通していたと言える。
打ち上げの席上1人の演奏家から、新作を数回の練習で1回演奏しそれで終わりでは空しい、作曲・演奏という垣根なしの共通の場で互いに切磋琢磨出来ないだろうかという提案があった。即刻、その場は盛り上がった。それは、世代的に共通の土壌で育ったことによる連帯感がそうさせたのかもしれない。その後、4人の作曲家8人の演奏家が集い、グループを作ることを確認、その目的は室内楽という広いキャパシティを持ったジャンルの中で、既製の概念にとらわれず演奏家と作曲家が一体となって室内楽の新しい可能性を求めることにあった。ここで言う室内楽の可能性とは「古典から現代までを共通の地平で捉えること」ある。既成の概念とは、編成もレパートリーも固定・硬直化したものを意味する。団体名は、私が作品名に使おうと思っていた「呼吸する」を意味する仏語「レスピラン」を提案、そして芸術「アール」を結び付けよう!ということで決定した。「芸術の息吹」たる「アール・レスピラン」がここに誕生した。
86年4月に旗揚げ公演(第一回演奏会チラシを参照)。しかしその後、残念ながらメンバーの移動があり、理念先行の運営は対外的に難しく考えられ、経済的な面でも壁に行き当たった。もっと分かり易く日本であまり行われたことのない形態はないかを考える必要に迫られた。それは現在の形、室内オーケストラ(最小限の)への発展に繋がった。
欧米では当時ロンドン・シンフォニエッタのようなラディカルな集団が鎬を削り、実に広い時代から作品を掘り起こす一方、次々と新作を世に問うていた。日本には常設の団体がなく、このジャンルはお寒い状況だった。そこに注目したわけだ。また結成後、メンバーは次第に個々の実力を蓄え、作曲メンバーも書く事の意義を見出しつつあった。専門の垣根を超えた新しい音を創造しようという強い意欲も、室内オーケストラへの発展の必然となった。
1988年12月の定期演奏会以降、アール・レスピランは第二期に入る。

このころのモットーは「何ものにも統制されない自発性の集積」であり(よって指揮者は置かない)、ある種の義務感を感じつつレスピランの音の創出に腐心していた。その中から、既製の作品にユニークな編曲・編作(勿論室内オーケストラ版)を施す試みが成され、これは現在まで継続中である。1992年6月17日(津田ホール)の第8回演奏会「バロックの前衛と現代」のプログラムは」下記の通り。
  ルベル/四代元素
  ヴィヴァルディ/2本のオーボエ、2本のクラリネットのための協奏曲ハ長調
  八村義夫/エリキサ
  八村義夫/ブリージング・フィールド
  ルクレール/杉山洋一、新垣隆編曲/「やさしい音楽の慰め」第二集
ルクレールは当時新進気鋭のお二人に編曲を依頼した。今思えば何とも話題性のある人選であった。
90年代に入ると、「企業メセナ」という理念が浸透し、マニアック集団である我々もその恩恵に浴することになる。また各種助成制度も確立した時代でもある。この流れは2010年(主に後者だが)頃までは続き、安定した助成が獲得出来た。また各地のホール、諸団体よりの出演依頼が増え~川口リリアホール、静岡音楽館AOI、北とぴあ、びわ湖ホール、ISCM横浜大会等~それらにより経済的基盤が安定し、自主演奏会に更に資金を投入することが出来、自己負担金の大幅な軽減(他に出演すれば収入となった)が可能になった。あるホールでは地元の商工会議所がバックについて下さったのだが、打ち上げでメンバーが楽器ならぬカラオケマイクを持つハメになったという笑い話も残っている。ビクターエンタテインメント社よりライブ音源による4枚のCDがリリースされ、そのうち「現代日本の小管弦楽曲集」はレコード芸術誌にて特選となった。また、1993年には第12回中島健蔵音楽賞を受賞、ルクセンブルグのEUジャパンフェストへの招待など海外公演を行ったのもこの時期である。
新世紀が近くなった頃、紀尾井ホールより「いずみ・紀尾井・しらかわ3ホール共同プロジェクト~作曲共同委嘱」の演奏団体として継続した出演依頼があった。3ホール共ホール名を冠したシンフォニエッタを持つが、紀尾井シンフォニエッタのポリシーとは違う企画、とのことでレスピランに声がかかった。弦楽器は4.4.2.2.1.に拡大され、本来の室内オーケストラのサイズとなり、毎回高関健氏が指揮されるという、私たちにとって全く新しい展開となった。アール・レスピランは第三期に入る(その第一回目のプログラムはチラシを参照)。
同プロジェクト第二回は「シェーンベルク没後50年~音楽はいま」と題し、委嘱者は川島素晴氏と佐藤聰明氏に、第三回は「2002年地図のない旅~ケージ没後10年」、委嘱者は斉木由美氏、細川俊夫氏であった。つまりこの時期は、自主演奏会と紀尾井ホール出演という年に2回の、レスピランの主体性を発揮できる出演の場があったことになる。

紀尾井ホール側の事情から、この共同委嘱シリーズのための独立した一夜は継続できなくなり、私たちの自主演奏会(このころには定期演奏会と称した)にこの共同委嘱作品が組みこまれることになったが、紀尾井ホールでの演奏・編成・高関氏の指揮は継続され、委嘱作品と同人の作品が並ぶことになった。同人作曲家もこのサイズの室内オーケストラ作品を書く機会が出来、独自の企画も組み込まれた年一回の演奏会が継続された。この間の共同委嘱作曲家は、伊藤弘之、池辺晋一郎、伊左治直、原田敬子、藤倉大、山根明季子、大場陽子の各氏。委嘱作曲家のCDにこの演奏会での音源が使用されたり、尾高賞作品がここから生まれたことは、名誉なことであった。また、念願であったシェーンベルクの室内交響曲第1番や、ベルクのピアノ・ヴァイオリン・13管楽器のための室内協奏曲の演奏が叶ったのも、この企画ならではであった。
2011年の第26回定期演奏会をもって、残念ながら紀尾井ホールの支援が打ち切られ、定期演奏会は津田ホール(今は解体された室内楽に最適な空間であった)に戻り、ここからが活動の第四期に入る。編成も「最小限の室内オーケストラ」に戻した。ポリシーは維持しつつも過去の模倣では20年を超える活動歴を誇る団体としては、その存在意義が問われよう。まだ助成金もある程度獲得出来ていたため、新たに若手作曲家に室内オーケストラ作品を委嘱する、「アール・レスピラン委嘱作品」シリーズを発足させて。これは現在まで継続している。恐らく我が国では、若手作曲家に限らず室内オーケストラ作品を書く機会は稀であるため、この企画は委嘱者から歓迎された。これまでに鈴木純明、金子仁美、鷹羽弘晃、坂東祐大、杉山洋一、中川俊郎、平川加恵、加藤真一郎の各氏に委嘱し、初演を行った。なお、2000年代に入り定期演奏会(自主演奏会)は、筆者が指揮を担当している。2003年以降、日本音楽コンクール作曲部門本選会(室内楽曲)の演奏をしばしば担当し、最も若い世代の作曲家との協業としての貢献だけでなく、演奏上・記譜上のアドバイスを行い、教育的な役割も果たしたと自負している。これは特筆すべき活動と言えた(本選会で作品が演奏される機会が廃止され過去形なのが至極残念)。2015年~2016年にかけて、結成30周年記念シリーズⅠⅡを開催した。2016年11月1日のプログラムと批評は、メルキュール・デザールの記事を参照願いたい。正に、レスピランにとって集大成とも言うべき演奏会であったと自負している。取り上げて頂いたこと、執筆者に感謝申し上げたい。

しかし、この頃より助成金がかなりの速度で減額され続け、蓄えも尽き演奏会の開催が極めて厳しくなった。他の団体でも同じ憂き目にあっているとの情報もあり、ともかく助成金+自己負担金によるこれまでの運営手法では立ち行かなくなってしまった。今年6月12日には第33回定期演奏会「バロックの変容と現代」を文化会館小ホールにて何とか開催したが、来年一年間は運営方法について様々な可能性を探ることとなった。いつまでも任意団体に安住するのではなく、社会的認知という観点から、一つの選択肢として法人化(一般社団法人)も視野に入れている。

35年前は何かにつけて「若手演奏家・作曲家による音楽家集団」が謳い文句であったが、私を含む発足時からのメンバー(現在は同人と呼んでいる)も還暦を過ぎ、次世代、次々世代へのバトンタッチは急務であろう。要は若手音楽家がこのような活動をどう見るか、参画するかにかかっている。相変わらず理念先行且つマニアックなプログラミングを譲らないアール・レスピランであるが、同人および出演者が日常の音楽活動、教育活動等から離れ、ここでしか出来ないことの実践の場である、という意識のボルテージが下がらない限りアール・レスピラン~芸術の息吹~の存在意義はあり続けるべきであり、絶やしてはならない。

(2019/7/15)

<アール・レスピラン同人>
田中隆英(Fl)、益田真理(Fl)、大島弥州夫(Ob)、三界秀実(Cl)、有馬理絵(Cl)、松生知子(Cl)、岡本正之(Fg) 、小鮒信次(Hr) 、竹内 修(Hr)、 村田厚生(Trb)、 池田哲美(作曲) 、鈴木輝昭(作曲) 、安良岡章夫(作曲・指揮)
<アール・レスピラン団友>
松原勝也(Vn)
この他エキストラメンバー(パートによってはほぼ固定されている)を加え、演奏会を行っている。近年は若手演奏家を積極的に起用している。田中、池田、鈴木、安良岡は発足時よりの同人である。
ホームページアドレス http://www.art-respirant.com/

編集部註)
安良岡氏のエッセイは今回のみとなります。

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安良岡章夫(Akio Yasuraoka)
1958年東京生まれ。1984年東京藝術大学大学院修了、野田暉行、三善晃の両氏に師事。
1980年第49回日本音楽コンクール第1位、1982年第5回日本交響楽振興財団作曲賞受賞。
1985年若手演奏家、作曲家により「アール・レスピラン」を結成、以降代表として企画・運営にあたる。その一員として第12回中島健蔵音楽賞受賞。1999年「オーケストラ・プロジェクト‘99」にて<ヴィオラとオーケストラのためのポリフォニア>を発表、平成11年度芸術祭優秀賞を受賞。多彩な作曲活動を続ける一方、指揮活動にも力を入れ、多数の作品の初演を手掛ける。現在東京藝術大学理事・副学長・教授。
近作に、ブルレスカ~金管五重奏と打楽器のための(2015)、デカルコマニーⅡ~2人のヴィオラ奏者のための(2016)、トリアングラムⅡ~トロンボーンと室内オーケストラのための(2017)、10スティックス~5人の打楽器奏者のための(2018)、などがある。